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第2話「オイラの憂鬱」 #hk_amgs

碧空戦士アマガサ 第2話
(再放送/約2.3万文字)

前回までのあらすじ)
 天気雨と共に起こる超常現象により発生する事件──通称"超常事件"。河崎晴香はその解決を使命として組織された機動部隊<時雨>の副隊長だ。彼女は調査の中で、超常事件を引き起こす怪人<雨狐>、およびその"天敵"を自称する青年<アマガサ>こと天野湊斗と遭遇する。
 雨狐を統率する存在<原初の雨狐>は、その圧倒的な力でアマガサを叩きのめした。「全ての雨狐を倒せば、雨狐の王と戦える」というゲームに挑むことになったアマガサは、<時雨>と共に戦うことを決意したのだった。

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目次

- プロローグ -

 ついこないだ大怪我で入院した晴香さんですが、退院したその日にまた怪我したとかで、今日明日は休むそうです。タキさんも同様。とりあえずトラブル時は乾までエスカしてください。あとタキさんから連絡あり、例のシステムは一旦活動停止だそうです。せっかく作ったのに……。
   ────超常事件対策特殊機動部隊"時雨"活動日報より抜粋

 都内某所、古い家屋の並ぶ住宅街の一角に、"河崎道場"と看板が掛けられた古武術道場がある。

「両者、構えて」

 時刻は朝6時。木張りの道場に響くのは、道場長・河崎光晴(ミツハル)の厳かな声。その声に応じて構えるのは、河崎晴香と天野湊斗の2名だ。両者とも胴着に身を包み、晴香はどっしりと、湊斗は軽やかに構えている。

 両者の距離は2メートルほど。互いに一歩踏み出せば拳が届く距離だ。空気が焦げんばかりの緊張感の中、立会人である光晴が、スッと息を吸った。 

「はじめィッ!」

 声と同時に、両者は踏み出す。

「シャッ!」

 先に仕掛けたのは晴香。渾身の叫びと共に放たれた右拳を、湊斗は軽くはたくように受け流す。

 その口からシュッと細い息が漏れる。晴香は咄嗟に脛をあげた。ズシン、と湊斗のローキックが炸裂。脛で受けなければ足を折られていた。晴香は獰猛な笑みを浮かべ、攻勢を強めていく──

 一進一退の攻防が続く。そんな様子を眺めながら、道場の壁に立て掛けられた赤い番傘──九十九神<カラカサ>は、ため息をついた。

『はぁ……なんでこうなるかなぁ……』

 ──事の発端は、先日の雨狐戦……100体のアマヤドリとの戦いの後まで遡る。


***


「道場の居候?」

「そ。衣食住の保証ってやつだ」

 湊斗の言葉に、晴香は頷いた。

 たくさんの人が倒れ伏す、オフィスエリア。アマヤドリの最後の一体を倒すと同時に天気雨はやんだが、雨の精神汚染の影響か誰も目覚める気配がない。そんな人々の間を歩き回りながら、タキが慌ただしく本部に連絡している。

 そんな様子を眺めながら、根無し草で行き場のない湊斗たちに対して晴香が持ちかけた提案が、河崎道場にしばらく滞在することだった。

「私たちとしても、すぐ連絡取れる場所にお前がいたほうがなにかと都合が良いしな」

「おお、それは助か──」

『ね、ねぇ湊斗?』

 湊斗の言葉を遮ったのは、その手に携えられたカラカサだった。

『本当に一緒に戦うの?』

「え、うん。今回も助けてもらったし」

『ほ、本当に……!?』

 なにやらゴニョゴニョ言っているカラカサに向かい、胡座をかいた晴香が言葉を投げた。

「なんか言いたげだなおい」

『う、うっさい! オイラは今湊斗と話してんだ!』

「ンだとォ?」

「まぁまぁふたりとも。落ち着いて」

 睨み合う晴香とカラカサを宥めたのは、湊斗だった。彼はカラカサを持ち上げながら、晴香に言葉を投げる。

「ごめんなさい、晴香さん。カラカサは色々あって人間嫌いで……」

 そしてカラカサに向き直り、言った。

「カラカサ。晴香さんはきっと大丈夫だよ」

『……なんでわかるのさ』

「一緒に戦ったから、わかる。それになにより、」

 拗ねた様子の番傘にそう言って、湊斗は深刻な表情で言葉を続けた。

「……今日もまた野宿になるのは、しんどい」

『…………さいですか』

 呆れた声でカラカサはそう言って、番傘モードに戻ってしまった。湊斗は肩を竦めると、晴香へと再び視線を戻す。

「まぁそういうわけで、泊めてもらえるとすごく助かります」

「オーケー、ただな……」

 乗り気な湊斗に対し、晴香はひとつの懸念点を告げる。

「おそらくは、<時雨>に入隊するよう言われると思う」

「? なにかあるんですか?」

 なにか特殊な事情があるのかと、湊斗が身構える。晴香は神妙な顔で口を開いた。

「……じゃないと、たぶん家賃を取られる」

「それは困る」

 かくして、湊斗は河崎道場の門を叩くに至る。


***


 ……要するにこの組手は、<時雨>の入隊試験だ。

『あーもう、なんであんな人たちに……』

「カラカサくん、静かに。隊長にバレちゃうよ」

 ぶつくさと文句を垂れるカラカサに、タキが囁く。隊長とは組手の立会人である河崎光晴のことだ。

『あーはいはい……』

 ぶっきらぼうに答えながら、カラカサは湊斗と晴香の組手に意識を移した。

 両者の実力は互角。少なくとも、カラカサにはそう見える。

 晴香の拳を湊斗が往なし、湊斗の蹴りを晴香が防ぐ。晴香の強みはケタ違いのタフネス。一方の湊斗はスピードで圧倒している。どちらも一長一短といった具合だ。

 しばし打ち合いが続き、晴香の声と、湊斗の息の音と、打撃音だけが道場内を満たしていく──その時。

「ォラァッ!」

 気合の入った声とともに、晴香は少し大振りに右拳を繰り出した。湊斗はそれを軽く叩くように受け流す。それは最初の一撃の焼き直し。しかし、続く攻防の中でスタミナが失われていたのか、それとも異なる理由からか……少しだけ、晴香の体制が崩れた。

 湊斗は後ろ回し蹴りで、晴香の腿を狙う。晴香は咄嗟に脛を上げそれを受ける。湊斗はその体制から、同じ脚でハイキックへと繋ぐ。

 それを屈んで回避し、晴香は反撃に──否。

 晴香は己の直感に従い、頭の上で両腕をクロスした。

 彼女が防御姿勢を取るのとほぼ同時に、その身を重い衝撃が揺らす!

「っ~~~! 危ねぇ!」

 晴香が防いだのは、湊斗の踵だった。湊斗はハイキック姿勢から変則的な踵落としを繰り出したのだ。

 湊斗が瞠目する中、晴香は今受け止めたのとは逆の脚、つまり湊斗を支える左脚に、足払いを掛けるべく動く。しかし──

 「セァッ!」

 そこに響いたのは、湊斗の気合の声であった。

 刹那、晴香の視界に映ったのは、湊斗の左脚が迫る様だった。湊斗は、晴香に受け止められた右脚を起点に跳躍。無事な左脚で蹴りを放ったのだ。

 変則的ではあるが、俗にサマーソルトキックと呼ばれる空中殺法である。

「どぁっ!?」

 晴香は咄嗟に仰け反り、その勢いのままバク宙した。湊斗もサマーソルトキックの勢いで宙返りし、空中で体制を整える。

 着地は、同時。

 晴香は即座に攻撃に転じ、湊斗の顔面に右ストレート。対する湊斗もまた着地と同時に攻撃に転じ、晴香の顔面に左ストレート。

 両者の拳は、互いの鼻先1cmのところで寸止めされた。

「──そこまでッ!」

 光晴の声が、道場に響く。両者は構えを解くと互いに二歩下がり、一礼した。板張りの床に汗が落ちる。晴香も湊斗も汗まみれだ。

「いや、大した腕だね」

 胴着で汗を拭う二人を見ながら、光晴は湊斗に声をかける。湊斗は肩で息をしながら、光晴の言葉に応えた。

「ありがとうございます」

「だろ? 強いんだよこいつ」

 孫娘の言葉に、光晴は柔らかな笑みを浮かべて立ち上がる。その体躯はしなやかに伸び、ぴんと張った背筋は歳を感じさせない強さを放っている。

「蹴りが多いね。空手?」

「ええ、ベースは。ただ、ほぼほぼ我流です」

「ほー。大したもんだ」

「で、試験結果は?」

 湊斗と光晴の会話を遮り、晴香が声をかけた。

「うむ。戦いを見るに悪い奴ではなさそうだし、腕もたつようだ」

 光晴は門下生たちを見回した後、湊斗へ向かって言った。

「合格。入隊を許可しよう」

「よっしゃ」

 ガッツポーズを取る晴香のそばで、湊斗はほっと胸を撫で下ろした。

『ちぇっ……』

 そんな様子を見ながら、カラカサはひとり、そう呟いたのだった。

ていたらくマガジンズ (99)

