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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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2023年4月の記事一覧

黙示録を読み始める説教

教会には年間(年度)の聖句というものが決められることが多い。年度目標のようなものと理解され…

たかぱん
1年前
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不思議な同時性

復活祭を過ぎると、次は教会形成を考えることが多くなる。7週目のペンテコステ礼拝を見越して…

たかぱん
1年前
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エマオ行きの道にて

イエスの復活を記念する礼拝となると、イエスに会いに行く女たちや、ペトロなどの弟子たちの姿…

たかぱん
1年前
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マタイ受難曲

塾業界に(と大きく出たね)、正月休みというものはない。いや、一応休暇はあるが、ゆっくりでき…

たかぱん
1年前
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受難週の祈り

十字架を巡っては、様々に思うことがある。深く感ずるところがない、というのは、キリスト者と…

たかぱん
1年前
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ペトロの失敗の向こうに

受難週の祈りの場に招かれたとき、ペトロの否認の場面が開かれた。その後、初代教会の主軸とな…

たかぱん
1年前
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立ち上がるところに

受難週に入るのだが、選ばれた聖書箇所は、エゼキエル書と、マルコによる福音書の、バルティマイの記事の箇所。意外なペリコーペであった。確かにエルサレム入城の直前の出来事ではある。そしてそこに、説教者の狙いの一つがあったと思われる。   所はエリコ。エルサレムまで半日ほどの距離である。古くはヨシュアによるカナン侵略の発端となった地であり、ルカによるとザアカイとの出会いが思い起こされる。マルコによると、そこにいたのは盲人のバルティマイ。「ティマイの子で、バルティマイ」という、同語反復