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佐藤弘樹氏(ラジオDJ)他界 - オレの中の平成がまたひとつ消えた

関西では京都のローカルFMと呼ぶにはもったいない存在感を持つ「α-Station」において、四半世紀にわたり平日朝の帯番組を担当していたDJが、過日他界していたとの知らせが。

大切なお知らせ「5月22日より、番組「 α-MORNING KYOTO 」をお休みされていたα-STATION DJ 佐藤 弘樹氏がご病気のため永眠されました。享年62歳でした。」

毎日というわけではありませんでしたが、彼の声.......心地よい低音とゆったりしたテンポ......はよく耳にしていました。
7時台には最新のニュースに対するコメント。放送コードその他の許せる範囲で自らの意志を織り込めつつ、それでもできるだけニュートラルにニュースの見方を解説していました。
8時台の「One Point English」では、日本語についても深い考察を交えながら、英語というか言語の奥深さを垣間見せてくれました。日本語教師として働くようになってからは、言語学の基礎講義としても拝聴しておりました。
9時台はほとんど聴いていませんでしたが.........「α(-Station)といえば、渋い声のおじさん=佐藤弘樹氏」という認識は、私のみならず多くの人が持っていたと思います。

5月下旬から「体調不良→病気療養」ということでオンエアから消えた声は、二度と帰ってくることはありませんでした。

α-Stationは1991年開局。1989年開局のFM802、1990年開局のKiss FM KOBEに続いて、関西に新たに開局し、FMの世界をガラッと塗り替えた放送局のひとつでした。
その中で、個人的にいちばん愛聴したのがα-Stationであり、その頃から「渋い声のおじさん」は耳なじみでした。
まさに「私の中の平成」を形作る、一要素であったのです。

その方が他界することは、私にとっては「平成がまたひとつ消えた」感覚です(『また』と書いたのは、ヒロTことヒロ寺平氏の引退宣言が先立ってあったからです)。

radikoは過去1週間しか遡れないので、YouTubeに残る「渋い声」を聴くとしましょうか。去年6月28日の「One Point English」です。
下記画像をクリック or タップくださいませ。

月並みな言葉ですが「ご冥福をお祈りいたします」。
というか、気の利いた言葉など、この期に及んでは思い浮かびません。

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