第2話「オイラの憂鬱」

- 1 -

 道場の屋根の上。空に浮かぶカラカサを見上げながら、胡座をかいた湊斗は呟いた。

「今日もいい天気だなぁ」

 カラカサにはその声は届いていないようだ。そいつは空中でクルクルと回りながら『んー』とか『あー』とか呻いている。

 そのまま15分ほど経った頃、カラカサはゆっくりと降下してきた。

「どう?」

 カランと着地した相棒に、湊斗は問いかける。カラカサは自らの傘を閉じると、番傘の姿に変化(ヘンゲ)して湊斗の手元に収まった。

『んーまぁ、60%ってトコ』

「そっか。一応警戒しといたほうがいいね」

 これは、湊斗たちの日課"天気雨予報"だ。

 地脈や妖気の流れを元に、その日どの辺りに雨狐が出現するか検討をつけることができる、カラカサの特技である。

『たぶん昼過ぎに出てくると思う。場所は……あそこの大きな建物あたり、かな』

「あれは……ショッピングモールかな」

『まぁ、例の如くそこは参考程度でー』

 カラカサの"予報"は時間については確度が高いが、場所については半径3キロとか5キロの範囲でズレるのであまり当てにならないのだ。

「おっけー」

 湊斗は立ち上がると、カラカサを手に屋根の上を歩き始めた。自室として充てがわれた部屋に向かって移動しながら、相棒へと話しかける。

「とりあえず、降りたら晴香さんたちにも伝えよう」

『えー……別にいいんじゃない?』

 カラカサは乗り気ではない様子で声をあげる。

『だいたい"協力関係"って言ってもさ、結局戦うのは湊斗じゃん。トクシュブタイだかなんだか知らないけどさ、足手まといが増えるだけじゃない?』

「んー。まぁ、気持ちはわかるけどさ」

 湊斗はゆっくりと歩きながら相棒の言葉に同意した後、言葉を続ける。

「<時雨>が晴香さんみたいな人の集まりなら、協力する価値はあると思う」

『えー……」

「少なくとも晴香さんは、なんていうか……いい人だ。俺たちを利用しようとか、そういう感じはないんじゃないかなぁ」

 少し遠くを見ながらの湊斗の言葉に、カラカサは腑に落ちない様子で声をあげた。

『なんでわかるのさ、そんなこと』

「んー。昨日一緒に戦って、今朝は組手もやったから……かな」

『そういうもんかなぁ』

「そういうもんだよ」

 恐らくそれは、共に戦い、そして拳を交えた者同士の間に芽生えた信頼感だと思う。カラカサには伝わりづらいかもしれない。

 自室の真上に辿り着き、湊斗は立ち止まって番傘を開きながら、「それにさ」と言葉を続ける。

「せめて、一宿一飯の恩義は返さなきゃでしょ」

『律儀だなぁ』

 カラカサをさしたまま、湊斗は屋根から身を躍らせる。妖力によって発生した浮力で彼は宙を泳ぎ、窓から自室へと滑り込んだ。

 そこは四畳半の和室だ。隅に置かれた小さな卓袱台と湊斗の荷物以外にはなにもない──いや、扉の下になにか落ちている。

「ん。なんかある」

『メモ?』

 寝てるようなので。起きたら、胴着洗濯するから持って降りてこい。あと今日は休み取ったから、お前の生活用品買いにいく。そのつもりで。晴香

「おろ。外出か」

『ねぇ湊斗』

 メモを見ながら呟く湊斗の側で、カラカサが妖怪の姿に戻った。室内なので下駄は履いていない。

『あの人たちがいい人かどうかはわかんないけど、オイラひとつだけわかることがあるよ』

 下駄を放り上げ、傘の上でコロコロと転がしながら、カラカサは言葉を続ける。

『昼過ぎに雨狐が出るって言ったら、たぶんこのお出かけはナシになる』

「……それは、そうだね……」

 湊斗は思案するように呟きながら、壁に掛けていた胴着を手に部屋の扉を開けた。


***


 ショッピングモール"らららんど"の中庭には、心地よい陽の光が射し込んでいる。晴香は、最も日当たりの良いベンチを選んで腰掛け、呟いた。

「ふぅ。こんなもんかな」

「"こんなもん"って量じゃないような……」

 呆れた様子で応じながら、湊斗は晴香の元へと歩み寄った。両手には紙袋やら箱やらが顔の高さまで積み上げられ、若干視界が危ういほどだ。

「姐さん、相変わらずまとめ買いっすね……」

 後ろからついてきたタキもまた、呆れたように言った。彼も湊斗と同様、両手に荷物を抱えている。「よっこらしょ」とベンチにそれを置いて、タキは晴香の横に座った。

「仕方ないだろ。久々のオフなんだ」

 そんなやり取りを横目に、湊斗も荷物を置く。そして、紙袋に挿さったカラカサを引き抜いた。

『ぷはぁ』

「ごめんね。苦しかった?」

『新品の服の匂いがした』

「そりゃそうだ」

 湊斗は笑いながら、空を見上げる。

 時刻は12時を回った頃。今のところ雨の気配はないが、カラカサの"予報"によればそろそろどこかで天気雨が降り始める頃だ。

(……結局、言い出せなかったな……)

 湊斗は内心溜息をつきつつ、晴香とタキをそれとなく急かす。

「さて、車に戻りましょう」

「あん? なんかあんのか?」

「い、いやそういうわけじゃないんですけど……」

 言葉を濁す湊斗を見て、晴香は首を傾げる。曖昧に笑って誤魔化す湊斗に、カラカサが小声で声をかけた。

『湊斗、そろそろ時間』

「わかってる……」

 それにしても、よりによって行き先が件のショッピングモールだとは。せめて降り出す前に建物を出ていたい。

 そんなことを思いながら、湊斗は周囲を見渡した。

 平日の昼間だというのに、"らららんど"にはそれなりの人が行き来している。家族連れやサラリーマン、近所のおばさん──暖かい中庭でランチを取る者もいて、平和な賑わいを見せている。

