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幸せが似合うひと

雪が降っていた。湖のほとり…だったと思う。
思わず美しいと真っ先に浮かんだ。思い出はどんなものでも都合よく美しいのだ。


もうお別れしよう、いつしようと思っていた男だった。そんな男が私を実家に招待したのだ。

「父親、歯並び悪い子嫌いなんだよね」と言われた。そんなピンポイントに嫌うのか、それよりもそれ別に言う必要なくないか。まだ歯列矯正をしていなかった前歯の方が先にグラスにぶつかってセルフ乾杯してしまう私がその父親と会いにいくその時の心情を4文字で述べる。

ゆううつ

あっという間であまり覚えていないが、バスに乗って向かったと思う。出かける日は男の機嫌がすこぶる良いので助かる。いつ何が気に入らなくて怒り出すかわかったもんじゃない。いつも独特なツボで予測不能、沸点が低いのもあって急に怒り出す人なのでまったく怒らない日はすごいレアケースだ。


その昔男が具合悪い時に事故的に顎下に頭突きをお見舞いしてしまったことがある。人生ってうまく出来てる。「女じゃなかったら殴ってるよ!」と言われた。どんな事故起ったら病人に頭突きできるんだよって感じだけど、それを棚に上げつつ、これって聞いたことがあるダメ恋ですよね。今ならすぐに答えが出せる。いや、まぁ頭突きしたのは私なのだが。とんだ逆恨みなのはわかってる。ちなみにその時男の喉は切除しなければいけないほど大きく腫れて膿が溜まってしまっていた。さぞかし激痛だったと思われる。

男の実家は私の腰よりも背の高い草に囲まれていた気がする。その時は特に意識もしなかったけど交通の便はさほど良くはなくお隣の家も見渡す限り無かったように思う。というか、あまりちゃんと見えていなかっただけかもしれない。

実家は古くもとても立派な家だった。着いてすぐ緊張した手で手土産を渡してテンプレート通りの挨拶をする。その後すぐ夕飯の準備を手伝う。ちょっと怖そうなお父さん。彼女が来ても「別に家族になるかならんかもわからんし、また誰か来たけどあんまり関係ないわ」って感じのいい感じにサバサバしたお母さん。

これがこの男の育った家か。


この家には男の大好きな犬たちがいる。

私のことを黙ってじぃ、と見ている。
まだ見ている。

とても男のことが好きで実家にいるときはそれはもうどちらも溺愛していたらしい。どちらかが特に可愛いと思っているらしい。

前の彼女に対して「お前のことは2番目に好きなんだからね!」と言葉にして言ってしまうくらいの溺愛っぷりであったそう。

ちなみに私は「同じくらい」らしかったけど
その理由がものすごい「クソな理由」なのでそれは伏せておくことにする。

うーうーとわかりやすくヤキモチ焼いているちょっと気の強い人間の女の子みたいなマルチーズ。この子がどうやら1番らしかった。

唸られているとも知らずに
「気に入ったのかな〜?前の彼女はすごいヤキモチ妬いてめちゃめちゃ吠えられてたもん!」と男は呑気に笑いながら言っていた。私がものすごい睨んだからじゃないかな。

特に気に入られようとかがなかったのでお夕飯の準備を多少手伝わせてもらったり、父親の質問にポツリポツリ答えたり、最低限失礼のないようにした。しつけにうるさい男のご機嫌を旅先で損ねるのは面倒だ。この頃の私は随分冷静に仮面をつけて生きていたらしい。別れようか悩んでいる男の実家を訪れるなんて心の一個や二個くらい殺していないと出来るわけがない。冷静かもしれないけど正気ではなかった。

外は大粒の雪が降ってきていた。大きなコタツがとても暖かかった。

先にお風呂をすすめられて遠慮なくいただいた。いつもは長風呂派なのだけどなるべく手早く済ませて広い廊下を歩く。「うちの田舎みたい」だなと思う。


「そんなことさせるためにお前を東京に出したんじゃねぇぞ!」


激しい怒鳴り声が廊下まで聞こえた。びっくりして思わず後方にあとずさりで廊下を歩く。

美容師を目指して上京して来た。色々あって美容師を辞めて色々な職を転々としている。事業をしようと弟と話している時もあった。それに関して怒っているのだろうか、などとまだ就職というものもした事のない小娘は考えていた。

