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中論 2.3.4.5.6章

中論 『根本中頌』
第二章 運動(去る事と来る事)の考察

1.先ず.既に去ったもの(已去)は.去らない…
また未だ去らないもの(未去)も去らない…
更に既に去ったものと.未だ去らないものとを離れた.現在.去りつつあるもの(去時)も去らない…
[反対者の詩]
2.動きの存する処には去る働き(去法)]がある…そうしてその動きは現在.去りつつあるもの(去時)に在って.既に去ったものにも未だ去らないものにもないが故に.現在.去りつつあるものの内に去る働き(去法)がある…
[龍樹の返答]
3.現在.去りつつあるものの内に.どうして去る働き(去法)が在り得ようか…現在.去りつつあるものの内に二つ去る働き(去法)は有り得ないのに…
4.去りつつあるものに.去る働き(去法)が有ると考える人には.去りつつあるものが去るが故に.去る働き(去法)なくして.而も去りつつあるものが在るという誤謬が付随して来る…
5.去りつつあるものに去る働き(去法)が有るならば.二種の去る働き(去法)が付随して来る…則ち.去りつつあるものを有りしめる去る働き(去法)と.また去りつつあるものに於ける去る働き(去法)とである…
6.二つの去る働き(去法)が付随するならば.更に二つの去る主体(去者)が付随する…何となれば去る主体(去者)を離れて去る働き(去法)は有り得ないから…
7.もしも去る主体を離れては.去る作用が成立し得ないのであるならば.去る作用が存在しないのに.どうして去る主体が存在し得るであろうか…それ故に去る作用は存在しない…
8.先ず.去る主体は去らない…去る主体でないものも去らない…そうして去る主体でもなく.去る主体でないものでもなくて.両者とは異なった如何なる第三者が去るのであろうか…
9.先ず.去る者が去ると言う事が.どうして成立し得るのであろうか…去る作用なしには.去る主体は成立しないのに…
10.去る者が去ると主張する人には.去る作用がなくても.去る主体があると言う誤った結論が付随して起こる事になる…何となれば.去る人が更に去ると言う働きを認めているからである…
11.もしも[去る人が去る]と言うならば.二つの去る作用が有るという事になってしまう…則ち.その去る働き(去法)に基づいて.去る者と呼ばれる処の.その去る働き(去法)と.去る者である人が去る処のその去る働き(去法)とである…12.既に去った処に去る事はなされない…未だ去らない処にも去る事はなされない…今.現に去りつつある処にも.去る事はなされない…何処に於いて去る事がなされるのであろうか…13.去る働き(去法)を開始する以前には.今.現に去りつつある者は存在しない…また既に去った者も存在しない…その二つ(今.現に去りつつある者と.既に去った者)に於いてこそ.去る働き(去法)がなされる筈であるのに.未だ去らない者の内に.どうして去る働き(去法)があり得ようか…
14.既に去った者の内にも.今.現に去りつつある者の内にも.未だ去らない者の内にも.去る働き(去法)を開始する事が如何にしても認められないのであるならば.既に去った者.今.現に去りつつある者.未だ去らない者が.どうして区別して考えられようか…
15.先ず第一に.去る主体が住すると言う事はない…また去る主体でないものも住する事がない…
去る主体てもなく去る主体てないものでも無い処の.両者とは異なった如何なる第三者が住するであろうか…
16.去る働き(去法)なくしては.去る主体が成立し得ない時に.先ず去る主体が住すると言う事が.どうして成立し得るであろうか…
17.去る主体は.今.現在去りつつある処から退いて住するのではない…また既に去った処から退いて住するのでもない…また.未だ去らない処から退いて住するのでもない…住するものの行く事と.活動する事と.休止する事とは.去る事の場合と同様であると理解さるべきである…
18.去る働きなるものが.則ち去る主体であると言うのは正しくない…また去る主体が去る働きからも異なっていると言うのも正しくない…
19.もしも去る働きなるものが.則ち去る主体であるならば.作る主体と作る働きとが一体である事になってしまう…
20.また.もしも去る主体は.去る働きから異なっていると分別するならば.去る主体がなくても去る働きがある事になるであろう…また去る働きがなくても.去る主体が在る事になるであろう…
21.一体であるとしても.別体によっても成立する事のない此の去る働き(去法)と.去る主体との二つはどうして成立するだろうか…
22.去る働きによって.去る主体と呼ばれるのであるならば.その去る主体は.その去る働きを去る(行く)事は有り得ない…何となれば.去る主体は去る働きよりも以前に成立しているのでは無いからである…実に何者が何者に去るのであろうか…
23.去る働きによって.去る主体と呼ばれるのであるならば.その去る主体は.その去る働きとは異なった他の去る働きを去る事はない…一人の人が進み行く時に.二つの去る働きは成立し得ないからである…
24.去る主体が実在するものであるならば.実在する去る働きと実在しない去る働きと.実在し.且つ実在しない去る働きと.三種の去る働きの何れをも去る事がない…また去る主体が実在しないものであるとしても.上述の三種の去る働きの何れをも去る事が出来ない…
25.また去る働きが実在し.且つ実在しないものであるとしても.上述の三種の去る働きの何れをも.去る事が出来ない…それ故に.去る働き(去法)と去る主体と.行くべき処とは存在しない…

