見出し画像

数年ぶりに墨をする

子供の頃にしていた習い事の中に書道がある。小学2年生くらいの頃だろうか。私の字のあまりの汚さを嘆いた母が近所の書道教室に入る事を勧めてきた、かどうかは最早定かではない。ピアノに通ったのはおもちゃのピアノを弾くこととお遊戯で歌うのが好きでヤマハの教室に入れてもらったからだったが、今思うと貧乏だ貧乏だと思って生きてきた幼少期だけど、私の習い事には随分とお金をかけてくれたなと思う。

教室は近所の物凄く古いアパートの一室で。低い机が信じられないほどぎっしりと敷き詰めてあるところだった。一人当たりのスペースはとてもコンパクトだが子供が多かったので問題はなかった。

私は小学1年生の頃に学区外に引っ越した為、そこの教室には違う小学校の子達が沢山いた。同級生も多く、余所者の私は直接的じゃないにしろちょっといじめというか、悪口を聞こえるように言われたりしていたなと思う。いじられやすい容姿だったとは思っているが、言われっぱなしも腹が立つので私は実力で黙らせた。とか言うとすごそうだけど、とにかく遅くまで教室に残って練習して上手く書けるようになった。思い出すだけでそのお習字意外の部分でバチバチになる女子特有のそれを自らもやって、もう飽き飽きとなったのは思ったより早い段階だったかもしれない。だから私は女子の部活動に心が動かないのだけど、これはまた別の話。

甘くもなく酸っぱいだけの思い出に顔から火が出そうである。

当時は「会長先生」と呼ばれるそれはもう歴史上に名を刻んでいそうなすごみのあるおじいちゃん先生と、その奥さんの2人が指導していた。

会長先生はとにかく怖い。背筋が丸くなっていて怒られる。うまく書けない、言われたことが出来ないと怒る。とにかく怒る。時には手が出てくる。1人が何かやらかすと「もう見ない!」と怒り狂って「え…どうする?」みたいな空気になる。私はなんとかそれをうまく交わすことばかり考えている狡賢い(賢いかは不明)子だった。お手本をなくせばゲンコツなので、友達のお手本を写させてもらったものだ。会長先生ごめんなさい。

先生は元気な頃は恐怖しかなかったけど、外部の人もくる書き初め教室の時は少し優しかった。流石にあんなに怒る先生では今後子供を通わせようとか思う親はいないだろう。だから書き初め教室は好きだった。あと、奥さんの方が特製のハラシライスとカレーを振る舞ってくれるのだけどこれが美味しかった。

何年か通っていた頃会長先生が休みがちになった。「今日は会長先生いない?ラッキー」みたいな感じでのびのびしてると、夕方ふらっやってきたりしてぴりりと教室は引き締まった。会長先生は病気だったと記憶してる。

会長先生はとにかく厳しかったけど、しっかりと実力はついた。絶対に学校の書き初めでは金賞を取れたし、中学の書道の先生にも気に入ってもらえて世界中の学生が作品を出す展覧会にも推薦してくれた。とんねるずのことを教えていたことがあると言っていた、この先生もお年はいっていたが鮮やかなブルーのスーツを着こなす長身のなかなか変わった先生だった。

いつのことだったか会長先生が亡くなったと聞いた。お葬式には仲は良くないが最後まで辞めずに残っていた男の子2人が参列したらしい。私はピアノの先生も、会長先生も、おじいちゃんも亡くしていたけど死というものがリアルじゃなかった。この世にいないというのがなんだかリアルじゃなかった。


ここまで書いておいてこの話は墨をする話である。数年ぶりに墨をすってみた。私が人と関わるきっかけになっていたものだし、やりたいなと思ったから。

墨をするのはとても大変で面倒な事だと思っていたけど、思いの外早くすれた。その墨で中学生の時に購入した半紙に文字を書く。筆は新しいものも買っておいてあったけど、あの頃のものがまだ割れていないのでそれを使った。

文字を書くときは手で書くのではない。体を動かして書くんだ、と口を酸っぱくして言われていた。入りや止め、はらい、はね。言われたことをなんとなく思い出した。何より体が覚えている。

私は怒る人が嫌いだ。けど、会長先生の怒りには悪意がなかったんだなと今は思う。純粋に「なんで言うこと聞かない!」「なんで出来ない!」という感情。それだからいい、とは思わないけど、期待の気持ちもあったと思う。中学生で大人の分でも段を取って、私は少しは期待に応えられるようになっていただろうか。聞く術はないけど私は会長先生のことを忘れたことはない。

その教室ではペン習字と毛筆を教えていて、毛筆をするときには必ず筆で線を書く練習をする。初めは横に平行に同じ間隔で。次は縦に。そして斜めに。縦横がうまく弾けないと斜めに線を引いてもうまく行かない。これを気が遠くなるほど繰り返して、それが合格しないと文字を書かせてもらえないのだ。

初心に帰ってやってみた

あの頃を思い出して基本からやってみたがこれでは私は文字を書かせてもらえないだろう。

やってみて思い出すのは何度も何度も注意されたところ。それは今の手癖で忘れていても半紙に向かえば思い出す。整うというのはこういう感覚に近いのかもしれない。

こんな風にたかだか墨をする為に子供の頃の思い出が蘇ってくるわけで、なかなか静かに瞑想みたいにとはいかない。だけど、自分の中のアーティストとのデートとしては非常に有意義なものだった。また遠き日々を反芻しながら墨をすることもあるだろう。

この記事が参加している募集

#今日やったこと

30,859件

よろしければサポートお願いします。 素敵な作品やサービス、文章を届けできるよう頑張っていきます!