口先の軽さ
エレミヤ42:1-6
バビロンはゲダルヤを立て、ユダヤ地域の安定を図りましたが、ゲダルヤは暗殺されてしまいます。辺りは再び不安定になりました。預言者エレミヤは、神の意に基づくというあり方で、今後の国の方向性を想定します。人々は、エレミヤの意見を尋ねます。エレミヤは、人々がエジプトに逃れるという道を好んでいることは、分かっていました。
けれどもエレミヤは、むしろバビロン王に身を委ねるべきである、と理解していました。そうすれば、数十年後にではありますが、再びこの地に戻ってくることができる、と主からは聞いていたのです。そこへエレミヤの考えを知りたがった者たちは、軍部の将をはじめとしたユダヤの人々で、謙虚に良い道を教えてほしいと口では言いました。
「歩むべき道、なすべきことを示してください」との願いの言葉でしたが、内心結論はすでに決めていた模様です。エレミヤは即答はしませんでした。不穏な空気を感じたのでしょう。自説を直ちに返さず、いま一度祈るから待てと言い、十日の後にようやくその返事をすることになります。人々は、確かにエレミヤに託すという言い方はしました。
主はエレミヤに最善のことを語るだろうから、自分たちはそれに従う、とまで言いました。きっぱりと信頼篤い応対でした。預言者の言葉通りにすべて実行する、と威勢のいいことを言ったのです。主の声に従います、と。それが幸せになることですから、とまで分かっています。表向き、ここまでは決して悪いことはなかったのです。
エレミヤも彼らを信用すべきかどうか考えあぐねていましたが、やがてエジプト行きは主の道ではないことを人々に告げます。すると人々はエレミヤを拒絶し、「傲慢」にもエレミヤを拘束までしてエジプトへの逃避行を実行することになります。人間の口先での信頼の約束は脆いものです。信仰する・従うなどの軽々しく発される言葉の空しさを覚えます。
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