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書を捨てようが町へは出れなかった

寺山修司監督作品「書を捨てよ町へ出よう」を鑑賞致しました。

タイトルは1度ぐらい皆聞いた事あるんじゃないかな~と思います。
たてかなは1年前かな? に取ってた授業で「身毒丸」を見てからめちゃくちゃファンです。
それ以前もアーバンギャルドとか、筋肉少女帯とか好きだったので寺山修司、名前だけは存じ上げておりました。
今年2月ぐらいに「田園に死す」を見て、はちゃめちゃに性癖に刺さったので家にいる時はずっと田園に死すを流して生活していました。よく眠れる。
なんかこう……アングラが切れると気が狂うので。

感想

正直「田園に死す」の方が好きですね。
理由はほんと何となくとしかって感じなんですけど最初に気になったのは音響ですかね。
J・A・シーザーの音楽がマジでトランスできてサイコー、なんですけど「田園に死す」よりシーザー感が少し薄い……? って思っちゃいました。
あと自分が「田園に死す」の方が好きかな? って思った1番の理由は

田舎と都会

ですね。
「田園に死す」は田舎のアンダーグラウンド、「書を捨てよ町へ出よう」は都会のアンダーグラウンドかなって感じがしました。
たてかなは田舎で育ったので、都会の背景を持っていません。大学で上洛はしましたが、そんなディープな所には突っ込んでないですしね。
1年のサークル歓迎会で三条に出た時の帰りに道に迷ってピンクなお店の周りで黒服見かけたぐらいです。

「田園に死す」のしんちゃんが家を出たい気持ちは結構わかるんですよね。
田舎は窮屈なので……「田園に死す」に比べたら自分の生まれたとこはまだ都会じゃないかなとは思ってますが。
田舎はコミニュティが少ないし、似通っているので、1つのコミュニティから溢れたら生存が難しいと自分では認識してます。

一方都会は、人の多さからたくさんの多種多様なコミュニティがあると認識しています。
要するに、選択肢の数ですね。
「書を捨てよ町へ出よう」の英明くんはそんな選択肢が多い都会で暮らしているので、勝手に田舎は窮屈だと思ってるたてかなはこの人自由なのになんか幸せじゃないな……と思っちゃいました。
ま、主人公に共感できるかの話ですかね。
この辺は主観でしか測れないので、難しい。

あとたまに画面カラーが緑とかピンクになる演出で、初めて「あー! 目が痛い色ってこんな感じか!」って思いました。
普段原色大好きマンをやっているので、「これ目痛くない?」って聞かれてもわかんね……って悩んでたんですが、こういうことなんですね。学び~

映画館に座って~みたいな焚き付けはコンテンツの「消費者様(笑)」には結構痛かったんじゃないでしょうか。
性格が最悪なので書き方も最悪になってしまう。
現代は誰でも作る側に行こうと思えば行けるので、劇に例えたら役者も観客も巻き込まれてるみたいな感じですかね。
寺山修司の演劇論の本も読んでるんですが、そんな感じの劇を上演して揉めたみたいな話も書かれてました(端折りすぎでは?)
なんと言うか、ある意味芸術も大量消費社会みたいなところが近年見えるので、作り手はどう消費されたいか? 消費者はどう消費したいか? が大事になってきそうだな~と思いました。
寺山修司の「忘れられないやつになりたい(端折りすぎ)」みたいな言葉があるんですが、それがよく出た映画かなって感じです。

なんか割と真面目に書いてるから母を捨てる話はやめとこ……もっと寺山フリークスみたいな人の方がわかりやすく話してくれそう。
寺山修司歴も人生経験も浅井長政だから……

何だかんだ言ってますけど

「書を捨てよ町へ出よう」はめちゃくちゃ好きです。

いざどう好きだった? って言われると困りますが……好きに理由をつけるのはナンセンスだと思っているので……
個人的にアンダーグラウンドって一見気味悪……みたいに思いがちなんですが、見世物小屋がそうだったように、社会に居場所がない人を受け入れるみたいな機能もあると思ってるので、実家のような安心感ですね。
って書くと痛てぇやつ~とか思われそう。まあ何人痛がってもたてかなは痛くないんで……問題ないですが……

Amazonプライムで見れるから皆見てね~! (投げたなコイツ)

タイトル回収してなかった!

現代では読書やめてもインターネッツの情報を流し見て世界を知った気になってるみたいなよく言われてる話からイメージしました(おもんな城跡に埋めるぞ)。

では、またお会いしましょう~!

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