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もう少し不幸せでいさせて

滑稽だな、滑稽だ。変わりたい変わりたい言って変われない。こう生きたいが見つからない。覚悟決められないくせに諦められない。矛盾してる。一本の線の上でマイナスの方にだけふれているみたいだ。


「自己肯定感が低いんですね」と言われて、ああその通りだし、心のプロではない方にもそう指摘されるくらいだから相当だなと、思う。あと電車で涙ポロポロ出るくらいには元気がなかった。なんだか最近の私は自分を下げて下げて出来てない出来てないばかりでモラハラ彼氏と付き合ってた時の昔の私みたいだった。


「私の言う事なすこと全部間違い」


そんなひどい事を自分に言っていたなんて、よく生きていてくれたなと今では胸が熱くなる。うん、頑張って生きてた。



変われないのはさ、変わる気がない。変わりたくないならずっとそこで震えてればいい。そうなんだ…そうなんだけど…けど、けど、でも、でも、しか言わない私の言動は側から見ていても本当に気持ち悪いだろう。こんな風に思う必要もないんだと頭では分かっているのにね。自分らしく生きないからだ!って、昔の?未来の?私の声が聞こえる気がする。


こんな時にまだ自分を叩きのめすものを取りに行く自分と、反対に「自分の感覚を信じたい」自分もいて大忙しの脳みそ。


一時の盛り上がりで私はいい返事をする人間だが覚悟が圧倒的に足りなかった。やると言った以上やらねばという思いはあっても気持ちが追いつかないので辛いのだ。それでも気合でやると決めたからとできる人たちには頭が上がらない。私の不満やマイナスをプラスに変えたい、こうなりたいっていう思いはまだプラスに転じるのには足りていないのかもしれない。こんなもんじゃ、この程度の不幸せではバネにものんねーよってことなのかもしれない。


こうなってくると私のドMさにもため息が出る。認めてしまった方が幾分か楽だ。こんな状況でも、満足ではないけどそんなに不幸だなんて感じていないのかもしれない。実際感じていない。気の置けない友人もいてくれる。毎日美味しいご飯が食べられて、派手な遊びは出来ていないかもしれないけど、やりたいことを全て叶えていなくても幸せだと感じることばかりだ。そんなもんで満足するなと言われると、じゃあ何も幸せを感じず不幸でいてくれよということなのか?混乱する。

かもしれないというのは自信のなさから来る発言だけど、わたしの中では私の中で湧いてくる感覚だから世間の正解も不正解もない。私の中では、そういうことになっている。私はこんな状況と指さされる状況かもしれなくても小さくても喜びがある。だからこそ、絶望するにはまだまだ足りない。




よく私は優しい人と言われる。それは人に優しいという感じでもない。「本当の優しさ」という言葉を良く言う人がいるけどそこには相手に必要な厳しさ、いわゆる愛があるらしい。本当、なんて自分の中にあるものと思っているから、らしい、としか言えないのだけど、確かに「いいよいいよ」だけが優しさではない、というのは同意だ。だとすると私の優しさはちょっと違う。傷つけないけど構わないというような肌あたり優しい、だけど踏み込まないみたいな感じ。

本人は愛がないわけでもない。若い人の絶対痛い目見る恋愛をただ見守るような優しさだ。だってやり切らないとやめられないし。自分の経験上辞めたほうがいいって思っても相手にとってはそれがベストかなんて分からない。自分にとっては結果良かったとしても。だから「放っておく」。何かしら心が決まって事が動いた時に落ち込むのか、それともそのまま別々の世界を生きるのかは分からないけど落ち込んで頼られたらただ話を聞いて話をして慰めにもならないことを言うだろう。

嫌われ役を買って言ってくれる人の愛もあるとは思ってる。ただそれを受け取ってそのようにするかしないのかもタイミングも、私次第になるから。私はそういった形の愛を受けとる時は傷つきながらだ。言うことを聞けなくてごめんなさい、と。受け取れないことも悲しい。


この状況を馬鹿馬鹿しくなるまで味わっていかないと私は結局やめられない。どんなに1番に思ってくれなくても、それでもあなたが大好きだよって、あの東京の雑踏に溶けていった気持ち。やりきると決めないと愛せない。ならば私は決めているのか。愛すると決められているのか。


前述した通りに私は幸せを感じている瞬間は増えている。少し前は不満ばかりだったけど、表現活動を日常に取り入れてから誰かが不幸だと思うような状況でも喜びを見つけている。だからといって、これでいいと思ってるわけではない。叶えていきたいこともある。私は私を諦めてはいないし、このまま死のうなんて思っていない。今はそれでいい。その気持がきっとこの先の勇気の材料になる。



願いを叶える、理想の自分になる。そのことに「本当の自分である」ことが必要だとするならば。そこから放たれる本当の輝きが必要だとするならば・・・


私のこの、おかしな「なんか感」をそのままこうやって形に出すことは避けられない。これをやりたくてやってる。自分に酔いたくてわざわざやってる。私は私の人生盛り上がってる。それが気持ちいいし。幸せばかりではいい歌詞は書けない。彼氏がいて幸せです、だけじゃいい歌なんて作れるわけねーだろとは、学生時代の恩師EMIさんの言葉。私は私の世界感を表現するために生まれている。私はこの不自由さ、この情けなさ、この何とも言えない理解されない悲しさも愛してる。まだ足りない。こんなもんじゃない。



これが全てひっくり返る時に私は世界の素晴らしさ、生きてきた喜びを感じるのだから。

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