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人間現役(仮)


7月、まだ梅雨から明けない東京の空は機嫌が悪い。突然子供の様に泣き始めたと思いきや不意に晴れ着に身を包んだ男女の様に晴々とその突き抜ける青を広げて見せる。

隠し事一つ無い馬鹿正直な夏の空はもうそこに間も無く。偏頭痛と節々の痛みに耐えるのもあと少しの辛抱である。

幾度となく超えてきた四季と共に過ごしたこの身体とは今年の8月で31年の付き合いになる。夢見がちなここ数年は私の人生の中での激動の一部となった。

7年前、私の左手にはテルモシリンジが握られていた。

家の片隅手提げのカバンの中、至る所に医療用の使い捨て注射器"テルモシリンジ"を潜ませる。手に入れるにも少し高価なそれを多い時では3度4度と使い回す。

大きく震えた手は腕に走る青々とした血管を一向に捉えられずに2時間、この腕に十数カ所の穴を空け続けている。

2時間同じ姿勢で同じ角度からたった一本の血管を見続ける事は容易い事ではない。ただこの時だけはそれすらも忘れただひたすら針先と血管を見比べ続ける。

私は注射が苦手である。

そもそも幼少期から体が弱く入退院を繰り返し、事ある毎に点滴やら注射やらを腕に刺されて来た。人よりも血管の細いこの腕に"一発で決められる"看護師さんはなかなか居らず、毎度失敗するか薬が漏れ出して腕は赤紫に変色した。

何より腕に穴が開く音が聞こえる気がして気持ち悪く、針を刺される瞬間は顔を明後日の方向に向けるのが大人になっても辞められなかった。

それ程にまで嫌いな注射をしなければいけなくなったのか。理由は分からない。今は時間すら忘れこんなにも長時間覚醒剤を"抜いた"後だから打ち込むしか手はないと言う"脅迫"にも似た感覚の中に居る。

一瞬躊躇っては思い切る。まず表皮、その下の皮膚、そして血管を通過して筋肉に当たるぶちぶちという音と感覚がテルモシリンジからダイレクトに伝わって来る。

一度傷ついた血管からは当たり前のように血が出るので、"当たった"と思い込みポンプをぬるぬると引いてみるが、漏れ出した少量の血液とその後にチクッとした痛みを味わうだけだ。

それでも意固地になって少しでもポンプを押そうものならみるみる表皮は膨れ上がり蚊に刺された時の様な腫れを残す。

それが筋肉に穴を開けた後だと腕が曲がらない程激痛になりその腕に赤黒い紫色が広がっていく。

私は女に生まれてよかったとこの時はよく考えた。

夏は半袖の季節で、腕を出す人が溢れ返る。そこに私のような赤黒い腕に無数の穴を開けた人間が混じっていたら間違いなくすれ違う人は振り返るだろう。警察と鉢合わせたら最後、その場で塀の中へ行く覚悟を決める所まで迫られる。

しかし女性向けの日焼け防止のサポーターを腕にはめる事によって完全にそれは隠せた。街の女性はよくこれをはめて街を歩いているのに気づいた時夏が怖くなくなった。ただ私の年齢でこれを着けるのかと一瞬は考えたが、美容に余念の無い女性は都会にはかなり多い様で7月の新宿には20代前半の沢山の女性が腕に日焼け防止サポーターをはめて日傘片手に歩いていた。私が腕を隠してようがここでは全く目立たない。無事これで外に出られる様になった。

赤紫の腕は全く力が入らない。厳密に言えば力を入れると腕に激痛が走る為手荷物一つ満足に待てない事がある。手に荷物を持ち上げた瞬間にその手から荷物を地面へ一気にぶちまける事もよくあった。こんな所を見られたら腱鞘炎とでも言い訳すれば良いのだろうか?諸々買い物をした後その日同行していた友人男性は重たそうだねと苦笑いしながら、か細い私の腕から買い物袋を半分持ってくれた。

鞄も持とうとしてくれたがそれは流石に断わった。何故なら鞄の中身には必ずテルモシリンジと数量の覚醒剤、ガラスパイプを忍ばせていた為、警察に万が一声掛けをされた時の事を考えるととてもそれはさせられなかった。

友人は私が"気を使った"のに気付いたのか少し楽な笑顔に戻った。

ともかく、女性としてでなければ不審がられるか馬鹿にされているであろう非力さは153センチ42キロのヒョロヒョロの身体ならではのものだった。

****

やっとの思いで手持ちのポンプの中に煙の様な血液が舞い上がる。この光景を見るために耐えに耐えた姿勢を少し楽にした。

手首の形を崩さない様にゆっくりとポンプを押して行く。するとさっきまで何者かに掴まれている様な感覚の中に居たこの身体全身が全く別の物の様に生まれ変わる。この全身の毛細血管に渡り、一瞬にして凡ゆる体液となり四肢に至るまでを新鮮で新しい風が吹き抜けていく様な感覚に堕ちて行く。