 そんなとき、ふと立ち上がったのはタキだった。

「ちょっと飲みもの買ってきます」

「あ、じゃあ俺も」

 そうして湊斗はカラカサを手に、タキの後をついていく。

 自動販売機は、中庭の壁沿いにある奥行き2mほどの小部屋に設置されていた。中庭とはガラスで隔てられている。元は喫煙所だったようだ。

「んー。水でいっかなー。湊斗くんは?」

 小銭入れを取り出しながら、タキが湊斗に問いかける。湊斗はざっとラインナップを確認し、口を開いた。

「俺はお茶が──」

「あっ!?」

 湊斗の返事を、タキの声が遮る。

 遅れて、キーンと小銭の落ちた音。

「あ……」

 湊斗の反応も間に合わなかった。

 タキの手元からこぼれ落ちた500円玉は、不運にも自動販売機の下へと転がり込んでしまった。

「あっちゃー……500円……」

 肩を落とすタキをよそに、湊斗はさっさと地面に這いつくばる。

「あー。結構奥にありますね」

「み、湊斗くん!? 汚いよそこ!?」

 タキの心配などどこ吹く風と、湊斗は自販機下に手を突っ込んだ。500円硬貨はかなり奥まで転がってしまっている。

「手だと届かないな……なんか棒とか……」

 言いながら湊斗は立ち上がる。そして、左手のカラカサを見つめた。

「……流石に嫌だよね?」

『冗談でしょ?』

「だよね」

 若干食い気味に答えたカラカサに、湊斗は笑って答えた。

 さてどうしたものか。再び地に伏そうとした湊斗の後ろから、声。

「なにやってんだお前ら」

 振り返ると、そこにはなにやら棒を持った晴香の姿があった。

「あ。晴香さん」

「これ使え。さっき買った突っ張り棒」

「おお、ありがとうございます」

 湊斗は突っ張り棒を受け取った。右手でそれを持ち、軽く振ってみる。これならイケそうだ。

 再び身体を屈めた湊斗に、晴香が声をかけた。

「なあ、カラカサ持っておこうか?」

 それは、純粋な善意からきた声掛けだった。左手に携えたままの番傘は伏してなにかをするにはいかにも邪魔そうなのだ。

 晴香のそんな何気ない問いかけに、湊斗の手元のカラカサがピクンと跳ねた。

『えっ。い、いや、いいよ!』 

「なんでお前が答えるんだよ」

『いや、その……』

 カラカサと晴香のやり取りを見ていた湊斗は、両者を交互に見て微笑んだ。

「……うん、お願い、晴香さん」

『み、湊斗!?』

 驚きの声をあげたカラカサを、湊斗は晴香へと差し出す。

「大丈夫。晴香さんはいいひとだよ」

『ええ、いやいやもうすぐ時間が──』

「まぁまぁ。すぐ終わるからさ」

「あン?」

 二人のやりとりに首を傾げつつ、晴香は喚くカラカサを受け取った。湊斗は突っ張り棒を手に再び自販機前に突っ伏す。

『湊斗ー! 早くー!』

「おい、暴れるな、こら」

 カラカサは他人に抱えられた飼い猫のようにグネグネともがく。晴香はそれを落とさぬようにしながら、中庭に向かって数歩移動し──

「──ッ!?」

 言い知れぬ殺気を感じ、その場で跳躍した。

 刹那。

 晴香がそれまで立っていた地面になにかが着弾、炸裂する。

「うおあっ!?」

『わっ!?』

 声をあげたのは、タキとカラカサのようだった。

 タキは衝撃で吹っ飛び、自販機に叩きつけられた。下敷きになった湊斗が「うげっ」と声をあげている。

 着地した晴香はそれを一瞥し、カラカサを抱えたまま空を見上げた。

 ──雨が降りしきる、青い空を。

「天気雨……!?」

 先日の<殴り合いの街>のような土砂降りの雨ではない。霧雨といった様相だ。

「タキさん、重い……!」

「痛ってて……ご、ごめん湊斗くん!」

 タキと湊斗の会話を聞きながら、晴香は即座に状況を確認する。

 降っている雨を浴びても、先日のような不快感はない。精神汚染系のものではないようだが──

「っ!?」

 思案を中断し、晴香は再び地を蹴る。一瞬前まで彼女が居た場所が爆ぜ砕けた。

「くそ、どこだ……!?」

 晴香は受け身を取り、立ち上がって辺りを見回した。方向的には上から飛んできたように思えるが、怪人の姿は見つけられない。そして三度目の、攻撃!

「チッ……!」

(明らかに、私を狙っている!)

 床が爆ぜる音を聞きながら、晴香は確信と共に駆け出した。

 中庭にいた人々は突然の爆発に驚き、遠巻きにこちらを見つめている。天気雨に気付いて雨宿りする者、スマホなどを手に野次馬に興じる者──衆目監視の中、晴香は中庭の外周に沿って駆ける。

『ちょ、ちょっと!』

「おっと」

 声をあげたのは、抱えたままのカラカサだった。彼はより激しく身を捩り、暴れる。

『オイラ湊斗のとこ行かなきゃ!』

「わかってる……危ねぇっ!?」

『うわぁっ!?』

 言葉の途中で、晴香はカラカサを抱えて再び横に跳んだ。彼女の頭が一瞬前まであった場所を通過したのは、巨大な水の塊である。

「っ……これか!」

 砲弾のような勢いで飛ぶ水弾は、ショーウィンドウのガラスに直撃。凄まじい破砕音とともに、窓ガラスが砕け散る!

 警報が鳴り出して、野次馬たちもいよいよ身の危険を感じたのか、悲鳴をあげて逃げはじめる。そして──

 中庭の水溜りから、黒い水柱が噴水めいてせり上がった。

「う、うわ!?」

「なんだこれ!?」

「怪物!?」

 黒い水柱はのっぺりとした人型の怪人へと姿を変える。突如現れた異形の者たちを前に恐慌状態に陥る人々に、晴香は走りながら目をやった。そして。

「晴香さん! カラカサを投げて!」

 遠くから聞こえた湊斗の声に、晴香は咄嗟に従った。両手でカラカサを抱えたままステップを踏み、減速することなく振り返る。その勢いと共に、晴香はカラカサを放り投げた。

「湊斗! カラカサ! 雨狐どもを頼む!」

 湊斗のいる自販機コーナーに向かって放物線を描くカラカサを見ながら、晴香は言葉を投げた。

「私は客の避難を──」

 晴香が言い終わるより、少しだけ早く。

 ガラガラガラガシャン。

 カラカサの眼前で、防犯シャッターが一気に閉まった。

『えっ……へぶっ!?』

 カラカサがそれに激突し、悲鳴とともに虚しく落下する。

「………………あ?」

 晴香の口から言葉が溢れる。

「か、カラカサー!?」

「姐さーん!」

 シャッターの内側から、二人の声。

 晴香は冷や汗とともに、呟いた。

「…………やべーなおい。分断された」

ていたらくマガジンズ (99)

- 2 -

 ビルの屋上に、異形の影がひとつ。

 夜色の平安装束に身を包む、烏帽子を被った男だ。

 その顔は狐の面と同化しており、垣間見える肌は漆黒の鱗に覆われている──怪人<雨狐>。彼らは自らをそう呼称する。

 烏帽子の雨狐<紫陽花>は無言で街を……正確には、部下が暴れはじめたショッピングモールを見下ろしていた。

 その背後から、声。

「どうだ、様子は」

 紫陽花は振り返らず、声の主・雨狐の王<イナリ>に答えた。

「まぁ……アマノミナトのほうに行きましたね。"捜索"のことは後回しのようです」

「だはは、だろうな。アレはそういう奴だ」

 愉快そうなイナリの言葉を聞いて、紫陽花はため息をつきながら振り返った。

「私の手駒を変に挑発してもらっては困ります。それにそもそも捜索自体が滞っては──」

「お前は本当につまらないやつだなァ」

 小言を垂れる紫陽花の言葉を、イナリは大袈裟なため息と共に遮る。

「俺が良いって言ってんだから、良いんだよ。それに、」

 イナリは不敵に答え、言葉を続ける。

「ゲームには褒美があってナンボだろ。敵にも、味方にも……ゲームマスターにもな」

「……そういうものですか」

 紫陽花はそれ以上の小言を諦め、再びショッピングモールへと視線を移した。


***


 ショッピングモール"らららんど"の中庭は、今や完全に隔離されていた。

 自販機コーナーのみならず、店舗出入り口などもシャッターが閉じてしまい、唯一シャッターのなかった出入り口は──今、晴香の目の前で、水弾によって粉砕されてしまった。

「くそ、軒下だろうと水弾は突っ込んでくンのか……厄介だな……」

 忌々しげに呟く晴香の周囲では、アマヤドリによって利用客たちが追い回されている。晴香は舌打ちし、それを助けるべく駆け出すが……すぐに、飛び退る。刹那、幾度目かの水弾が、彼女の元いた場所を抉った。

 晴香は猫めいて着地すると、水弾の飛来ルートを睨む。

「くっそ……あぶねぇな……」

 この状況では、晴香が近寄ったほうが危険だ。そう思うと避難誘導もままならない。走り出した晴香のあとを追うように、水弾が次々と地面を抉っていく。

『……言わんこっちゃない』

 そんな晴香の様子を地面に横たわったまま眺めて、カラカサはぽそりと呟いた。

『"いい人"だとか関係ないんだよ……』

 野次馬の目があるので、カラカサは変化することはできない。ただただ天気雨に打たれながら、九十九神はぶちぶちと愚痴をこぼす。

『警戒しなきゃいけないって言ってたじゃん。情けないったらないよ……』

 ガシャンガシャンと、カラカサの背後でシャッターが揺れている。中にいる湊斗が格闘しているのだろう。

 中庭では晴香が、他の利用客同様に逃げ回っている。彼女の身体能力は確かに驚異的だが、カラカサから見ても徐々に追い詰められつつあるのがわかる。

『はぁ……これで被害が出たら、どうせ湊斗とオイラのせいにするんでしょ。知ってるよそんなの……』

 ぶちぶちとカラカサが、誰にともなく文句を言い続けていた、その時だった。

「……よし、わかってきたぞ」

 晴香がぽそりと呟いたのが、カラカサの耳に届く。

 そして突如、晴香の動きが変わった。

『えっ?』

 全力でスプリントをはじめた彼女は、逃げ惑う利用客を追いかけるアマヤドリへと一直線。その背後から、水弾!

