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レスポンス

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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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#天使

キリストの中で

黙示録の講解説教は、14章に入り、本日は「三人の天使の言葉」というタイトルがつけてある箇所…

たかぱん
4か月前
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冒険の始まり

さあ、冒険の旅に出よう。   それは、自ら望んでいなかった冒険であった。しかし、何ものかに…

たかぱん
6か月前

甘くて、苦くて、甘い

黙示録が続いて開かれる。10章全体である。ヨハネが見せられたという、世の終わりの幻の叙述も…

たかぱん
7か月前
4

白い衣を着せられ生きている

ずいぶん前のことだが、牧師のことを「メッセンジャー」と呼ぶのは、あまり好きではないんです…

たかぱん
1年前

ペルガモンにある教会への手紙

黙示録を、礼拝では読み進めている。七つの教会への手紙の3番目、ペルガモンにある教会の天使…

たかぱん
1年前
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イエスの眼差しの中で

黙示録を続けて読んでいる。今日は、スミルナの教会宛の手紙。エフェソに続いて二つ目であるが…

たかぱん
1年前
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愛ファースト

黙示録の講解は、まだ始まったばかり。「天上におられるキリストの姿」という新共同訳の小見出しに対して、なぜ天上なのか、と説教者は疑問を付す。パトモス島にいたヨハネが声を聞き、振り向いた後ろにいた方がキリストであるとすれば、どこから「天上」が出てくるのか。あいにく、聖書協会共同訳でも小見出しは同じである。もちろん、小見出しは訳出した会社が任意につけたものであるから、それは「聖書」ではない。新改訳のように何も付けないのは無難だが、確かに小見出しがあると便利ではある。しかし、なんとも

見えなくても、触れるもの

 「星があんなに美しいのも、目に見えない花が一つあるからなんだよ……」  ぼくは、<そりゃ…

たかぱん
1年前
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