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父親の墓

「……お前の計画はなんでいつも、俺が手伝うこと前提なんだ?」
「えー、いいじゃん。兄ちゃん、ずっと家に居るんだし」
「在宅勤務って言葉の意味わかってんのかお前」

 とかなんとか言いながら、兄ちゃんはしっかり運転席に座っている。この分だと有給取ってくれたみたいだ。助かる。

 今日は水曜日、現在時刻は午前7時すぎ。後部座席には、でっかいスコップとバケツ。あとはレジャーシートとか、日除けのパラソルとか、思いついた物を思いついただけ積んである。

 エンジンが掛かった。ETCカードが挿入されていません。起動音を上げたばかりのカーナビに手を伸ばし、兄ちゃんが僕を見る。

「で、目的地は」
「海か山か迷ったんだけどさ。やっぱ、山かなって」
「……その心は?」
「え……勘?」
「さいですか」

 兄ちゃんはため息と共に、カーナビから手を離す。そしてスマホを取り出して、なにやら検索をはじめた。

「えーと……兄ちゃん、なにしてんの?」
「…………あった。インターのとこのワークマンなら早朝でも空いてる。寄ってくぞ」
「へ?」
「鎌とかノコギリ要るだろ。山だし」
「あー」
「ああ、あとあれもだ。ノミと槌」
「え? なんで?」
「なんでってお前、要るだろ」

 キョトンとした僕に、本気の呆れ顔で兄ちゃんが言葉を続けた。

「どうやって名前掘るんだよ、墓に」
「おー……確かに」

 ──確かに、名前掘らなきゃ墓じゃないわ。

「……兄ちゃん、何気に乗り気じゃん」
「るせぇ。やるからにはとことんだ」

 僕が思わず吹き出したのと同時に、車が走り出す。僕はシートベルトを確認しつつ、兄ちゃんに声を投げた。

「ありがと、兄ちゃん」
「はいはい」

 僕らはこれから、墓を立てに行く。
 ……父親の、墓を。

***

 7時30分、ワークマンに到着。兄ちゃんが鎌やらノミやらを選んでる間に、僕は道向かいのローソンで朝飯を調達。

「740円です」
「はいはーい」

 返事をしながらポケットを探──あ、財布ないわ。……スマホならある。セーフ。

「……すんません、Suicaで」

 僕が車に戻ると、程なくして兄ちゃんも戻ってきた。後部座席に諸々を積み込んで、車は再び走り出す。

 兄ちゃん曰く、うちから一番近い山は、その名を足立山というらしい。登山道入り口まで、車で30分ほど。サンドイッチを齧りつつ運転していた兄ちゃんが声を投げてきたのは、少し長い信号待ちの時だった。

「今更だけどお前、今日授業は?」
「安心して、サボりじゃないよ。シンプルに授業ない日なだけ」
「…………」

 兄ちゃんがチラッとこっちを見て、サンドイッチの残り半分を頬張った。そして袋を片手でクシャッと潰して、低めの声でもう一度問いかけてきた。

「本当のところは?」
「……出席なしの授業がひとつ」
「……単位落としたら許さんからな」

 いつもなら雷が落ちるところだけど、今日はセーフだった。

 天気予報によると、今日もめちゃくちゃ暑いらしい。そのせいもあってか、ご時世も相まってか、足立山登山口の駐車場には1台も車がなかった。トランクを開けて荷物の整理をしながら、兄ちゃんが声をかけてくる。

「で、調べたか?」
「あ、うん。そんな重装備でなくても大丈夫だって、足立山」
「そうか、よかった」

 僕はTシャツにジーパン。兄ちゃんはポロシャツとスラックス。足元は二人ともスニーカーだ。ガチの山なら流石に諦めるところだった。

「まぁでも、低い山でも一応長袖は着といたほうがいいってさ」
「そんな気はしてたんで、ワークマンでシャツ買っといた」
「さっすが兄ちゃん」

 兄ちゃんが投げてよこした長袖シャツに袖を通して、僕らは登山道へと踏み込む。

「とりあえず山頂を目指すでいいのか?」
「うん。父さん、眺めがいい方が喜ぶかなって」
「どうだろ。薄暗いとこが好きだった可能性もあるぜ?」
「そんときはまぁ、この機会に明るいとこも好きになってもらうってことで」

 ……そんな軽口は、5分ともたなかった。

 そもそも、あまり人が出入りする山ではないのだろう。登山道の草は伸び放題だし、階段も崩れまくっている。足を取られて体力消費がえげつない。なんとか気を逸らしたくて、僕は先を行く兄ちゃんに声を投げた。

「本当は、はぁ、こういうとき、ちゃん……と、ぜぇ、登山記録とか出さなきゃ、はぁ、だし……地図も、持って、な……きゃ、はぁ、はぁ……ダメなんだってさ」
「知ってる。じゃなきゃ、俺たちが遭難したとき誰も助けに来れないからな」