「おらよッと!」

 晴香はその水弾を華麗なステップで回避する。晴香の身体を掠めた水弾はそのままアマヤドリの1体へと直撃、爆散せしめる。

「よっしゃ」

『えっ!? えっ!?』

 ガッツポーズをする晴香を見て、カラカサが戸惑いの声をあげる。そして晴香は利用客たちを置いたまま、中庭に向かって走り出し──手近にいたアマヤドリの傍で、跳躍。

 直後、水弾がアマヤドリを巻き添えに爆ぜ散った。

 晴香は跳躍の勢いそのままに中庭を横断する。その後を追うように2発の水弾が放たれるが、晴香はそれを易々と回避。地面が爆ぜ、巻き添えでアマヤドリの半身が砕け散る。

『な、なになに……どうなってんの……?』

「5,4,3……」

 戸惑いの声をあげるカラカサを置いて、晴香はなにやらカウントダウンと共に減速した。そして壁際で立ち止まり、シャッターに両手をつく。その姿はまるで、走り疲れて休んでいるかのようだ。

 そしてその背を狙い、水弾が迫る。

『ちょ、オマワリさん!?』

「──1,ゼロ」

 カラカサが悲鳴を上げる。ほぼ同時に、晴香は素早く横に跳んだ!

 水弾は晴香を掠め、そのままシャッターの中心に直撃する。凄まじい破砕音と共にシャッターがひしゃげ、大穴が空く。

「よっしゃ、ビンゴ!」

 受け身を取って起き上がり、晴香が歓声をあげた。そして即座に、カラカサに向かって駆ける。

「おい、カラカサ!」

『は、はいっ!?』

 思わず返事をしたカラカサに向かって晴香はスライディングし、その持ち手を掴む。

「いいか、あと2秒で水弾がくる! なんとかしろ!」

『ええーっ!?』

 カラカサは声をあげながらも、水弾に向かって頭を──傘の先端を向けた。直後。

 開いた傘の盾に、水弾が直撃する!

『うひゃァ、冷たい!』

 コンクリートをも砕く水弾の衝撃がカラカサを貫き、持ち主である晴香の全身に襲いかかる!

「うぐぐぐ……!」

 歯を食いしばり、呻く晴香。カラカサはその様子を、信じられない様子で見ていた。

『え、なに? なにしてんの!? 逃げないの?』

「痛ってて……逃げるわけあるか。客の避難が優先だ」

 ふらつきつつもしっかりと立ち上がった晴香は、カラカサを手に中庭を睨む。大穴が空いたシャッターに気付いた人々が、そちらへと逃げていく──

「……5,4,3,2,1……」

 晴香はシャッターを背に再びカウントダウンをはじめた。しかし、水弾は、いつまでも飛んでこない。

「……流石にバレたか?」

 にやりと笑って呟く晴香の視線の先で、景色が滲む。

 そうして姿を表したのは、群青色の着物を着流した、身の丈2メートルほどの雨狐だった。

「ニンゲン風情が、小癪な真似を」

 威圧感のあるその姿に微塵も臆すことなく、晴香は不敵に笑った。

「気付くのがおせーよ、ノロマ」

『え? え? どゆこと?』

 戸惑っているのはカラカサである。晴香は片眉をあげ、自分のさしている傘を見上げた。

「ん? 案外察しが悪いんだなお前」

『なんだとー! 説明しろー!』

「うおっ!? 暴れるなバカ!」

 晴香とカラカサがそんなやりとりをする中、群青色の雨狐の周囲にアマヤドリが集結する。ずらりと並んだその数は10体ほど。その中心で、雨狐は低い声で唸った。

「我が水弾を利用し、逃げ道を作るとは……」

『あー! なるほど!』

 得心が言ったように声をあげるカラカサを一瞥し、晴香は群青色の雨狐を嘲笑う。

「ハッ。お前がアホなだけだろ? あんだけポンポン撃たれりゃサルでも学習するぞ雑魚。顔だけでなく知能も狐並か?」

「貴様……ッ!」

 晴香の挑発を受けて、群青色の雨狐の頭上に水弾が形成される。晴香はそれを見てニヤリと笑い──

「ぬぅ……!」

 雨狐は唸り、水弾を引っ込めた。

「おやァ? 撃たないのかなァ狐野郎くん? どうしたどうした?」

 晴香は仁王立ちし、悪の帝王の如き哄笑と共に大仰な態度で言い放つ。

「まぁそりゃ撃てねーよなぁ? だってここには湊斗がいる。せっかく私だけ分断したんだもんなぁ?」

「きっ……貴様どこまで……!」

「おめーの小ズルいやり口見てりゃ一発でわかるわバーカバーカ」

「このっ……! この<鉄砲水>を愚弄するか貴様……!」

 全力で挑発をかます晴香に、<鉄砲水>と名乗った群青色の雨狐は、歯噛みし、叫ぶ!

「あの女を殺せ、アマヤドリども!」

 <鉄砲水>の周囲にいたアマヤドリが一斉に地を蹴る。晴香もまた、開いたままのカラカサを手に、迫りくる刃を避け、カラカサで受け、往なす!

 晴香は舞うように戦いながら、湊斗とタキが閉じ込められたままのシャッターに向けて叫んだ。

「タキ! 客の避難は完了! 湊斗連れてさっさと脱出してこい!」

「了解ッス!」

 シャッターの向こうからタキの声。それを聞きながら、晴香はカラカサに声をかける。

「カラカサ、この状況を打開する。力を貸してくれ」

『お、おう……?』

「おいおいしっかりしろよ。お前は湊斗の相棒だろ」

 晴香は笑いながら、アマヤドリたちの攻撃を避ける。そして流れるように傘先を雨狐に向け──刹那、そこに水弾が着弾する!

「〜〜〜〜〜〜〜ッッッカーッ! 痛っってぇッ!」

『バカー! 湊斗じゃないんだからそうそう受け止められるわけないでしょ!?』

 水弾を受け止めた反動で、後ろ向きにゴロゴロと転がる晴香。カラカサが叫ぶ中、そんな晴香のそばにアマヤドリが肉薄する。

「っててて。おっと!」

 振り下ろされたアマヤドリの刀を、晴香は開いたままのカラカサで受け止めた。

 晴香は傘を盾にしたまま蹲り、さしずめ亀のように姿を隠す。アマヤドリたちは即座にそれを包囲し、二度、三度と刀を振り下ろす。ギンッギンッと鋭い音が響く中──

「死ねィッ!」

 <鉄砲水>の声と共に、特大の水弾がカラカサに直撃!

 巻き添えで何体かアマヤドリが消滅する中、吹き飛ばされたカラカサが宙を舞う。

「クク、特大の水弾だ。これは防げまい──……ぬっ?」

 ほくそ笑んだ<鉄砲水>は、舞い上がった傘を目で追い──瞠目した。

 水弾に吹き飛ばされて宙を舞ったのは、カラカサのみである。からかさお化けはベロリと舌を出し、<鉄砲水>を嘲笑った。

『バーカ。はずれー』 

「なっ──」

 <鉄砲水>は慌てて視線を落とす。しかしその時には既に、晴香が全力のスプリントを以て<鉄砲水>へと肉薄していた。

 両者の距離は5歩分程度。そしてその経路上にあるのは、先ほど晴香たちが休んでいたベンチである。

 晴香はニヤリと笑い、雨に打たれる紙袋のひとつを掴み、投げる!

