5/2 忌野清志郎・十三回忌・日本語ロック

仏教のルールで、まだ生きてる者の心性にとても合っているなと思うのは、年忌があることで、1・3・7・13…とそれぞれに意味のある数ごとにその人を思い出すことを促す。この間隔がちょうどよく(個人差はあります)て、17・23・25・27・33…50と続いていくらしいです。
二十三回忌~二十七回忌の畳み掛けるところなど非常にエモーショナルですね。三十三回忌なんてのはメジャーですが、周りの縁のある方々が直接参加できる最後の機会になるからかもしれません。

五月二日は忌野清志郎の十三回忌で、忌日をあらかじめ織り込んでいるようなその名は、誕生の瞬間からスターになることが決まっていたかのような人でありました。
他の偉大なミュージシャン同様に清志郎さん自身が色々な音楽から影響を受けてきたし、後進もたくさんのものを受け取りました。それでも何処にも回収しきれない奇跡のようなオリジナリティが輝いている。

歌をうたう場合に、まず言語の問題があります。こんな言葉はどんな音楽に乗るのかな、その相性というものがあって、昔この国で「日本語はロックミュージックに乗るかどうか」という議論があったという話も聞きます。
そうした時期に清志郎さんの存在は物凄くインパクトがあったんだと思うんですが、清志郎さんの音楽を聴いていると、日本語がロックにどうこうというより、ロックが日本語にしたがうことで国内での自己実現を遂げたような圧倒的なものを感じます。
歌謡曲の詞が曲に回収されて、メロディに支配されて言葉本来の音が失われてしまうことが当たり前になっている世界で。
清志郎さんは日本語のイントネーションをそのままに歌っていた。この歌唱法は、とても自由だった。初めて聴いたときの奇妙な印象は忘れない。他の音楽とまったく違ったからだ。まぎれもない「日本語ロック」がここにあります。日本語史上に光る業績です。

RCサクセションが「日本の有名なロックンロール」としてカバーしている坂本九『上を向いて歩こう』。

https://www.youtube.com/watch?v=dIALs_LvEKE
これをお聴きになれば一発でわかります。もともとの歌詞を、日本語の音に戻して歌っている。素晴らしくポジティブなロックになっています。

清志郎さんは『君が代』も歌っています。

https://www.youtube.com/watch?v=UwodtldRCuQ
こちらは曲のメロディの通りにきちんと歌っています。ところが、それゆえの違和感が大きく、それ自体不協和音のように響く。曲にもともと備わっている非日常性を最も強く感じさせてくれます。「君」とは、今目の前にいるあなたのことだ。

なにせ、演奏開始のカウントが「ワン・ツー・さん・し」だし「Baby」は「ベイビー」と和訳される。自転車に乗るし、ほら貝も吹くし、がんにも罹患する。老人にならなかったのは残念で仕方ないけれど、この方の人生という、こんな凄い出来事って過去にあったのでしょうか!

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