「何のために生きるの?」「誰かを幸せにするために生きるのよ」
お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれましたら、
「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげてください。
「あなたが生きて、あなた一人がそこにいるために、
周囲の誰かが幸せになるような人になってね」と、
教え導いてあげてください。
─ 瀬戸内 寂聴 ─ (『寂聴 あおぞら説法』)
「20世紀の名言」からの引用です。
瀬戸内寂聴さんがお亡くなりになりましたね。それに合わせてか、「20世紀の名言」からも彼女の言葉で印象に残っているものが届きました。数年前に初めて届き、以来、ずっと頭の片隅に残っている言葉です。
アンパンマンマーチの「何のために生まれて、何をして喜ぶ?」が頭の中に流れると、毎回きまって「私の答えは何だっけ?」と考える。
自分の人生を振り返った時に、私は何に打ち込んだ人生だったと言えるんだろう。転職経験があって、今もこの職場で定年まで働き続けてていいんだろうかと思うから、また転職してしまうかもしれない。それって逃げなのかな。今までの転職理由は、100%後ろ向きとはいえないけど、100%前向きな理由での転職でもなかったから、少なからず逃げもあるんだろう。
1つの道を究めることに憧れはあるけど、それだけが正しい道というわけではないとも思う。状況に合わせて仕事を転々として、最終的に天職に出会う人もいる。『プロフェッショナル 仕事の流儀』や『情熱大陸』、『セブンルール』みたいな番組を観ていても、そう思う。見方によっては、いろんなところでの経験が、後々繋がって、独自の強みになる。
そうはいっても、じゃあ私は何に生きたと言える人生を歩むのだろう。
結局、答えが見つからないままアンパンマンマーチがぐるぐると頭の中でリピートするんだけど、そんな時に、この言葉に出会った。
「誰かを幸せにするために生きる」
目から鱗だった。生きる目的って、仕事だけじゃないんだ。冷静に考えたら分かるけど、やっぱり人生の大半は仕事をしているわけで、「仕事が人生の目的」だと思い込んでいた。
「誰か」ときいて真っ先に思い浮かぶのは恋人や配偶者。その人と人生を添い遂げたいと思う人と一緒になったら、その人を幸せにしたい。精一杯の愛情を注ぎたい。私を選んでよかったと思ってもらいたい。まったく違う2人が一緒になるには、それまでにも衝突があるだろうし、一緒になってからも何度も危機がおとずれるだろう。それを乗り越えて、その人を幸せにしたい。それは強く思う。
旦那さんだけじゃなくて、親、きょうだい、子ども、友達。自分に関わる人に幸せになってもらいたい。私の存在で癒されてほしいし、楽しんでほしい。たくさんの愛を与えて、たくさんの愛をもらえる人たちが周りにたくさんいたら、間違いなく「幸せな人生だった」と幕を閉じられると思う。
私自身は人たらしとは程遠いので、そんなにたくさんの人を幸せにすることはできないと思うけど、少しだけでもいいから、心で繋がる人間関係を築いていきたいな。
愛なんてきれいごとかもしれないけど、諦めずに手に入れたいな。
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