「食らえオラァッ!」

 全力疾走の勢いと晴香のパワーによって凄まじい速度で飛んだ紙袋は、中の衣類を盛大にぶちまけた。

「ヌゥッ!?」

 視界を妨害された<鉄砲水>が声をあげる中、晴香は怪人の背後に回った。そして全速力の勢いを乗せ、右の拳を繰り出す。

 ぱしゃん、と水を打つ音と共に、<鉄砲水>の腹に穴が開く。そこを中心に水面を叩いたかのように身体が波打ち、何事もなかったかのように、もとに戻る。

 怪人は鼻を鳴らし、晴香の顔を見下ろす。

「知らんのか? お前の拳は我々には届かんと──」

「じゃあ……」

 余裕の笑みで勝ち誇る<鉄砲水>の視界の隅、晴香の左手が動いた。

 その手には、消化器。

「こういうのはどうだ?」

「ヌゥッ!? 小癪な……!」

 白煙が"鉄砲水"の身体を包む。<鉄砲水>は呻き、大きく飛び退る。

 ──その時だった。

 バギンッ、と。

「……?」

 <鉄砲水>の背後から、なにか、金属が割れるような音がした。

「……作戦成功」

 晴香が不敵に呟き、再びバギンと音がなる。振り返った<鉄砲水>が見たのは、湊斗たちが閉じ込められているはずのシャッター。歪んでいる。破壊音が大きくなる。シャッターが大きく、歪んで──直後。

 それを破って、自販機が飛び出してきた。

「なっ──ぶぁっ!?」

 破れたシャッターの残骸が激突し、<鉄砲水>の上半身がぱしゃんと弾ける。下半身だけの姿となった怪人は慌てて飛び下がり、中庭の中央まで移動する。

 もうもうと立ち込める埃を破り、湊斗とタキが中庭へと歩み出てきた。その隣に悠然と立ち並び、晴香は不敵に言ってのけた。

「さて……反撃開始だ」

 ゴボッと音を立てながら、<鉄砲水>の身体が再生していく。腰から胸、肩、腕……器に水が満ちるようにその異形は下から上へと姿を取り戻し、最後にドプンと頭が復活した。

 その貌に浮かぶは、憤怒の相。

「……貴様ら……どうやって……!」

 唸る<鉄砲水>。それに向かって晴香の傍から一歩踏み出したのは、天野湊斗。彼はタキへと視線を向けて、声を投げる。

「どうやってもなにも、ねぇ?」

「うん」

 タキは腕組みしたまま頷き、あっけらかんと言葉を続けた。

「自販機を投げ飛ばして、シャッターにぶつけただけだよ」

 その言葉を背に、湊斗はその場で屈む。そして足元に横たわるカラカサを手に取って話しかけた。

「カラカサ、合図ありがとね」

『いぇーい! オマワリさんの作戦、成功だね!』

 湊斗の手元でカラカサが跳ねる。その言葉に、<鉄砲水>は目を細めた。

「作戦? 作戦だと……?」

 その様を見て不敵に笑ってみせたのは、晴香だ。手に持った消火器をその場に放りつつ、彼女は<鉄砲水>を挑発するように言い放つ。

「こいつらならなんとでもして出てくるだろうとは思ってたんだが、普通に出てったらお前の水鉄砲に狙い撃ちにされるからな。陽動作戦ってやつだ。引っかかってくれてありがとよ! 狐以下の知能で助かったぜ」

「この女ッ……どこまでもコケにしおって……!」

 ケケケと笑う晴香に<鉄砲水>は激昂し、牙を剥いた。

 そいつは着物の前面から右腕を出し、なにもない空間に向かって勢いよく伸ばす。ズプンと音を立て、その空間に<鉄砲水>の腕が肘まで埋没した。

「ヌゥゥエィッ!」

 雨狐は気合の声と共に、力を込めて"それ"を引き抜いた。長大な大太刀。身の丈2メートルの体躯に見合う、立派な得物だ。

「策を練るのはもうやめだ。貴様らはここで斬り殺す!」

 刀を構え、<鉄砲水>が吼える。晴香はそれを睨み返し、そばにいる湊斗に声を投げた。

「くるぞ。構えろ、湊斗」

「はい!」

 湊斗はそれに応え、もう一歩踏み出した。そして手にしたカラカサに呼びかける。

「行くよ、カラカサ」

 そうして湊斗は、手にした傘を天に向け──

『あ、ちょ、ちょっと待って!』

「おろ?」

 カラカサは湊斗の手からピョンと跳ねて、逃げ出した。

「え、ちょっと?」

『ごめん湊斗、ちょっとやることあって!』

 戸惑いの声をあげる湊斗にカラカサが声を投げ、同時に<鉄砲水>が地を蹴る。狙うは、湊斗!

「死ねぇィッ!」

「どあーっ!?」

 気合いとともに振り下ろされた斬撃を、湊斗は転がって回避した。<鉄砲水>は湊斗を追い、斬撃を繰り出してゆく。

「ちょっ……カラカサぁっ!?」

 大太刀の斬撃をなんとか回避しながら湊斗が悲鳴をあげる中、カラカサはカラン、コロン、と晴香へと駆け寄った。

『オマワリさん!』

「おいおい、どうしたカラカサ。ボイコットか」

『違くて! リュウモンの爺ちゃん……昨日湊斗が預けた扇子、出してくんない?』

 カラカサの言葉を受け、晴香は首を傾げつつも内ポケットから一本の扇子を取り出した。

「こいつか?」

『そうそれ!』

 晴香は扇子を開く。そこには、蜷局を巻き、眠るように目を閉じた龍が描かれている。

『爺ちゃん! リュウモンの爺ちゃん!』

 カラカサはひと跳ねすると、その龍へと呼びかける。絵の中の龍は目を開け、気だるそうに首をもたげた。

『……なんじゃい、カラカサ。出番か?』

 呼びかけに応えたのは、老人のような声。

『そう、出番! ちょっと、力を貸してほしいんだ』

 カラカサはその声に応え、晴香を一瞥すると、言葉を続けた。

『晴香さんが、戦えるように!』

ていたらくマガジンズ (99)

- 3 -

「シャラァッ!」

「このっ……!」

 横薙ぎに振るわれた大太刀を、湊斗はスライディングで回避した。そのまま敵の懐へと滑り込んだ湊斗は、<鉄砲水>の腹めがけて蹴りを繰り出す!

「ふん……!」

 <鉄砲水>は避ける素振りすら見せない。湊斗を両断すべく、大太刀を振り上げる。

「貴様らの攻撃は我々には──」

 蹴りが直撃した左脇腹を中心に、<鉄砲水>の身体が波打つ。そして──

「通用しな──ごあっ!?」

 そのまま、大きく吹き飛んだ。

「油断大敵」

 残心と共に、湊斗は不敵に笑う。

「俺はお前と戦えるよ。知らなかった?」

「貴様……ッ!」

 <鉄砲水>は地面を転がって起き上がると、大太刀を肩に担ぐように構えた。そして、その頭上に水弾が生成される。

「死ねェィッ!」

 水弾が射出される。高速で飛来するそれを、湊斗は身を翻して回避した。白いレインコートが踊るように翻る。

 湊斗は勢いそのままに間合いを詰めた。<鉄砲水>は肩に担いだ大太刀を袈裟懸けに振り下ろす。湊斗はそれに手を添えるようにして往なし、踏み込みと共に蹴りを繰り出す。

「チィッ……!」

 舌打ちと共に<鉄砲水>は一歩飛び下がり、即座に反撃に転じた。打ち上げるような一太刀に続き、二の太刀、三の太刀と連続で刃を振るう。

「うおっと!」

 立て続けに繰り出される斬撃を、湊斗は辛うじて避ける。そして直後、腕をクロスしてガード体制を取り──その身体を、水弾が襲った。

「っ……!」

 湊斗は咄嗟に大きく後ろに跳び、受ける衝撃を軽減する。しかし、それでも凄まじいダメージが彼の身体を貫いた。地面に叩きつけられつつも辛うじて受け身を取った湊斗は、再び構えて<鉄砲水>と対峙する。