男と父親の会話。さすがにこれは聞いてはいけない気がして聞こえるか聞こえないかの所で話の終わりを待った。

少し静まった頃に今お風呂上がりました!を装って部屋に戻る。

気まずい空気。

「あんたは…」と父親が沈黙を破る。

「はい!」
私の丸い背筋が伸びる。

「あんたは若いからまだ結婚とか考えられないだろうが」

「いえ、そんなことは…」
(あなたの息子さんとは考えておりませんが)

「こいつは結婚するなら間違いない男だ」

ーーー

その後男もお風呂に入り、
生まれ育ったという部屋に通された。

くる

くるぞ

あんな話があったあと、機嫌悪くあたられるに違いない。私は相当に怯えていた。

「父さんに気に入られたんだね。前の彼女の時は気に入らなかったみたいで全然話してなかったもん」

放たれたのは予想外の言葉だった。怒ってない?気に入られたなら悪い気はしないが、がちゃがちゃの歯がうまいことバレていないなら良かった。いや違う。いちいち前の彼女と比べるのはやめてほしい。付き合い初めは相当辛かった。私がこの男と彼女の積み上げた長い付き合いをぶち壊してしまったんだから多少の痛みは甘んじて引き受けるつもりだったけど。仕事も一生懸命で甲斐甲斐しくて可愛いし少し派手でとても綺麗な人だった。その人から私はこの人を若さに任せて奪い取ったのだ。

絶対に八つ当たりされると思ったのにとても優しかった(というか多分普通だった)怖いくらいに。

その晩は古いストーブの音を聞いて、遠くで聞こえる気がする雪の音を聞きながら暗くて何も見えない自分の未来を必死に瞼の裏の光の先に見ようとしながら眠った。


翌朝顔を洗い着替えて、お線香をあげさせてもらって朝食をいただく。

富士急にでも行けばいいのにと言われたけど、
絶叫マシンには乗れない為あまり魅力は感じられずひたすらコタツでテレビを見ていた。

私には興味もないと思っていた「幸せ」という意味の英単語を名付けられた1番であるその子が男が席を外している間に私の側に座った。耳をムッという感じで上げながら。

とても顔が可愛かった。懐いてくれたら溺愛するのもわかる。

気を許してくれたのかな?とか思いうかつに手を伸ばすと「ワン!」と吠えてまた唸った。

この子の家族は今ここに誰もいない。

大好きな人の彼女という存在が気にくわないのか。なんだか勝手にライバルにされてるのかと腹が立った。そんなんじゃない。

「別にあなたのご主人様とらないよ。どうせもう二度と会わないんだからそんなに嫌わないでよ」
怒りのような、よく解らない感情が溢れて恐る恐るそっとその頭に触れた。


雪はまだ降っていた。
昼過ぎにバスが来るから、とそそくさと東京に帰ることにする。

帰り際に「また遊びに来なさい」と父親に言われた。

嘘つきな私は
「また来ます。ありがとうございました」
精一杯の社交辞令を言って完璧に演じてみせた。そのつもりだ。


帰りの東京行きのバスを待っていた。雪の多い地方だからかバスの待合所にストーブがあって、引き戸の窓ガラスは真っ白に曇っていた。

近くの売店で家族へのお土産を買って待合室の扉の隙間から昨日とがらっと変わった真っ白に埋め尽くされた景色が見える。

「きれい…」


もう
二度と来ないよ。

こんなに一緒にいて辛くてすぐ怒る人。この人が私に何をしたか知らないでしょう?結婚したら間違いないとか超親バカ。みんな嫌い。大嫌い。

それでも
あの人達が大事に育てた子供なんだ。

大切に思っていて
幸せになって欲しいから怒るんだ。
立派になって欲しいんだ。

そして
人前では戒めるように
良い息子だって言うんだ。

いい親だね。


私は二度とこの景色は見られない。
それだけは残念だと思った。

「幸せ」と名のついたあの子にも
きっと二度と会わない。  

その数ヶ月後私はその男とお別れした。仕事のお陰で距離も出来たし大義名分を手にしたから丁度良かったのだ。よく言う「狭い鳥籠からの窓の外を見ている感覚」その小さな世界から飛び出したのだ。

もうあの時の誰もここにはいないし何もない。

泣いても泣いても泣ききれないほど悲しいことも大好きな人達を初めて憎んだことも全部無かったことになるような…

もしかしたら私は幸せなのかもしれないと

そう錯覚するほどに美しくて白い世界を、もう一度くらい見たいと思った。

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