見出し画像

大きな言い訳(未来を言うの続き)

pixabayのKIMDAEJEUNGさんの写真に文字を乗せたもの

 前の続きです。勘は生存本能と関係ある必須の状態か。違うのではないか。


 でもわたしの考えでは、勘も人間が生きていれば働かせずにはいられない。

 何か、今わたしは何かを恐れているんだけれど、こういうことは子どものときには思わなかった。
 わたしがこうして考えていることは確かに肝心で、この意味が素直に伝わるなら空気だって読み過ぎないでよくなるし、集中してやったことの結果が自分だけではない、誰かの役にも立つ。

 もはや勘というものではなくてもいい。
 とんでもないことをしようとしなくても、よく集中して感じ取ったり、何を感じたのかに気付いてほしい。

 きっと芸術とか勉強はその結果とか、その過程をできるように誰かがやった後だと思うから、感じるものはあなたの役に立つ。

 怖いのはこれが、理解して、自分のために使えなくても、大きな言い訳に使えることですよ。
「こう感じたからこうなるのが正しい。」
という理屈をつくっているときに、その内容の全てが願望でしかないということに気付かないまま、それが周りの嫌がることでもおし通してしまうこと。これは自分を騙してしまうことになるでしょう。

 どうしたらそうならないか、一生懸命になって考えてみたけど、自分の都合の良いように何でも捉えているのでなければ、大丈夫。
 誰かや何かを、自分だけのものにしようとしないで、そのまま受け取る。
 というのが難しいときもあるけど、未来を言うのも、夢を叶えるのも、それが自分の外と反応を実際に起こすのも、その方が早い。

つづく

難しいです……。