 遭難。兄ちゃんのそんな言葉を聞いて「いやいやないない」と言えるほど、僕は馬鹿じゃなかった。

 スコップ、鎌、ノミ、槌、バケツ。あとはペットボトルに、コンビニ弁当。控えめに見ても大荷物。そして地図とコンパスはスマホ頼りで、服装は軽装も軽装。おまけに僕に至っては運動が苦手ときたもんだ。

「はぁ……ぜぇ……遭難したら、ニュースに、なったりして。“兄弟で遭難、超軽装”みたい、な?」
「“顔も知らない父親の墓を立てにきた、などと供述しており……”ってか?」
「ウケる。絶対それ、はぁ、バカ兄弟じゃんそれ」
「お前が言い出しっぺなんだがな?」

 僕らは、父親の顔を知らない。

 彼がいなくなったのは、兄ちゃんが2歳、僕が3ヶ月の頃のことだった……って、母さんが言ってた。

 なんで居なくなった、とか、今どうしてるんだ、とかは、聞いたことがない。なんというか、子供心に「聞いちゃダメなんだろうな」と思っていたし、今でも思ってる。……なんせ家には父親の写真なんて1枚もないし、母さんの普段の会話の中に父親は影も形も存在しないから。

「はぁ、はぁ……ひぃ……」
「………………」

 しばしの間、無言の時間が落ちる。蝉の声と、僕ら兄弟の息遣いだけが山道に響く。舗装された道を越え、岩場を抜け、簡素な階段を登っていく。

 やがて、少し開けたところに鎮座するでっかい岩を見つけて、僕らはそこで荷物をおろした。あーやばい。心臓がバクバク言ってる。汗止まんない。

「ほれ、ポカリ。飲め」
「……あー、ありが、と……」
「死にそうだな」
「兄ちゃんは、はぁ、なんでそんな元気なの……」
「いや、しんどいはしんどいが……リングフィットが効いたかな」

 大岩に寝転がった僕が息を整える間に、兄ちゃんは僕のスマホで現在位置を確認している。しばし「えーっと?」「あれ、この等高線が……?」などと格闘していた兄ちゃんが、「おお!」と元気な声をあげる頃には、僕の息はすっかり整ってしまっていた。

「喜べ。もうすぐ山頂らしいぞ」
「兄ちゃん」
「ん?」
「そこに立て札がある」
「…………」

 僕が指差す先には、“足立山頂 100m”と書かれていた。
 肩を落とした兄ちゃんは、僕にスマホを投げ寄越しながら問い掛ける。

「……で、こっからどうする?」
「んー。流石に、山頂に墓立てるわけにもいかないしなぁ」

 言いながら、僕は辺りを眺める。大岩の裏のあたりに、獣道。僕らでも立ち入れそうだ。

「……あっちのほう、行ってみる?」
「登山道外れるのはヤバいだろ」
「登山道に墓立てるのもヤバいでしょ」

 しばしの口論の末、ワークマンで兄ちゃんが買ったロープをその辺の木に括り付けて、それが届く範囲で作業をすることとなった。

「兄ちゃん、これ、なんメートルのやつ?」
「20メートルだったかな」
「思ったより長いね……」

 ロープを手に、獣道を歩く。登山道よりも格段に足場が悪く、たびたび転びそうになりながら、僕らは斜面を降っていく。

 ロープが伸び切るまでどのくらいだろう……とぼんやり考えながら歩いていると、後ろから兄ちゃんが声をかけてきた。

「……ていうか、どんなとこに作るつもりなんだ?」
「え? あー。なんか、いい感じのとこ」
「いい感じのとこ」
「うん」

 すごいため息が聞こえたけど、気づかなかったことにしよう。
 そうこうするうちに、いい感じに木々が開けて青空の見える場所が見えて、僕らは足を止めた。

「いい感じじゃん」
「ああ。明るいな」

 ガチャリ、というのは工具を置く音。さて、ここからが本番だ。

「場所はこの明るいトコの真ん中でいいとして……とりあえず、いい感じの土台を作りたいところだよね」
「上になにを置くか次第で土台変わってくるんじゃないか?」
「たしかに! じゃあ、手分けして上における感じの良さげな岩を探そう。兄ちゃんそっちね!」

 そう言い残して、僕は森の中に目を凝らす。墓石とか石碑に使えそうな大きな岩とか、土台に良さげな石とか──と考えを巡らす僕に、兄ちゃんが口を挟んできた。

「なぁ、今更なんだけどさ」
「なぁに?」
「墓に使えそうな岩があったとして、俺らここまで持ってこれるか?」
「……たしかに」

 そこからしばしシンキングタイム。結果として、兄ちゃんのアイデアで、細めの──と言っても僕の腕くらいはあるけど──木を何本かより集めて墓として使うことになった。

 まずは程よい木をノコギリで切り倒す。これがしんどい。テレビではあんなに簡単そうにやってたのに、全然ノコが動かない。数秒で体力を使い果たし、呆れた兄ちゃんに丸投げして切り倒してもらった。