この感覚に捉われた為か手首が数ミリ動いたのかまた筋肉へかなり赤黒く染まった内容物を漏らしてまった。

痛みは覚醒剤が効いている間は我慢が出来るのでこの時深くは後悔せず、今はこの2時間の事を思い返しながら"勝った"気分に浸る。目の前が明るくなり食欲は一気に無くなって足の重さと腕の倦怠感はどこかへすっ飛んで行った後だ。今ならなんだって出来る"気がする"のだ。

その気になればなんだって。

その気になると言う事は『至極簡単な事』では無い。まず手始めに我々は義務教育で集団行動を余儀なくされそこでは通知表によって人間と言う枠の中での個体差をはっきりと数値化される。そしてその大半が"できる、できない"の二択である。

社会に出れば上司やら世間の大人のストレスに晒され不条理的に"お前は出来ない奴だ"を突かれ続けその精神を植え付けられる。

はたまた仕事で優績を修めて居たとしても、一度評価されれば以降はその時の成績以下は見えない力により許されなくなり、そこにしがみつく意思や気力を振り絞る事により精神はすり減り、さらに高みを目指せば目指すだけそこにあった筈の光は心から消えていってしまう。

原因が分かっていた所で人生と言う檻に閉じ込められれば最後、他人からの評価やらそれに伴った自己評価、大勢の人の目線や些細な仕草までもがその純粋な心を傷付け尖らせて行きやがて飴細工の様に繊細な物へと変化させてしまう。

"超万能感"が幻影だったと気づいてしまった時から人は輝きを失い始め老いはそこからやって来る。諦めと言う種は老いを養分にして心の芯へ向け根を張らせればすぐに芽を出し始める。

特に現代人は繊細な心を持つ様になってしまった。

今この世には自己防衛から生まれる病的な万能感以外に純度の高い"やれば出来る"は存在するのだろうか?

ある日突然そんなスカスカの心に"超万能的感覚"を与えてしまった。

その時間は限られていて初めの2時間は誰に何を言われようが誰が何をして来ようが全て博愛の精神で何もかもを無かったことに出来る。

この時ばかりは愛されたいよりも愛を与えてあげたいと思い心の芯から温かい気持ちになる。

2時間後、身体が硬直している事に気づく。無意識に奥歯を噛みしめ裏唇を吸い続ける為口の中が痛い様な気がする、まだいける。

5時間後、些細な事が気になり始める。目の前の人の目線や人の流れが気になる。口の中がボロボロになり先ほど気になった箇所が腫れている事に気づく。ふくらはぎや太もも、背中と首の痛み。物音や数字や街の匂い、全てが気になりイライラして集中できない上に全身が何者かにより掴まれている感覚になる。口がカラカラで空腹を感じるが一切何も口にしたいと思えない。

8時間後、限界が来る。体の硬直はピークに達し脂汗が大量に出てくる。その汗自体が体臭以外の工業用油の様な匂いもしくは粉臭くなり、時に嗅いだことのない独特の甘い匂いとして現れる。何を言われても湧き上がってくる焦燥感のせいでイライラしてしまう。この状況から抜けるには再度体に覚醒剤を打ち込めばいいのだがそれすらも手が出ないほど目の前のことに夢中になってしまう。体の痛みよりも24時間無休で働いた後かのような尋常じゃない倦怠感に襲われるが眠れないし何かに集中することを一切やめられない。

16時間後、突然の強い眠気と覚醒を繰り返す。先ほどまでの目の前の明るさは一切なくなり手に余ったタバコの火が何度も床や足の上に落ちる。

トイレへ駆け込み防災警報機の有無を確認する。ガラスパイプを手に3㎝×5㎝くらいのパケ(パッケージの略称)からストローを切って作ったスプーンで覚醒剤をそのガラスパイプの小さな穴に一サジ入れる。

強い睡魔により大きく頭が揺れる為、パラパラと太ももに覚醒剤が落ちる。気づいてすぐそれを脂汗いっぱいの指で拾っては舐める。味は劇薬らしい強い苦味があり、覚醒剤が触れた口内は痺れた様な感覚になる。ちょうど、山椒を口に塗った時の感覚に似ている。

拾っては口に入れるを繰り返していると手に持っていたパケの中身が減っている。

地面にキラキラと星の瞬きの様に覚醒剤が散らばっているのが見えるが流石に口には入れずに靴の底で出来る限りそれらを踏み潰す。

やっとの思いでガラスパイプに覚醒剤を詰め終わり、ガラスパイプをゆっくり暖める。中身を焦さぬ様、一口目は煙が上がったらすぐ火を止め、ゆっくり吸い込む。

ここでやっと意識が体に戻る。

超万能感の対価はここまでに酷いものだが気づけばそれ無しに生きていけない様になる。辞められない理由も様々だろうが私の場合は明日も起きて仕事へ行く為だった。

"本当にそれだけなのか?"と時折心の声が私に囁く。ただその声を聴こえないフリをして居ただけなのかも知れない。

ミンミンと喧しいセミの声、暑苦しい初夏の朝、電線を頭上に四角く切り取った青の下。

人間を辞めた私には時間がない。朝が来たと思いきや次の瞬間にもうこの目に夕日を映す。朝から晩のそこそこ緩やかな時間を各々の用事や仕事やらやるべき事をただ淡々とこなして送る、そんな日常が遠い。

