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#68 トップシェフについて

2月3日。水曜日。今日という日は、本当に、よろしくなかった。将来うっかりタイムスリップしてしまったときに飛ばされたくない日ランキング10位ぐらいには入る。そんな日であった。

そんな今日は【トップシェフについて】ということで。昔見ていたテレビ番組を思い出したので、それについて書きます。

今日の記録

今日は、M2の人の修論公聴会があった。そして期末レポートの提出日でもあった。公聴会は、なんというか、思うところ多し。先輩の報告を聴くだけなのだが、いろいろ悶々とした。院進してから、ずっとこういうモヤモヤを抱えているような気がする。精神健康上、よくない。僕のnote、ずっと「よくない」っていう言葉が頻出しているんだけど、それもよくないと思っています。よくないんですよ、本当に。

レポートについては、散々。多分、単位は取れないだろうなと思って、学生便覧をよく読んだら、そこまで必要な単位ではないとわかって、気が抜けた。そこから先は、もうダメですね。単位が必要ないとしても、こんな単純なレポート、学部生のときは簡単にこなしていたのに、今はこの有様。いろいろとね、いろいろといろいろいろいろですよ。暗くなってきたので、やめます。明るい話題がほしいな!

トップシェフについて

高校生ぐらいのときに毎週D-lifeで見ていた「トップシェフ」が、いつの間にかNetflixにやってきていた。

なぜか公式のリンクが貼れないので、別のサイトで。

こういうの、リアリティ番組というらしい。アメリカ全土から若手シェフが集められ、そのトップを決めようというもの。12人ぐらいの男女が集決し、毎回課題に沿った料理を作ることになる。バーベキューをするだとか、アジア料理を作れだとか、なんだとか。課題の中には、3人ずつのグループに分かれて、それぞれレストランを経営しろとかいうものもある。

そしてこの番組、恐ろしいことに、毎回「最も料理が下手だった人」が家に帰される。最初は10人弱いるのだが、毎週一人ずつ減っていき、最後には1vs1の勝負になる(三つ巴だったときもあるけど)。そして、最後まで勝ち残った者が「トップシェフ」ということだ。

このトップシェフ、僕は3シーズンまで見たのだが、一種の「あるある」のようなものがある。今日はそれについての紹介。

① 批判されるのはつらい

1つ目は、自分の作品を批判されることについて。トップシェフにおいては、毎回の課題でトップ3とワースト3が選ばれ、トップ3は褒められるが、ワースト3は可哀想なぐらい批判される。そして、最も出来の悪かった者が家に帰される。一切言い訳の通用しない、結構シビアな世界である。

で、出場者の誰もが口にするのが、「自分の料理を批判されるのはつらい」ということ。みんな毎回、本気で料理を作る。本気で作っているので、それなりに自信もある。ただ、番組を見ていると、作った本人は自信満々なのに、審査員からは「あれは何だ? 俺たちに何を食わせた?」なんてことを言われることもしばしば。そうすると、みんなショボーンとして、「丹精込めて作ったのに、あの言われようは傷つくよ」と漏らしたりする。泣き出す人もいる。

僕も、手塩をかけた研究報告をばっさり斬られると、こんな感じでショボーンとする。研究報告自体少ないので、あまりこういう経験はないのだが、「トップシェフのシェフたちも同じ気持ちだったんだなあ」と思いを馳せたりする。

② 友達を作りに来たんじゃない

あるあるその2は、「友達を作りに来たんじゃない」というセリフ。トップを目指すシェフが集められるわけなので、やたら癖の強い奴もちらほら。シーズン2だと、初対面の人にいきなり包丁を自慢する奴とかも現れた。我が強すぎて周囲の和を乱す存在が、どのシーズンにも1人はいる。こういう異端分子的なのは、多分番組的においしいので、意図して配置されている感もあり。全員がライバル同士とはいえ、チームで解く課題とかもあるので、癖の強い人はだいたい疎まれる。

で、こういう人は、やがて自分が周囲から嫌われていることに気づいていく。そこで口にするのが、上記のセリフである。「僕はここに腕を磨きに来たんだ。友達を作りに来たんじゃない」。馴れ合いお断り、嫌って結構、ということ。こういう態度を取ることで、ますます周囲から疎まれたりもするのだが。

このセリフ、何が印象に残るかというと、孤独を癒やしてくれる理屈であるところだ。周囲と馴染めなくったっていい、俺は俺の目的を果たしにここに来たんだと。有象無象に惑わされず、自分の為すべきことを自覚している。素晴らしいことだなあと思う。僕もこれぐらい、自分を強く持ちたいところですよ。まあ協調性ない人の言い分としても使われるのですが、、、今日はこれが言いたかった。

もう一つぐらい、あるあるあった気がしたのだが、忘れてしまった。この番組、脱落者には毎回「ナイフをしまってお帰りください」との言葉がかけられる。言われたら、いろいろと自分の思いを語った上で、一人で地元に帰っていく。現代社会、こんなわかりやすい形での「脱落」は、ほとんど目にすることがないと思う。競争社会とはいっても、だいたいの場合は徐々にフェードアウトしていくか、自分から去って行くかのどちらかだろうので。こうして普段あまり可視化されることのない「競争から脱落」が見られるのは、リアリティ番組ならではかもしれない(何の話?)。


無理やり自分のことにつなげると、「大学院」が競争社会なのかどうかは、よくわからない。基本的には、研究というのは自分との闘いだと思う。空いたポストは他人と奪い合わなければならないので、多少は競争の要素も入ってくるけれど。

ただ、競争社会って、目指す目標がわかりやすくていいよなあと思う。トップシェフみたいに、競い合って頂点を目指せばいいのだから。最近、というか院に入ってから思うのだが、自分の研究がどこに向かっているのかわからない。成果をまとめて報告して、批判されれば修正するけれど、修正に修正を重ねて、、、その先は? さっきも書いたけど、自分の手塩にかけたものを批判されるのってメンタルに来るので、そのメンタルの痛みを乗り越えて、、、 それが何になるのかとか、もうなんだか、よくわからなくなってしまった。暗いな。暗くなってしまったので、今日はこの辺で。

この前読んだブルーピリオドに、「好きなことをやっているからって、いっつも楽しいわけじゃないよ」っていうセリフが出てきて、ほんとそれなって思いました。なぜ、なぜ研究をして、どこからやって来てどこへ行くのか、、、わからん。昔の僕は何を考えていたっけ? ああ、暗い話題になってしまったことですよ。


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我が家の台所。ワーストシェフになれる自信がある。