第三章 認識能力の考察

1.見る働き.聞く働き.嗅ぐ働き.味わう働き.触れる働き.思考作用..これらは六つの認識能力(六根)である…見られるもの(色.形)などが.此れらの認識能力の対象である…
2.実に見る働き(視覚.眼)は.自らの自己を見ない.自己を見ないものが.どうして他のものを見るであろうか…
3.火は自分を焼かないが.他のものを焼くと言う(火の喩え)は.見る働きを成立せしめるのに充分ではない…見る働きと.火の喩えとは.今.現に去りつつあるものと.既に去ったものと.未だ去らないものとによって.既に排斥されてしまった…
4.何ものをも見ていない時には.見る働きではない…見る働きが見ると言うならば.どうして此の事が理に合うであろうか…
5.見る働きが見るのではない…見る働きでないものが見るのでもない…見る働きを排斥し終わった事によって.見る主体の成立し得ない事も説明されたと理解せよ…
6.見る働きを離れても.離れなくとも.見る主体は存在しない…見る主体が存在しないから.見られるものも.見る働きも共に存在しない…
7.母と父とに縁って子が生まれると言われるように.眼と色.形とに縁って.認識作用(識)が生ずると説かれる…
8.見られるものと見る働きとが存在しないから.識などの四つ[識と感官と.対象との接触(触).感受作用(受).盲目的衝動(愛)]は存在しない…故に執着(取)などは.どうして存在するであろうか…
9.聞く働き.嗅ぐ働き.味わう働き.触れる働き.思考作用も.また聞く主体.聞かるべき対象なども.見る働きについて.見る働きについて論ぜられた事を適用して.同様に説明されると知るべきである…

第四章 集合体(蘊)の考察

1.物質的要素の原因.則ち四元素を離れた物質的要素は認識され得ない…
また物質的要素を離れた.物質的要素の原因もまた認められない…
2.もしも物質的要素が.物質的要素の原因を離れているのであるならば.物質的要素は原因の無いものであると言う事になる…
しかし原因を持たないものは何処にも存在しない…
3.それに反して.もしも物質的要素を離れた物質的要素の原因なるものが存在するのであるならば.結果をもたらさない原因が有ると言う事になるであろう… 
しかし結果をもたらさない原因と言うものは存在さない…
4.物質的要素が既に以前から存在するのであるならば.物質的要素の原因なるものは成立し得ない…また物質的要素が既に以前から存在しないのであるならば.物質的要素の原因なるものは存在し得ない…
5.更に原因を持っていない物質的要素なるものは.全く成立し得ない…それ故に物質的要素に関しては.如何なる分別的思考をも為すべきではない…
6.結果が原因と似ていると言う事は成立し得ない…結果が原因と似ていないと言う事もまた成立し得ない…
7.感受作用(受)と心と表象作用(想)と諸々の潜在的形成作用(行)と.これら全てのものは.如何なる点でも全く物質的要素と同じ関係が成立する…
8.論争が為された時に.空である事(空性)によって論破を為す人がいるならば.その人にとっては全てが論破されていないのであって.全ては論証(論破)さるべき事と等しいと言う事になる…
9.解説が為された時に.空性によって非難を為す人がいるならば.その人にとっては全てが非難されていないのであって.全ては論証さるべき事(非難さるべき事)と等しいと言う事になる…

