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「人生において我々が囚われている鎖は、我々が生み出したものに他ならない」

人生において我々が囚われている鎖は、
我々が生み出したものに他ならない。
   
チャールズ・ディケンズ

心を輝かせる名言集


先日、うぉんのすけさんからいただいたコメントにドキッとした。

私が、人に対して苦手意識を持っていると言いながらも、人が好きだということを見抜かれたから。


そのことについて書きたくなったので、書いてみる。

ちなみに、タイトルや書き出しからするとネガティブな反省記事のようだけど、「それでもこんな自分が好き」という結論に帰着する予定なので、拍子抜けさせないように最初に宣言しておく。



おそらくnoteの記事を読み返すと、「人が苦手」と「人が好き」のどちらについても書いている。

どちらの思いも事実だから。

でも、「人が好き」と素直に書いている記事は少ない。


本当はいろんな人と仲良くなりたいし、いろんな話がしたい。

でも、幾度となく人間関係で悩むことがあったから、「私は独りで大丈夫」「一匹狼の方が性に合っている」と思うようになった。

もしかすると、かわいそうな人を演じたかっただけかもしれない。

そのくせ人と接する時は嫌われたくないという心理が強く、相手に合わせようとばかり考えて、力みすぎて失敗することも多い。


独りの時間は、それはそれで充実するものだ。

いろいろ自分の中で思考を整理することができる。

「自分」ができあがっていく。

自分らしさとかユニークさが熟成されていく。

今もnoteを書くように、独りの時間を大事にできているのは、自分の人生の過ごし方の中でも有意義な時間の大部分を占める。


ひとり時間を満喫していたからか、話が合う人や、自分に興味を持ってくれる人が現れてきて、話せる人ができてきた。

普段は斜に構えて冷めたことを言って、自分なりの保身でかっこつけてるのに、それを見抜いて「あまのじゃくだな」と言う人もいた。

そこを見抜いた人に対しては一気に心の鎧が崩れてしまって、「本当の自分をもっと知ってほしい」という思いまで溢れてくる。

「本当は人懐っこいんだね」と言われて嬉しかったこともある。

話していて、「おもしろい人なんだね」と言われるのも嬉しい。

意識的に頑張っても他人に対してすぐに心を開けないけど、そういうことを言ってくれる人にはどんどんなついてしまう。


ここまできたら、「もっと自分を解放していいんだ」「ありのままの自分でもいいんだ」と思ってもよさそうなのに、そっちには行かなかった。

やっぱり合わない人もいるし、長年の思考の癖で自己開示できなくなっているという側面もある。

でも、自分で自分にツッコミを入れたくなるけど、「本当の私を見つけてほしい」と思っている困った側面も育ってしまったようだ。


我ながらめんどくさいやつだなと思うし、手がかかるやつだとも思うし、かっこ悪いなと思うし、人に迷惑をかけることもあるけど、今のところこんな自分でいいかなと思っている。


自分で作った鎖に囚われて、しんどくなることがないわけではない。

もっと自由に、もっと気楽に生きられたらいいのになとも思う。

もっと素直に人と関わって成長しないとなと思う。


もしかしたら今後、思考や行動が変わることがあるかもしれない。

でも、今はこんな不器用な自分が嫌いじゃない。

悩みは尽きないし、落ち込むこともあるけど、こんな自分に根気強く付き合ってあげようと思う。


アホなこと言ってるよなぁと思いつつ、素直に書いてみました。

そして、noteでもかっこつけてしまうところがあるので、できるだけ素直になって書いていけるといいなとも思いました。


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