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【無料】あと245日(たぶん):最初のネタ

6月22日
 今年も『やついフェス』に出演させてもらった。たまたま同じ日にシブラクの出番もあって、近場での移動となった。シブラクの方は時間が少し余って回ってきたこともあって、マクラなしで『くじ悲喜』をやった。このネタは去年のトライアルくらいからまた一段階良くなった気がしていて、こんなこと自分で書くのは変だけど、近頃は客席からうねるような熱気を感じることが珍しくないくらい自分にとっての勝負ネタになっている。そんな高座を勤めるきっかけになったのはトップ出番の信楽さんの『腰痛』というネタに触発されてということは間違いない。信楽さんとか昇咲さんとか、お笑い文脈でのネタ作りに長けた後輩が少しずつ増えてきた。勝手にかつての自分を見ているような気がして懐かしかったりする。その上で今の自分は「落語だからこそ」という表現に対する解像度が少しは高くなっている気がしていて、だからこそ彼らの高座を聞くと、翻って自分のネタや、「そもそも落語ってなんだろう」と考えるきっかけをもらえたりする。

 そんな翌日に広小路夜席の企画で初めて作ったネタ『見たことも聞いたこともない虫』をやることに。擬古典であることや、理屈のこね方など、すでに僕の作品という片鱗が垣間見える。台本だけ公開して「誰のネタでしょうか?」と質問したらほぼ間違いなく「吉笑」と当てられると思う。そうやって自分の色を濃く反映させられているのは作り手としてはプラスともマイナスとも取れるけど、駆け出しの若手落語家にとってはプラスが勝っていたように思う。「吉笑と言えばこう!」という型を早い段階で提示できたことで、もちろん「生理的に受け付けない」という風に感じられる人も生んだけど、それ以上にそんな自分の色を好んで求めてもらえることは増えた。そしてもちろん今の自分の脳みそでこのネタに触れると、アラもたくさん見える。
 ロジックが勝ちすぎているのは、反対に演芸らしさを損ねることに直結しやすいから、そこへのケアを何かしら考えるべきだと思うよ。笑いの文脈へ討って出たいと言ってる割に落語文脈を利用した表現になっているのは矛盾していないかい?

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