「ほう、まだ立つかアマノミナト」

 ジリ、と大太刀を構えながら睨む<鉄砲水>に、湊斗は言葉を返した。

「痛ってて……刀の構えも堂に入ってるし、不意打ちの水弾もうまい」

 そして、しびれた腕を摩りながら、湊斗は雨狐に言い放った。

「お前、妙な計画立てるよりもシンプルに戦うほうが向いてるんじゃないの?」

「ヌゥ……!」

 湊斗がそう言った瞬間、<鉄砲水>が目を剥いた。人間であれば額に青筋が浮かんでいるような雰囲気だ。ギリッと歯噛みした<鉄砲水>は、大太刀を逆手に持ち替えると、地面に突き刺した。

「誰が脳筋だ!!!!」

「は?」

 ぽかんとした湊斗に、<鉄砲水>は言葉を続ける。

「この<鉄砲水>、戦略も戦術もなくただ暴れるしか能のない男ではない! 断じて! そのようなことはない!」

 突如としてキレた<鉄砲水>は、大声でそう言いながら頭上に水弾を形成する。

「貴様らを排除して"褒美"をもらい! "捜索"も終わらせ! 我が能力を認めてもらうのだ!」

 水弾は人ひとりを呑み込めそうなほどの大きさまで急速に成長する。湊斗は腰を落とし、すぐに回避できるように身構え──

 その姿を見て、雨狐はニヤリと笑った。

「この<鉄砲水>の! 完璧な作戦でなァッ!」

「っ……しまった!」

 水弾が動きだした。

 ──晴香たちへ向かって!


***


 その、少し前。

『あん? 協力? この小娘に?』

「小娘て──」

『えっと! この人は晴香さん。湊斗に協力する人間のひと!』

 ツッコみかけた晴香を、カラカサの言葉が遮った。

『爺ちゃん、昨日一緒に戦ったじゃん? 今日も協力してほしいんだ』

 そんなカラカサの言葉に、絵の中の龍は深く息を吐き、断言した。

『やだね』

『なっ……なんでさ!』

『ワシが認めたのは湊斗だけじゃ。昨日はアイツの依頼だったから了承しただけ。わかるか?』

 それだけ言うと、話はもう終わりだとばかりに扇子がひとりでに閉じる。カラカサは慌てて指を……否、舌を挟んで、それを止めた。

『ちょっ、爺ちゃん! 話まだ終わってないよ!』

『この小娘になにができる! ただの人間じゃろうて!』

 カラカサの言葉に、リュウモンがしゃがれた声で怒鳴り返す。扇子は晴香の手を離れ、カラカサの周囲を飛び回りながら声をあげる。

『どうせまた使い捨てられるんじゃろ!』

『そんなことないって! 晴香さんは──』

『湊斗ならまだしもこの小娘には無理じゃ!』

『ちょっと爺ちゃん、話を』

『喧しい! お断りだ!』

 頑なに話を聞かないリュウモン。その態度を見て、晴香の額に青筋が浮かんだ。

「このじじい、好き勝手言いやがって──」

『……お願いだよ、爺ちゃん』

 口を挟もうとした晴香は、カラカサの声で言葉を止めた。

 それは、なにか覚悟したような……そしてどこかスッキリしたような、そんな声だった。

『……あん?』

 癇癪を起こしていたリュウモンもその変化を感じ取ったのか、晴香と同様に口を閉ざす。

『わかるよ、爺ちゃん。爺ちゃんも、ニンゲン嫌いだもんね』

 ぽそり、ぽそりと、呟くように。

 カラカサが言葉を紡ぐ。

『オイラもそうだから、わかるよ』

 カラカサは軽く深呼吸し、動きを止めたリュウモンに向かって言葉を続ける。

『晴香さんのこと、オイラも信用できないと思ってた。今までの人とおんなじで、湊斗に全部責任を押し付けて、戦いもせずに口だけ出して……って。でもさ』

 言葉を切り、若干申し訳無さそうな顔で晴香に視線を送る。

『でもさ、さっき一緒に戦って……もしかしたら違うかもって、思ったんだ。うまく説明できないんだけど、とにかく、思ったんだ』

 リュウモンを見据えてそこまで言うと、カラカサは頭を下げた。

『晴香さんは、湊斗を助けてくれる人だ。だから……力になってほしいんだ』

 そして顔を上げ、リュウモンと晴香を交互に見て。

『大丈夫。晴香さんは、"いい人"だよ』

 どこか恥ずかしそうに、言葉を続けた。

『オイラも、オイラの相棒も認めた、いい人だよ』

『坊主……』

「カラカサ……」

 カラカサの言葉に、リュウモンと晴香が顔を見合わせた──その時だった。

「ちょっ、姐さん! 危ない!」

 タキの悲鳴がその空気を壊した。晴香と九十九神たちは同時に振り返り、そして見た。

 ──人ひとりを呑み込めるほどの水弾が、こちらに向かってくる!

「やべぇ!」

 晴香はとっさに、タキを蹴り飛ばした。そして自らは射線上に残り、ガード姿勢を──

『小娘』

 そんな晴香の手元に、いつの間にかリュウモンがいた。

「ぉわっ!?」

『坊主に免じて、協力してやろう。ワシを振れィ!』

 目を剥いた晴香の右手に、開いたままの扇子が収まり──

 直後、特大の水弾が、晴香とリュウモンを呑み込んだ。

「姐さん!」

「晴香さん!」

 タキと湊斗が声をあげる中、<鉄砲水>は勝ち誇るように口を歪めた。

「ハハハ! やったぞ! 仲間を殺した! これで"褒美"は俺のもん──」

 そんな<鉄砲水>の言葉は、最後まで続かなかった。

 突如、煙が渦を巻き──弾け飛ぶ!

「──ヌゥッ!?」

 瞠目する<鉄砲水>の視線の先、爆ぜたはずの晴香は力強くそこに佇んでいた。その手に、卓袱台ほどもある巨大な、龍柄の扇子を携えて。

『行けィッ、小娘!』

「んん……オオォォ……!!」

 リュウモンの声に応えるように、晴香は咆哮と共に全身に力を籠める。持ち手を両手で掴み、地を両足で踏みしめ、全身の筋肉を連携させ……晴香は全力を以て、"本気"のリュウモンを振り上げる。

