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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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#アブラハム

アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神

ルカ20章後半の箇所。子がないままに、兄弟と次々と結婚した女は、復活のとき誰の妻となるのか…

たかぱん
10か月前

経験と淡々とした日常

教会に棺が入れられ、共に礼拝をする。もちろん、そこに置かれたのは魂そのものではないし、ま…

たかぱん
1年前
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信仰と希望

開かれたのは、アブラハムの試練の箇所。イサクを献げよと神が命じたことに、いわば素直に従っ…

たかぱん
1年前
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破れ口に立つ

「破れ口」という訳語は、聖書協会共同訳では、ヨブ記30:14だけになってしまった。私の中で記…

たかぱん
1年前

行くべきところ

その朝、子どもが授かることについて悩んでいた人から、よい知らせが届いた。やがて礼拝が始ま…

たかぱん
1年前
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信仰とは何か

いったい時間とは何か。誰も私に尋ねないとき、私は分かっているつもりである。だが、尋ねられ…

たかぱん
1年前
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聖書を説かずして聖書が命となる

イエス・キリストだったら、何と言うだろうか。どうするだろうか。キリスト者は、しばしばそれを考える。答えが出るわけではない。それはこうだ、と決めつけてしまうことはできない。だが、そうすることが、信仰のひとつの原点であると言えるだろう、とは思う。   「十字架につけろ」と叫んだ人々のあの熱狂は、エルサレム入城から一週間と経たなかったときに燃え上がったが、現代の情報過多の中で、人の性がかつての時代と変わらないのだとしても、暴力的な言動や、感情の暴発が、加速することは十分考えられるだ

今週、生きていける

夏期講習が始まっている。ふだんの日曜日は仕事に出ないことにしているが、夏期講習となると、…

たかぱん
1年前
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