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他人の荷物はいつも軽く見える。

才能がないのに、何かに向かって一生懸命努力する人、諦めが悪い人、自分の身の程を知らない人、一つの物事に真面目すぎる人、僕は、昔からこんな人達が正直嫌いだった。もちろん、一生懸命努力することや、頑張ることは大切なこと。と知っていながらもそんな奴らが嫌いだった。なぜなら、僕は昔から、才能が全てだと信じていたから。だから、才能がある人が頑張る分には何も思わなかった。ただそうでない人が、諦め悪くガムシャラに努力してるのを見るとなぜかイラッとする自分がいた。どーせ無理だから辞めとけと言わんばかりに、内心よくそう思うことがあった。

もちろんこれを、誰かに口にしたことはない。そんなこと言ったら、普通周りからも反対されるだろうし、きっと嫌われるよ。だから言わなかった。

でも、僕はたまにそんな自分が嫌だった。なぜ、頑張る人を応援できないのか、なぜそんな考えが捻くれてるのか、それでも自分に嘘はつけないから、どうしようもなかった。

そんなある日、僕はこの悩みをある人に打ち明けた。その人刃、宮本英治、僕の大学のサッカー部の先輩である。なぜその人に話したかというと、こんな悩み、普通に人に話してもどうしようもないし、きっと答えはでないと思ったからだ。つまり、この人かなりの変態である。どのくらい変態かって? てんとう虫の背中の点々数えるくらい変態です。(この時代にインスタもやってない人です) つまり、この人と話したら何か変われるかなと思って話してみた。

するとその人に「人って自分が何か一生懸命になるれるものだったり、夢がないと他人の一生懸命頑な姿や夢に向かって頑張る姿が羨ましくて嫉妬するんだよ」と言われた。間違ってなかった。本当この通りだった。自分は、他人を嫌ってたんじゃなくて、そんな他人の姿に心のどこかで嫉妬してたんだなと。たしかに、昔から自分が誰かにそのような感情を抱くときは、だいたい自分が上手くいっていなかった時。

そして、本当は誰より負けず嫌いだった。小学生の頃は徒競走で負けたくなくて、カーブのとこを直角に近道してでも勝とうとした。結局負けたけど。けど、今となっては勝負して負けるのが嫌で、多少のリスクがあれば勝負を避けてきた。でも、またその人に言われた、「それって、確かに負けてはないけど、1番ダサいよ」って。

今思い返せば、小さい頃よく父親に言われたことがある。「人生負けることの方が多いけど、自分自身と自分の夢には負けるな。」と。それでも僕は誰にも負けたくなかった。しかし、結局こうやって結果を見れば、不戦勝が積み重なり負けの方が多い。なんなら、自分にも自分の夢にさえも勝てなかった。ほんと完敗。

けど、幸運にもまだ最終節まで時間がありそうだ。だからこれからは、どんな投球にもビビらず、当たんなくてもいいから張るくらいの気持ちで。なんなら全部フルスイングで、三振でも笑ってやれるくらいの自信と度胸と覚悟で、そして一生見逃し三振しないよう生きていけたらな。もし、この文を読んで僕と同じような経験や感情を抱くことがある人がいれば、言っておきます。絶対負けないでください。最後まで、本気で走り続けて下さい。

て事で、久々、ひば公で野球やりたいなぁ。

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