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うすいくちびるに意味はない


長かった戦いが終わった。


2023年になったばかりで稼働が実質2日だというのに28時間近く作業をしているのはどういう事だろう。そんな作業が期限の30分前に終了し、1ヶ月ぶりくらいに音楽を聴いた。作業中にBGM程度に聴くことはあっても浸ることはしなかった。一度そちらの世界に入ってしまえば、現実世界の仕事など二の次三の次になるから。

明日も仕事がある。分かっている。それにもかかわらず新年一発目にようやっと書いているのは何故か。あれだけアウトプット出来ないことに悩んでいた。理由は簡単だった。本当に書きたいことを書いてはいけないと思っているから。


これを書かなかったら、この気持ちを書かなかったら、私のどんな綺麗なことを書いたとしてもそれはなんの意味もない。どこに書くべきか、とてもデリケートなこと。面白くもおかしくもない話。



たまたま聴いていた音楽。私はそのバンドが好きだった。そしてボーカルが好きだ。こんなこと普段どこにも言わないけど(言えないけど)私の性癖におそらく多大な影響を与えていると思われる。その才能も佇まいも、彼らの作り出す音楽も本当に全ての要素が好きだった。


2023年はライブに行きたいなと思っていて、色々見てみたいアーティストはいるけど結局彼らだよな、と思う。そしていつものように検索魔としてライブ情報などを探していたら、爽やかな写真と共に現れた下世話な記事。くだらないと思いつつ怖いもの見たさで開いてしまうのは職業病か。結局私はゴシップ好きなしょうもない人間なのか。私は自分で思っているよりも汚く、普通と呼ばれる大多数の人間だと認めよう。勝手に聴いた話でどうこう思うしょーもない人間だ。だからこそこんな夜中にこれを書いてる。

記事にはそのバンドのボーカルの不貞行為について書かれていた。

彼の生い立ちや恋愛についてはエッセイなどで見ていてかなりぶっ飛んでいる感覚をお持ちだな、と思ったから「まぁあるよね」という感じで見ていたらこの話は割と最近の話だった。


大昔も好きなアーティストのこんなような記事を見たことがあった。その時はなんだか(勝手に)裏切られたような悲しい気持ちになって泣いた記憶がある。ファンならショックを受けることもあるだろう。信じてたのに…って。私は何を信じていたのだろうか。


ただ今日の私は全くショックでもなく、ああ、となった。むしろこれまでなかったことが不思議なくらい。報道されてないだけでいっぱいあるんじゃ?と思っていたし、彼の書く歌は恋してないと、聖人君子であったら書けないよと思うから、芸の肥やしじゃないけどそうだろうよと思ってしまった。実際にファンの人も幻滅したという人、妙に納得している人それぞれいるように感じた。それよりもライブしてくれって。そんなことはいいからこれからも音楽届けてくれって。謝罪の気持ちで辞めたりする人もいるけどそれは嫌だ。

そう言えば久しぶりに音楽を聴いたと書いたけど、聴いて(見て)いたのはライブ映像だったのでコメント欄に「負けないでほしい」と書いている人がいて、なんだ?なんか悪いことしたんか?とか思ったりしたんだった。最近のコメントだったのだろう。

法律があるから、これは悪いこと。そういうことになる。分かってる。私だって当事者になれば正気じゃいられない。けど、そんな話、そこら辺のどこにだって転がってる。そして同じように捨てられてる。だから仕方ない、にはならないけどあるんだよ。


どんどん心の仕組みが解明されていって、SNSでどんどん繋がって見られて人生に関係ない人にまで評価されるようになって、これすると印象悪いからしない、人を傷つけるから、では済まないこともある。だから魔が差すなんて言葉がこの世にあるんだろうと思う。



こんな状況に怒りもなければ、そう思ってしまう自分が「あの頃」涙した自分とはかけ離れすぎていて悲しい。


その悲しいってことすらとんでもなく薄口。


とことん私はこの世に生きているのに生きていないみたいに感じる。だから利用されたり都合よいようになったりするんだ。


そしてそのことにも今は特に感情が動かない。


人としての印象が悪くなってしまうようなことを思ったりすることがあるのに、その本当のことを出さないで何が生きるなのか。


こんなことも言えない世界なら生きてる意味ないでしょ。


倫理観も持ち合わせた上で、それでも思うことは自由でいいと思いたい。明日には変わるとしても。



こんな深夜に言いたいのはそれだけだった。それだけのくせにダラダラと。面倒くさいやつだ。こんな感情、あなたにとってなんの意味もないのだ。



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