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レスポンス

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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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#クリスマス

冒険の始まり

さあ、冒険の旅に出よう。   それは、自ら望んでいなかった冒険であった。しかし、何ものかに…

たかぱん
6か月前

否定の後に

アドベントからクリスマスの期間は、黙示録の説教を一旦外れる。そのとき、「改訂共通聖書日課…

たかぱん
6か月前
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来る物語を行く

黙示録の連続講解説教(と呼んでよいか分からないが)を外れて、今日からの「アドベント」に沿っ…

たかぱん
6か月前
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神の決断を受けて

「クリスマス」期間は、欧米ではまだ続く。それは宗派によっても異なる。クリスマスの騒ぎが終…

たかぱん
1年前
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星が輝いている

クリスマスの説教として、東方の博士たちを扱うものは、定番である。牧師の中には、また同じこ…

たかぱん
1年前
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見えなくても、触れるもの

 「星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからなんだよ……」  ぼくは、<そりゃ…

たかぱん
1年前
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クリスマスの恵み

クリスマスには、定番の聖書箇所というものがある。毎年聞くので、新鮮味がなくなっている信徒の方もいるだろうかと思う。もう知っているよ、またあの話だ、そんな気持ちが底にあることを、私自身否定できない。だが、できるだけ新しい光を受けたいという思いは懐くように心がけている。   というより、説教というものは、新しい光をもたらすはずのものなのだ。   たとえば、こういうものも現実にあるようだが、聖書を一行ずつ読み上げては、その意味を解説し、やがて社会的な話題などを関連されて、私たちも何

闇に光をもたらす説教

遠方に住む高齢の親に会う計画をしていた人がいる。住まう施設は、このコロナ禍において管理が…

たかぱん
1年前
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