第五章 要素(界)の考察

1.虚空の特質(相)が存在するよりも以前には.如何なる虚空も存在しない…
2.何であろうとも.特質を持っていないものは何処にも存在しない…特質を持たないものは存在しないから.何処に特質が現われ出ようか…
3.特質は.特質を持たないものの内に現われ出る事はない…また特質は特質を既に持っているものの内にも現われ出る事はない…また特質は.特質を有するものと.特質を有しないものとは.異なった他のものの内にも.現われ出る事はない…
4.特質が成立しないから.特質づけられる(可相)は有り得ない…特質づけられるものが成立しないから特質もまた成立しない…
5.それ故に.特質づけられるものは存在しない…特質もまた存在しない…特質づけられるものと特質とを離れた別のものもまた存在しない…
6.有(もの)が存在しない時.何ものの無が存在するだろうか…有とも異なり.無とも異なる何人が在って有無を知るのであろうか…
(有と無とはそれぞれ独立には存在し得ない互いに他を予想して成立している概念であり.則ち有と無との対立という最も根本的な対立の根底に相互依存.相互限定を見い出したのである)
7.それ故に.虚空は有でもなく非有(無)でもなく.特質づけられるものでもなく.特質でもない…
その他の五つの要素(地.水.火.風.識)も.虚空の場合と似ている(同様であると考察すべきである) 
8.然るに.諸々のものの有と無とを見る愚者は.経験される諸々の対象が安らぎに帰し.めでたい有様を見る事がない…


第六章 貪りに汚れる事と.貪りに汚れた人との考察

1.もしも貪りに汚れる事よりも以前に貪りに汚れた人が.貪りに汚れる事を離れて.別に存在し得るのであるならば.貪りに汚れたその人に縁って.貪りに汚れる事が存在し得るであろう…
2.しかし貪り汚れた人が存在しないのに.どうして貪りに汚れる事が存在し得るであろうか…
貪りに汚れる事と言う実体が存在するのであろうとも.或いは存在しないのであろうとも.貪りに汚れた人に付いても.この同様の次第が成立する…
3.処で.貪りに汚れる事と.貪りに汚れた人とが同一時に生起する事は有り得ない…
何となれば(もしそうだとすると).貪りに汚れる事と貪りに汚れた人とは.相互に無関係なものとなるであろう…
4.貪りに汚れる事と貪りに汚れた人とが.もしも同一であるならば.両者の共在する事は有り得ない…何となれば.ものはそのものと.共在しないからである…また.その両者が全然別異なものであるならば.その両者が共在する事がどうして起こり得るであろうか…
5.もしも両者が同一であるから共在が成立するのであるならば.助伴者がいなくても共在が成立するであろう…またもしも両者が別異であるからこそ共在が成立するのであるならば.助伴者がいたとしても共在が成立するであろう…
6.或いはまた.両者が別異であるからこそ共在が成立するのであるならば.貪りに汚れる事と貪りに汚れた人とが互いに異なったものであると言う事が.どうして既に成立しているのであろうか…何となれば.その二つのものは既に共在(合している)のであるから…
7.或いは.もしも貪りに汚れる事と貪りに汚れている人とが別の異なったものであると言う事が既に別々に成立しているのであるならば.他方に於いて両者の共在する事を.汝は何の為に想定するのであるか…
8.[別々には成立しない]と.その様に考えて.汝は両者の共在を願う…処が両者の共在を成立させる為に.汝は更に両者が別の異なったものであると考えている…
9.然るに.両者の別異である事は成立しないから.両者の共在は成立しない…
両者が別の異なったものであるのに.汝はその何れに於いて共在を考えるのであるか…
10.こういう理由であるから.貪りに汚れる事が貪りに汚れている人と倶(伴)に成立する事はないし.また両者が倶にならないで別々に成立する事もない…

貪りに汚れる事と同様に.一切の事柄が倶と成立する事もないし.また倶にならないで別々に成立する事もない…

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