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清浄論.中道論

◆清浄論
◇人格.精神性編
[浄化]について.お釈迦さまが仰っしゃり.如来が説く重要な教説とは…

人は他人を清める事は出来ない…
浄まるも汚れるも.清いも清くないも…
各自の事柄…
自ら悪を為すならば.

自ら汚れ…
自ら悪を為さないならば.
自ら浄まる…
浄いのも.浄くないのも.
清まるも.汚れるも…
各自の事柄である…
人は他人を浄めることが出来ない…
人は他人を変える事は出来ない…
その人.自らが変わろうと欲し.努め励む.意志と信念と自覚がなくば.幾万編説き.教え.語ろうがその人は変えられない…自らが変わるしか無いのですから…
まして世の中.他人の過ちや愚かさはよく見えるものだけれど.自らの過ちや愚かさは見えないもの.自分を棚に上げ.プラパンチャ(戯れ言.能書き.空理空論.世迷言.綺麗事.単なる形而上の観念.知識.情報…)を語り.惑わし.他人を変えようとするのではなく.自らが変わろうと努め励むならば.自ずと他人や周囲も変わっていくものなのです…
だいたいが.他人様に対してアーダコーダと言う人とは.他人様の人格を否定ながら.自分の偏った正義を押し付けて居る事にすら気付いて居ない人が多いものなのです…

◇成仏編
たとえ彼の世が在ろうとも.悩み苦しむ事もなし.彼の世に無縁な人なれば…
葬儀や葬祭とは.遺族や友人の心の慰めのものであり.例え崇高なる経文を唱えようが.壮麗なる供養や葬祭を取り行おうが.死者はその自らの行ないにより.逝くべき処へ逝くのです…そして成仏とは.この世界(時空)に繋ぎ留められている因縁から解脱.解放される事であり.この世界(時空)に繋ぎ留められる因縁とは.無明ゆえの.生(存在).所有物.自我への執着.愛着なのです…

◆中道論
十二縁起の真理を正しく理解することは常見.断や.有見と無見などのように[偏ったものの見方を離れること]であるり.十二縁起を正しく観察することが中道の正見に住することであると説く…
実践は快楽主義と苦行主義との偏った生活態度を離れ、それによって智慧(叡智)てを完成して涅槃(ニルヴァーナ)の悟りに趣く道であるから八聖道を中道という…

お釈迦様は五人の比丘の群れに告げられた…
比丘達.出家した者は.この二つの極端に近づいてはならない…
その二つとは何か…
第一に様々な対象に向かって.愛欲.快楽を求めると言う事.これは低劣で卑しく.世俗の者達の所業であり.尊い道を求める者のする事ではない…
また第二には自ら肉体的な疲労.消耗を追い求めると言う事.これは苦しみを追い求める所業であり.尊い道を求める者のする事ではなく.真の目的にも適わない…
比丘達よ.如来はそれら両極端を避けた中道をはっきりと悟った…
これは.人の眼を開き.理解を生じさせ.心の静けさ.優れた智慧(叡智).深淵な悟り(涅槃)の為にも.役立つものである…

比丘達よ.では如来がはっきりと悟った処の.人の眼を開き.理解を生じさせ.心の静けさ.優れた智慧(叡智).深淵な悟り(涅槃)の為に役立つ中道とは何か…
それは八つの項目から成る.尊い道(八正道)である…
世界は苦であり.無常であり.無我であり.空であるのだから…

◆ニ諦(空論)
二つの真理(二諦)に依存して.もろもろの如来は法を説く…
その二つの真理とは.世俗の立場での真理と.究極の立場から見た真理とである…
この二つの真理の区別を知らない人々は.如来の教えに於ける深遠な真理を理解していないのである
世俗の表現に依存しないでは究極の真理を説くことは出来ない…
究極の真理に到達しないならば.涅槃(ニルヴァーナ)を体得することは出来ない…
不完全に見られた空とは無明な者達知を害する…
恰も不完全に捕らえられた蛇あるいは未完成の咒術の類のごときものである…
それ故にその法が愚かな者共によって.良く領解されえない事を考えて.如来が教えを説示しようとする心は止む…
正に空なれば…
その空性.無自性こそが.汎ゆる縁起.存在そして果報をも条件つける…
その空性.無自性を否定.批判する無明な系譜に連なる者達こそが.むしろ縁起.存在そして果報を違えさせ.ドゥッカ(苦しみ.悩み.心痛.憂い.哀しみ.怒り.不満.空しさ.儚さ…)を創り出しているのです…

つまりは中道とは.ナアナアでも.そこそこでも.中途半端でも二つの物事の中間でもなく.二つのものと言う両極端から離れて.矛盾や対立した概念を超える事の実践的方法であり.例えるならば.ヤジロベエの如き両極の中道に於ける堅固な安定域.安心域.静逸域.悦楽域の八正道の実践による発見.獲得なのです…

詰まらない物事.下らない物事.どうでもいい物事に.捉われ.拘り.執着.愛着しなくなって初めて.安寧(堅固な安定)は訪れるのです…

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