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受難週を迎えるにあたり、十字架そのものよりは、エルサレム入城のほうが、選ぶ聖書箇所として…
「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」(マルコ8:27)とイエスが問う。弟子たちは様々…
イエスの復活を記念する礼拝となると、イエスに会いに行く女たちや、ペトロなどの弟子たちの姿…
塾業界に(と大きく出たね)、正月休みというものはない。いや、一応休暇はあるが、ゆっくりでき…
十字架を巡っては、様々に思うことがある。深く感ずるところがない、というのは、キリスト者と…
受難週に入るのだが、選ばれた聖書箇所は、エゼキエル書と、マルコによる福音書の、バルティマ…
私はかつて60分以上の礼拝説教が当然だった環境にいたこともあるので、50分ほどの説教をさほど長いとは思わないが、その説教者の最近の説教の中では、長かったものだと思われる。従って、その全部をご紹介することはできないし、またする必要もないだろう。あくまでも、これは私のレスポンスなのだから、特に、いくつかの点だけに触れていけばよいだろうと思う。 マルコによる福音書の10章、ゼベダイの子ヤコブとヨハネがイエスに、いわば抜け駆けの「お願い」をする場面に浸ろう。ともすれば、この二人の