「俺はとりあえずこれを等分してくから、そっちの枝落としてくれ」
「おっけー」

 そこからの作業はスムーズだった。倒した木から兄ちゃんが材木を作る間に、僕は土台用の大きめの石をあたりから集める。素材が集まったら、持参した番線(これもワークマンで兄ちゃんが買った)で立てた木をまとめて縛って、周りに石を積む──

「……石、足りねぇな」
「もうちょっと集めなきゃだね」

 そうしてしばらく墓の周りをうろうろしながら、僕はふと、兄ちゃんに問いかけた。

「ねえ兄ちゃん。父さんのこと、なんも覚えてないの?」
「んー? ……んー」

 兄ちゃんの手は止まらない。スコップでちょっとだけ周りを掘って、石を持ち上げては、墓に持っていく。僕も同様だ。……うわ、デカいミミズ。

「……ううん……まじでなんもないな……」
「ないんだ……」
「まぁ、俺もアラサーだしな。2歳の記憶なんてもう薄っすらすらない薄さよ」
「アラサーっつーかサーでしょ」
「うっせぇよ」

 僕らはそうして、墓の周りに石を積む。バランス取り用に間に土を盛りながら、ひとつひとつ。普通ならこういうとき、想い出を振り返りながら……とかになるんだろうけど、残念ながらそんなものはないので淡々と積んでいくだけだ。

 大まかに積み上がって、あとはバランス整えるだけ……というところまできたとき、今度は兄ちゃんが僕に問いかけてきた。

「お前こそ、どうしたんだよ、急に」
「え?」
「墓。作るなんてさ。なんかあったっけ?」
「あー」

 ──まぁ、なんもないっちゃ、ないんだけど。
 石を積みながら、僕はしばし言葉を探す。

「……大学で、宗教論の授業があってさ。なんかそこで……生きるとか、輪廻とかの話を聞いてさ」
「うん」
「なんか……それで、思ったんだよ。墓作ろうって」

 言ってしまえば、ただの思いつき。

 ただ、それで子供の頃から思っていた、「どうして僕にはお父さんがいないの?」という疑問に、ケジメがつく気がして。

「……ただ、そんだけ」

 そこに兄ちゃんを巻き込んだことは正直悪いとは思っているけれど、できれば兄ちゃんを巻き込みたかった。これも、思いつき。

「そっか」
「うん」

 だから、兄ちゃんがそう言って笑ったのを見て、僕は救われた気がした。これで兄ちゃんも、正式に共犯者だ。

「……よし、んじゃ土台も終わったし、さっさとやるか。墓」
「うん。ひと思いに殺そう」
「言い方よ」

 カラカラと笑い、兄ちゃんが立ち上がる。放り投げた工具からノミと金槌を取り出して、僕に手渡してきた。

「名前、入れるんだろ」
「これ下書きできないかな……」
「やるだけ無駄だろ。ひと思いに殺れひと思いに」
「う。よ、よし……」

 この墓標に、僕らはなにを供えようか。
 どんな涙を流して、どんな言葉をかけようか。

「うわ、派手にいったなぁ」
「まだ二画目なんだけど……!? ちょ、兄ちゃん交代!」
「まじかよ。こっから!?」

 僕らは、彼の名前以外なにも知らない。
 好きな食べ物がなんだったのか。タバコを吸ったのか、吸わないのか。ビールを供えたら喜ぶのか。山が好きなのか、海が好きなのか。

「よっしゃひと文字いったぞ! あと何文字だっけ!?」
「4文字!」
「なげーな畜生!」

 彼の最期を僕は知らないし、もしかしたら死んでいないかもしれない。

「っしゃーあと二文字!」
「兄ちゃん大変! “乃墓”って入れなきゃなの忘れてた!」
「うっわマジかよ! そこはお前やれよな!?」
「マジ!? いやでももうスペースなくない!?」

 それでも僕らは、父親の墓を立てることにした。
 これは、僕らのケジメ。

「えーと、クサカンムリに、日に……」
「お前の今のポーズ、ヨガみたいでウケるんだが」
「こっちは真剣なんだけど!?」

 ──バカ息子二人は、あんたがいなくても楽しくやってますよって。

 ただ、それだけのお話。

(完)

 本作は2017年に途中まで書いた「父親の墓」をベースに、白蔵主さん主催のコンテスト #風景画杯 参加用に修正と加筆を行なったものです。本作はフィクションであり、通常の山に勝手に墓を立てるとか、山道を外れるとか、勝手に木を切り倒すとか、超軽装大荷物で山を登るとか、そういう諸々のアウトな行為を奨励するものではありません。絶対だめです。普通に迷惑だからやめましょう。

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