「おおおおおおリャァァァァァァッ!」

 晴香が吼える。そしてそれに応えるように、突風が巻き起こった。

 それは緑色に輝く超自然の風。晴香が使ったエネルギーを数十倍に増幅させ、天気雨を切り裂き吹き飛ばし、小さな竜巻は猛烈な勢いで<鉄砲水>へと至る。

「ンなァッ……──!?」

 竜巻は<鉄砲水>の驚愕の声ごと呑み込んで、怪人を壁に叩きつけた。

「どわっ!? ちょっと晴香さん乱暴すぎ!」

 巻き添えを食って尻餅をついた湊斗が声をあげる。晴香はその光景を唖然とした表情で見つめ、呟いた。

「……すげぇ」

『晴香といったか。大したもんだ』

 晴香の手元で、その巨大な扇子──九十九神・リュウモンは宣言する。

『よかろう。坊主の頼みでもあるしな。力を貸すぞ、晴香!』

「サンキューな、リュウモン。それに、カラカサも」

『へへ。こっちこそ、ありがとね、"姐さん"!』

 晴香の言葉に応えながら、カラカサはカランと地を蹴った。その後ろ姿から目を離し、晴香はタキへと振り返る。

「タキ。"雨"の外に出て本部と連絡を頼む」

「了解っす! 姐さん、お気をつけて」

「誰に言ってんだ。任せろ」

 タキが駆け出す。そんな人間たちのやりとりを睨みながら、<鉄砲水>は身を起こした。

「この……ニンゲン風情が……!」

 怪人は低い声で唸り、手にした大太刀を地に突き立てる。そして、虚空に向かってぽそりと呟いた。

「出でよアマヤドリども……全員な……!」

 その言葉に応えるように、周囲の水溜りが虹色に輝き、黒い柱が生え出でた。それはすぐに、黒くのっぺりとした怪人へと姿を変える。

 雨狐の"なりそこない"、アマヤドリ。既存のものとあわせると、その数は20体ほどだろうか。湊斗は腰に手を当て、余裕の表情でそれらを見回した。

「うわぁ、増えたなぁ」

『湊斗!』

 ぼやく湊斗の背後から、カラカサが跳びきたる。湊斗はそれをノールックでキャッチすると、流れるように開き、肩に担いだ。

「おかえり、カラカサ」

『ただいまー!』

 敵前とは思えぬほど和やかに会話をするふたり。そしてその後ろから歩み寄り、湊斗の傍に並び立ったのは、河崎晴香だった。

 彼女は、地に突き立てた大扇子に肘を置き、湊斗に視線を投げる。

「私も戦うぞ。今回は文句ないな?」

 それはもちろん、昨日のオフィスエリアでのやり取りを指してのことだ。湊斗は笑い、力強く応えた。

「もちろん」

『ないよー!』

 そして湊斗はカラカサを閉じ、天に掲げる。

「行くよ、カラカサ!」

『おうよ!』

 そして、高らかに叫んだ。

「変身!」

 傘の先から白い光が撃ち出され、湊斗の身体へと降り注ぐ。光は天気雨に乱反射して虹となり、その身体に収束していく。

 光が収まったとき、そこに白銀の戦士<アマガサ>が顕現した。

 天に掲げた真紅の傘銃──西洋のランスにも似たそれの先端を敵に突きつけ、アマガサは凛と言い放つ。

「俺は<アマガサ>。この雨を止める、番傘だ」

 それが、開戦の合図となった。

「ほざけェッ!」

 怒鳴り声と共に、<鉄砲水>が水弾を放つ。アマヤドリたちが散会し、得物を手に晴香たちを襲う!

 アマガサは微動だにせず、突きつけた傘銃から光弾を放った。水弾と光弾が衝突し、対消滅せしめる。轟音がモールを揺らし、水蒸気が立ち昇り──それを切り裂き、三発の光弾が<鉄砲水>を襲う。

「しゃらくせえ!」

 <鉄砲水>は咆哮と共に大太刀を打ち振るい、光弾を斬り飛ばした。そしてアマガサへと向かい一歩踏み出す。が──

 刹那、死角から殺気。

「ヌゥッ!?」

「遅い」

 そこにいたのはアマガサである。水蒸気に紛れて<鉄砲水>の死角へと回り込んでいた彼は、大太刀の間合いよりさらに内側に居た。強烈な踏み込みと共に、敵の胸に掌底を叩き込む!

「ゴあッ!?」

「まだまだ!」

 アマガサが吼えた。拳が、蹴りが、息つく間もなく<鉄砲水>に放たれる。

「ヌゥッ……調子に、乗るなァッ!」

 辛うじてそれを捌いた<鉄砲水>は、大太刀の柄でアマガサを突いて間合いを離し、上段から縦一閃に太刀を振り下ろす。

「だらァッ!」

「!」

 アマガサは小さくサイドステップしながら身を翻す。彼の身体から僅か3cmのところを大太刀が通過。そしてアマガサは、その峰を踏みつけた。

「ヌゥッ!?」

 <鉄砲水>の姿勢が大きく前に崩れる。アマガサは流れるように傘銃を構え、敵の頭部へと向け──傘を、開く。

 同時に、水弾が傘に着弾した。

「あっぶね」

「チィッ……!」

 アマガサは銃殺を諦めて後方に退く。舌打ちと共に身を起こした<鉄砲水>は大太刀を振るう──

 一方、リュウモンの力を借りた晴香は、20体のアマヤドリを相手に大立ち回りを演じていた。

「オラオラどうしたァッ!」

 晴香は獰猛に笑いながら、手にした大扇子を振るう。超自然の緑風が手近なアマヤドリを巻き上げ、天地を逆転させ、晴香の渾身の拳がその怪人の顔面に突き刺さる。

 鋭い炸裂音と共に、アマヤドリの顔が弾け飛んだ。頭を失った怪人はそのまま地に叩きつけられ、噴水が止まったときのように、地に触れた瞬間に爆ぜ消えた。

「おお、効くな。すげぇ」

『晴香! 伏せれ!』

 屈んだ晴香の頭上をアマヤドリの刀が薙いだ。晴香は大扇子を杖のように突いて、背後にいるアマヤドリに槍のようなバックキックを繰り出した。身にまとった緑の風はドリルの如く、アマヤドリの胴体に穴を空ける。

 ヨタヨタと崩れるアマヤドリ、その左右から間髪入れず2体。晴香はリュウモンを素早くたたむ。

「オラァッ!」

 振り返る勢いを乗せて横薙ぎにスイング。アマヤドリをまとめて吹き飛ばした。

『やるなァ晴香! 疾風怒濤じゃな!』

「そりゃどーも!」

 晴香は笑顔すら浮かべて、さらに襲いくるアマヤドリたちに大扇子を構える。アマヤドリが刀を構え、晴香に襲いかかり──その時。

 湊斗とカラカサの声がした。

「あ、やべっ」『姐さん伏せて!』

「おわっ!?」

  晴香は考えるよりも早く、地面を転がった。その頭上を水弾が通過する。

「危ねぇなおい!?」

 文句を垂れる晴香の背後で、巻き添えになったアマヤドリが消滅した。

「ごめーん!」

『避けた先にいるとは思わなかったんだー!」

 湊斗とカラカサの声が順に答えつつ、アマガサは<鉄砲水>との応酬を続けている。

 アマガサの蹴りを<鉄砲水>が往なし、振るわれた大太刀をアマガサが傘で弾く。ミニマルな打ち合い、斬り合いがしばし続く。そして──

「このっ……雑魚がぁッ!」

 <鉄砲水>がしびれを切らし、怒鳴り声と共に大太刀を振り下ろした。アマガサは先ほどと同じように、小さくサイドステップしながら身を翻し、刀の峰を踏みつける。

 怪人の姿勢が崩れる中、アマガサは大太刀の峰を蹴った勢いで、素早く、そして大きく身を翻す。その数センチ横を水弾が掠める中、アマガサは<鉄砲水>の側面に張り付くように回り込んだ。

「ヌゥッ……!?」

「不意打ちは、もう効かない」

「ナメるなァッ!」

 半ばヤケクソで放たれた<鉄砲水>の拳を、アマガサは手のひらで受け止めた。そして、回り込みの勢いを乗せた回し蹴りが、<鉄砲水>の腿を狙う。

「ヌゥッ!?」

 <鉄砲水>はそれをとっさに、脛をあげて防御した。ドウッと重い音が響く中、アマガサは即座に脚を引き、同じ脚でハイキックを放つ。

「ぐッ!?」

 <鉄砲水>はぎょっとしながらも、辛うじて腕で受け止める。ズンッとひときわ重い音が中庭に響き、アマガサの動きが止まる。

「残念、だったなァ……!」

 <鉄砲水>が低い声で唸り、反撃に転じようとした──その時だった。

「シッ……!」

 アマガサの口元──仮面で覆われたそこから、細く鋭い呼気が漏れる。そして、防がれた右脚を起点に、アマガサが宙返りした。

 <鉄砲水>は瞠目する。

 アマガサの左足が、地から浮いた。それはそのまま真っ直ぐに、<鉄砲水>の顔面へと迫る。怪人は、その始終を見ていた。見ていたが、身体の反応は追いつかなかった。

 次の瞬間、<鉄砲水>の顎が蹴り上げられていた。

「ガッ……!?」

 サマーソルトキックに脳を揺らされ、<鉄砲水>の全身から力が抜ける。期を逃さず、アマガサは着地と同時に槍の如き前蹴りを放つ。

 それは過たず<鉄砲水>の腹に突き刺さり、2mの体躯を小さく浮き上がらせた。

 アマガサは脚を引き、さらなる蹴りを繰り出す。

 変身したアマガサの体内を循環する妖力が高まる。その身体能力は飛躍的に高められ、湊斗の武術を強化する。その速度を、鋭さを、破壊力を、何十倍にも膨れ上がらせる。

「ハアァッ!!」

 マシンガンのように放たれる蹴りは、<鉄砲水>が崩れ落ちることも悲鳴をあげることも許さず、ただひたすらに急所を貫き、穿ち、抉り、そして──

「──シッ!」

 最後に、気合いの込もった叫びと共に放たれた後ろ蹴りが、<鉄砲水>の鳩尾にめり込んだ。

「ッ──」

 悲鳴すらなく、<鉄砲水>の身体が吹き飛んだ。

 モールの壁に激突し、その背からパラパラと壁の破片を零しながら、<鉄砲水>の身体が前方に傾ぐ。その口から漏れるのは、力なき怨嗟の声。

「クソ……が……」

 怪人は辛うじて、崩れ落ちるのを踏みとどまった。ゆらりと顔をあげ、残心するアマガサに向かい、唸る。

「……"ついで"の……分際で……!」

 時を同じくして、アマヤドリの最後の一体が、晴香によって消滅させられた。中庭に降り注いでいた天気雨はすっかりその勢いを失い、<鉄砲水>が限界に近いことを知らしめる。