喉に物を通す事がこんなに辛い。ただ辛うじて生きている私の腹は『ぐぅ』とだけ鳴る。

飲み物を飲むのが面倒臭い。食べるのが億劫だ。生前、祖母が『何が食べたいのか分からないよぅ。』とよく言っていた事を思い出しながらスケボーでこの街を走り抜ける。

裏ポケットに3gの覚醒剤と注射器。これを行きつけのゲーム屋(違法カジノ)へ配達する為街を走り抜ける。道中何かとりあえず食べなければとも思った。でなければまたゲーム屋の常連の売人達に笑われる。『電波ちゃんまたなんも食べてないやろ?』

それを言われるのはキツい。確かにガリガリになって来た。この見た目のせいでそのうち捕まるかも知れないと考えては腹の底が冷える。

ただ皆がしっかりしてる訳でもなく、そこに行けば自分の逮捕される確率は下がる気がするくらい私の体型を言う人達も売人も頭や感覚がイッてしまってる。その中でもさとかさんは完全にイッてる。


さとかさんとはゲーム屋で知り合った。

当時、元彼から紹介された。35〜40歳だったと思う。年齢を感じさせない童顔でパッキンキンでゴワゴワの髪の毛、身体も157㎝くらいの小さい身体で可愛いお姉ちゃんと言う感じの人だ。いつもガソリンが残り僅かなワゴンRを引きずってゲーム屋にやってくる。さとかさんは普通の人達の2倍程の速さで喋る。さとかさんと話してる時はまるでマシンガンからフルバーストで発射された弾丸を全身に浴びた気分を味わう。

面倒見は良いが"効き目"でゲーム屋に来ると所持金を瞬く間に溶かしている。

所持金残り千円となるあたりで千円をひらひらさせながら必ず足早に私の座っている所へ来る。標準語の金切声を倍速にして

「電波ちゃん‼︎お願い‼︎これ増やしてくんない?!アタシもうお金持ってないの‼︎なんとかしてくんないとガソリン代もパーキングも払えないし‼︎このまま帰れないの‼︎ホントお願い‼︎」

この言葉はさとかさんと会う度に聞いた言葉なのでほぼ完全なコピーだと思って欲しい。

私はスリーセブンターボと言うクラッシックタイプのビデオスロット台へ座り、千円分からチマチマやり続け勝ち取った2000円から5000円にへとベット(掛け金)を増やしていく。1時間前を使い、ベットが1万円になった時点で必ずアウト(出金)した。

そのお金を持ってさとかさんの座るインターネットカジノの台に行くと何故か画面に映るスロットは9レーン中9個ガッツリ稼働している。

それも掛け金が一回転千円前後。

「さとかさんもう全部擦ったんじゃなかったんすか?」

「それがポケットから1万出てきてね‼︎多分昨日アウトしたお金だと思うんだけど解んないから回してんの‼︎最初5万になったんだけどもうダメ‼︎あぁどうしよう‼︎電波ちゃんさっきの千円まだ持ってる⁈この台回すから貸して‼︎」

私は手に持ってた1万円を渡すのを心の中で躊躇った。これはさとかさんが帰るお金だった。

たがよくよくこれはさとかさんの千円だ。

大人しく今苦労して増やしアウトしたばかりの1万円がものの2分で溶けるのを見守った。

*****

私は東京でも時々電波と呼ばれている。理由は昔のMCネームだったから。そもそもその名付け親はさとかさんである。

さとかさんが私を電波ちゃんと呼ぶ理由はスリーセブンターボでハイエナしまくって荒稼ぎしていた時、「今絶対変な電波飛ばして揃えたでしょ⁉︎ほんとあなた電波ちゃんだわ‼︎」と言われ続け

「私にはわかるの‼︎絶対あなた電波ちゃんでしょ⁉︎」と言う勘ぐりと冗談の狭間の様な一言からさとかさんを始め、周辺人物にそう呼ばれる事になった。

スケボーの電波ちゃん、当時は西成でそう呼ばれていた。皆大体本名は知らないし皆の名前も私は知らなかった。

仲良くなって名前を伺っても大体が、"田中さん"だった。私が自己紹介をすると、ユニークな名前をしていると必ず話題になったが、さとかさんが名付けた事を伝えると必ず誰しもが納得した。

さとかさんは私を随分可愛がってくれていたんだと今でも思う。ある日この界隈では滅多に無い、"本宅で食事会"と言うイベントに私は招待された。

2へ続く。


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