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【無料】あと211日(たぶん):地続き

7月26日
 後輩たちには闘う姿の背中を見せることで鼓舞できればと思っていた。飲んでいた時は夜な夜な酒を飲んではどういうことを考えて、なにに苛立って、どういう不安があって、どういう夢があってと包み隠さず露わにしてきたつもりだ。アガる音楽や動画を共有したりもした。それは後輩に言っているようで、ひっくり返って自分自身に対する鼓舞でもあった。
 酒をやめてから、そういう時間を過ごすことが減った。同時に仕事も増え、やるべき作業も増え、夜の時間を制作にあてるようになった。入ってくる仕事の感じが少し変わって、周りも同じように、というか自分以上に牙を研ぎ続けているような環境に放り込まれて、後輩のことを考える余裕もなく、とにかく必死に自分がこの流れからふるい落とされないように汗をかいた。そのおかげで自分でも分かるくらいに成長できた気がしている。
 気づけば少しずつ客観的な結果もついてきた。入門した頃から目指している位置は変わっていなくて、ずっとそこを目指して走ってきた。でも実績もないし、もちろん実力もないし、どれだけ自分の進む道に光が見えてても、それはほとんどの人に理解してもらえなかった。ただ奇を衒ったことをやっているだけのやつ。どうせすぐに飽きられて見向きもされなくなるやつ、みたいに思われていた。もちろんそう思われる理由もわかったし、だからこそやりがいもあった。あれからまだ10年くらいしか経っていないから、この先どうなるかは分からないけど今のところはまだまだ戦えていると思っている。相変わらず横を見たら才能がある上に努力もしている猛者が何人もいて、上を見上げたらそこに見える影は途方もない数で。でも、あの時ああだこうだ言ってきた、言ってしまえば足を引っ張って自分と同じ土俵に引き摺り込もうとしてきた人たちの手は振り切れた気がする。もうほとんど現場で会うことはないし、それが勝負の場となれば尚更だ。戦っていれば、必然的にそういう人たちと一緒になる機会が増えて、そこで手応えある高座をできる音あれば不甲斐なさに泣きたくなることもある。でも、そういう場所にいられることがまずは何より貴重なことだ。人は環境に流される。一人で抗えるほど強くはない。

 ところでいつからか、後輩たちに闘う背中を見てもらえていない気がするようになった。「たまたま吉笑兄さんは恵まれていて、今の環境にいるだけで、それは自分には当てはまらない」と思われているような気がする。いや、全然そんなことなくて、当たり前だけど、談笑の一番弟子として入門して前座になって、まだ何でもなかった自分がそこにはいて、そこから相変わらず試行錯誤の毎日を過ごしている先に今があって、それはあの頃の自分と間違いなく地続きだ。高円寺で飲んだくれて、売れている人の悪口を言うだけの日々を送る未来へ繋がる道ももちろんあったけど、何とかそうはならずに、悪口を言われる側のルートに進むことができている。うまくいったことも、失敗したことも、どちらもたくさんあって、その積み重ねの上で今の自分はここに立っている。


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