 アマガサは手にした傘銃を空に向け、雨狐に言い放った。

「この雨を、終わらせるよ」

「黙れェェッ!」

 <鉄砲水>はフラフラと歩み出ながら、アマガサに手のひらを向けた。その頭上で水弾の形成がはじまる。しかしアマガサはただ冷静に、空に向かって引き金をひいた。

『妖力、解放!』

 カラカサの声が辺りに響いて、その銃口から白い光が放たれる。

 中庭に降り注ぐ雨が虹色の光を帯びた。<鉄砲水>の頭上に生成された水弾が消滅する。

「なっ……!?」

 驚愕の声を上げる<鉄砲水>の周囲においても同様に、天気雨が虹色に輝きだした。それはやがて大きな虹を形作り、<鉄砲水>に巻きつき、拘束する。

「っ……これはッ……!?」

 呻く<鉄砲水>を見て、アマガサは傘銃を降ろし、跳び上がった。白銀の身体が虹色に輝く空を舞い、強く輝きを帯びる。

「明けない夜はない、止まない雨はない」

 上空で呟き、アマガサは右脚を<鉄砲水>に、そして携えた傘銃をその反対側に向ける。

「お前らの雨は、俺が止める!」

『出力全開!』

 カラカサの声と共に、アマガサは引き金を引いた。銃口から白光が迸り、その身体が加速する。

 <鉄砲水>は足掻くが、徒労に終わった。音速の飛び蹴りが、その身体に突き刺さる。

 虹色の光が、周囲を染めて。

 アマガサの蹴りはついに、<鉄砲水>の身体を貫いた。

「くそっ……ガッ……アアアア!」

 そして、怨嗟の篭った断末魔と共に、<鉄砲水>の身体が傾ぎ、倒れて。

 膨大な妖力と共に、その全身が爆散した。

 虹の光を浴びながら変身を解除して、アマガサ──湊斗は、担いだ傘に呼びかける。

「お疲れさん、カラカサ」

『おつかれー!』

 雨が止む。ただ青いだけの空が、彼らを見下ろしていた。

ていたらくマガジンズ (99)

- エピローグ -

 <時雨>からの連携を受けて駆けつけた警察による現場検証が続く、ショッピングモール。中庭には支配人や警察官、目撃者、野次馬など、多くの人が集まっている。

 そんな中庭の真ん中で、晴香は膝を抱えていた。目の前には散乱した衣類や日用品。自分たちが購入し、戦いの最中でぶちまけたものだ。

「あーあ。ぐっちゃぐちゃだ」

 屈んだまま、泥だらけの服をつまみあげて肩を落とす晴香。そんな彼女の後ろから、歩み寄る影ひとつ。

「晴香さん、ちょっと良いですか?」

 晴香は振り返る。果たしてそこに立っていたのは、カラカサを携えた湊斗であった。

「ん。湊斗か。お疲れさん」

 湊斗は「どうも」と答え、立ったまま晴香に声をかける。

「ちょっと話というか、相談があるんですけど」

「…………」

 敬語で話しかけてくる湊斗に、晴香は答えずにジト目を向ける。湊斗は戸惑い、首を傾げた。

「? どうかしました?」

「…………お前、タキにはタメ口だったよな」

「えっ」

 突然のその言葉に、湊斗はしどろもどろになりながらも言葉を絞り出す。

「えーっと……なんか、ノリでそうなったっていうか」

 はたから見れば浮気の言い訳でもしているような風景だ。晴香は渋い顔で口を開いた。

「私にも敬語なんて使わなくていいんだが。見た感じ歳も近そうだし」

「え、いやでもタキさんは敬語──」

「あいつは舎弟だからな」

 言いながら晴香は立ち上がり、「それに」と言葉を続けた。

「お前猫かぶってんだろ。雨狐には言葉遣い汚ねぇもんな」

「う……」

『あはは、バレてる』

 言葉に詰まる湊斗を、カラカサが笑った。そんなふたりを横目に、晴香はびしょ濡れの紙袋を手に歩き出した。話の腰を折られてしまった湊斗は、手近な紙袋を拾い上げて晴香についていく。

「それよりもだ」

 晴香は、湊斗がなにか言いたげなのをお構いなしに話しかけてくる。

「お前ら、雨狐の目的についてなんか知らないか? "捜索"がどうの、褒美がどうのと喚いてたよな」

「あー。言ってたのは覚えてるんですけど」

「敬語」

「あ、はい……うん。覚えてる、んだけど」

 わたわたと言葉を選びながら、湊斗は考え、答える。

「"捜索"とやらの心当たりはないです……ない、かな」

「そうか……」

 晴香は歩きながら、顎に手を当てて思案する。湊斗はそんな彼女に向かって言葉を続けた。

「ただ、長いことあいつらと戦ってて、なんとなく思うところがあったりもするんで……まぁ、落ち着いたら話しま……話すよ」

「ああ、頼む」

 ニヤニヤと笑いながら、晴香が頷く。深呼吸ともため息ともつかぬ息を吐き、今度は湊斗が話を向けた。

「で、えーと……晴香さん、ちょっとお願いっていうか……えーっと、相談っていうか……」

「ん」

 ──さて、なんと言ったものか。

 思案しながら、湊斗は「あー」と言葉を濁しつつ、言葉を選ぶ。

「……えっと。今回の事件、結構いろんな人が見てるじゃない? 雨狐とか」

「そうだな」

「実際に被害にあった人もいるし……それで……」

 正義感の強い晴香のことだ。伝え方を間違えれば怒られるかもしれない。

 湊斗はびくびくしながら、相談を──"この場にいる人の記憶を消したい"というその言葉を、持ち出そうとしていた。

「えーっと」

「……なんだよ」

 上手い言い訳が浮かばない湊斗に痺れを切らしたのか、晴香は立ち止まって振り返った。

 そして胸ポケットから小さな紙を取り出し、湊斗に向かって紙面を見せる。

「100万円の請求が来てるんだが」

「えっ」『げっ!?』

 晴香の手にした紙──請求書に書かれた金額を見て、湊斗たちは悲鳴をあげた。晴香は紙片を印籠のように翳したまま捲し上げた。

「今回の事件、運よく死亡者はいない。怪我した奴も掠り傷程度で済んでいる」

 晴香はそこで言葉を切ると、息を吐いて、ふいと目を逸らした。

「……いいか、目を瞑ってやるから、5分以内になんとかしろ。"いつもみたいに"な」

「え、それって──」

「わかってるとも思うが、私たちの記憶まで消したらぶっ飛ばすからな」

 晴香はそう言うと、中庭の入り口付近にいた相棒・タキの方へと歩き出した。その後ろ姿を見ながら、湊斗は思わず吹き出した。

「全部、お見通しだったね」

『すごいね、姐さん……』

 そんな会話をしながら、湊斗は相棒と共に、"記憶改竄"の準備をはじめる。

 ──こうして、この事件もまた迷宮入りの<超常事件>として処理されることとなる。

 雨上がり、虹がかかった空の下、その秘密を知る四者は互いに視線を合わせ、片眉をあげるのだった。

(第2話終わり。第3話「マーベラス・スピリッツ」に続く)


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