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「喜びの形は結局のところたった一つ、愛することができるという喜び」

世の中には喜びの形は何千何万とあるけれども、
それはみな、結局のところたった一つ、
愛することができるという喜びなのだと。

   ─ ミヒャエル・エンデ ─ (ドイツ児童文学作家)

「20世紀の名言」からの引用です。


「ありがとう」と言われると嬉しい。
人に褒められると嬉しい。
人に頼られると嬉しい。
頑張ったことが報われると嬉しい。
給料があがると嬉しい。
おいしいものを食べると嬉しい。
いい買い物ができると嬉しい。

おしゃれな服に出会えると嬉しい。
メイクが決まると嬉しい。
新しい髪型が似合うと嬉しい。
プレゼントをもらえると嬉しい。

大きな賞をもらえると嬉しい。
宝くじに当たると嬉しい。
好きなアーティストが新曲を出すと嬉しい。
有名人と言葉を交わせると嬉しい。

好きな人に愛されることは幸せ。その人を愛することは幸せ。愛する人がいるということは何物にも代えがたい幸せ。



久しぶりにある人と会った。ずっと会いたかったけど、なかなかタイミングが合わず、ようやく会えた。

その人は、私にとって特別な人。

素の自分を出すことができる相手で、会うと自ずと顔が緩んでしまう。はしゃいで、たくさん話を聞いてもらいたくなる。甘えてしまう。頼ってしまう。会いたくなる。話を聞くといつも刺激があるし、私があまりに独りよがりな考えで愚痴ってばかりいると叱ってくれる。

今となっては親兄弟よりも私のことを理解してくれる人。もしかしたら私よりも私のことを理解しているかもしれない。


前の職場で出会った人で、すぐに意気投合し、仕事の相談や愚痴を話したり、趣味や世間話で盛り上がって、自然と恋仲になった。

でも、私がどんどん依存していくようになり、程よい距離を保てなくなった。このままではお互いしんどくなるという結論になり、私の転職をきっかけに、パートナーとしては関係を解消した。

恋愛感情だけでつながっていたわけではなく、お互いの人間性に惹かれて仲良くなったし、知り合ってから時間が経っているので情もあるのだろう、今でも連絡を取り合うし、時々お茶することもある。

ここ最近はコロナの影響もあって、気づけば1年2か月ぶりの再会となった。


数日遅れのその人の誕生日を祝って、その人の好きなモンブランとコーヒーをプレゼントした。メールでは話しきれなかった近況を報告したり、世間話をしたりした。

お互いがお互いの元気そうな顔を見て、安心して別れた。


帰り道、1人になると、幸せを感じている自分に気付いた。

他の人と話す時に気にする「この説明で伝わるかな。もっと詳しく話すべきかな。それとも話がまどろっこしいと思われてるかな。」という気遣いをほとんど意識することなく、マイペースで話せる。表現が適切ではないかもしれないけど、話のレベルが合っている。

前に話した時に、コロナワクチンは打つつもりはないと言っていたけど、実は2回接種したということをサラッと話したので、私が驚いた反応を見せると、「あ、そういえば言ってなかったな。」と少し申し訳なさそうに言ってくれた。お互いのすべてを報告する義務はないのに、「言っておいた方がよかったのに言えてなかった」と思ってくれていることがとても嬉しかった。

付き合いも長いので、2人にしか通じない定番の掛け合いとかもあって、なつかしくて落ち着く。

「やっぱり特別な存在だなぁ」と、はっきり思った。


「この関係がなくなるのは嫌だなぁ」と思う。いや、「この関係がなくなるのは無理だ」と思う。やっぱりどうしても私の人生には必要なんだ。

この人との出会いがなければ、私の人生はまったく違うものになっていたと思う。自分の好みは誰にも理解されないと思い込んだままだったかもしれない。自分の嫌な部分が、実は面白みがあることを知らないままだったかもしれない。人を頼ることを知らず、甘える方法も分からないままだったかもしれない。独りよがりの考えに固執して、厄介な人間になっていたかもしれない。自分の良さも分からなかったかもしれない。

ここまで想える人がいることは、すごく幸せ。

恋人でも、夫婦でも、友達でも、知り合いでもない。2人を表現するぴったりの表現がない。でも、世間的にはどう思われるのか分からないけど、紛れもなく「特別な人」なんです。


そして、私が後悔しているのは、関係を解消したことではなく、この人を苦しめてしまったこと。

私が転職して前の会社を離れた後、その人は突発性難聴を患い、不調が続き、間もなくして会社を辞めた。医者から出された診断は「双極性障害」。もう何年も治療を続けているけど、波があって一進一退の状況らしい。なかなか会えなかったのは、コロナだけじゃなくて、その人が元気になるタイミングと私の予定が合わなかったこともある。

そんな大変な状況なのに、去年、私は自分の職場の人間関係のストレスがピークになって、その人に八つ当たりしてしまった。本当に心のないひどいことを言った。自分なりに何度か謝ったけど、もちろん謝り足りてない。謝って許されることでもない。

思い返せば、その人が双極性障害になったのは私も一因だったんだと思う。自分の仕事も大変だっただろうに、私との時間を作るのは大変だったはず。付き合い始めの頃は、私がおそろしく不安定だったから、くっついたり離れたりを短期間に何度も繰り返して、ジェットコースターのような日々を強要してしまってた。

私は助けてもらってばかりなのに、私はその人を苦しめてばかり。

今でも何かできるわけではないけど、これからも仲良くしたい。全然役に立たないかもしれないけど、支えたい。いつも気にかけてる人がいるってことを知っててもらいたい。ずっと大切にしたい。


この人のことをnoteに書くか迷っていた。でも、自分の考えや価値観を書いていく上で、この人の存在を出さないように意識すると、書きたいことが書けない時がある。私の頭の中には、いろんなところにこの人がいるから。

なので、本人に了解を得て、noteに登場させることにしました。

これからはもっと自由に書いていけるといいな。


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