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月ノ美兎とVTuberの新たな3つの身体

いやー、こないだの委員長の配信、最高でしたよね。

配信自体は30分ちょいなわけですけどとても濃密で、しかも百物語から始まって、2つのTwitterアカウントとnoteで話が展開してからの配信で、トータルで5日間まるまる楽しめました。

しかも扱ってるネタが「VTuberの魂」という、現在のVTuber界隈で(あまり良くない方向で)ホットトピックになっているもので。委員長はあくまでエンタメにしてしまっているので掘り下げるのは野暮なのかもしれないですが、やっぱりいろいろ考えてしまいます。

他にも色々考察を重ねてる人が多くてyet anotherな感じではありますが、自分もなんとなくそれらしきものを書こうかと思います。特に、「魂」と「ガワ」の二元論で語ってる人が結構多いんですけど、そうではない、委員長にとってきっとVTuberは「魂」でも「ガワ」でもないんだって話を書きます。
(本当は委員長のnoteが来てからきっちり情報揃えて書こうと思ってたんですけど、note来ないんだぁ……)

以降はネタバレなので配信見てから読んでくださいね。


僕が気になっていたのは、委員長が記憶を失ってよくわからない回廊をさまよっていたときの、でろーん(樋口楓)との会話なんです。ここ、キーポイントだったと思うんですよね。

楓「お前みとちゃんじゃないやろ」
美兎「えっ?」
楓「お前誰や」
美兎「みとちゃん、っていうのは……あっ、この左の月ノ美兎って人がみとちゃんかな?あー、この人がわたくしなんですね」

でろーんは「お前みとちゃんじゃないやろ」と、ゾンビ状態の委員長が月ノ美兎であることを初手否定するんです。

つまり、月ノ美兎としての記憶を持たない「魂」は月ノ美兎になれない、ということなんです。(ここが結構見逃されているポイント。)

美兎「このキャラは、えー、『性格はツンデレだが根は真面目な委員長……(以降、公式の初期設定を読み上げる)』」
楓「それ、間違ってんで」
美兎「えっ?」

でろーんはしかし、公式の設定、つまり「魂」を伴わない「ガワ」が月ノ美兎であることも否定するんです。

そしてここで、でろーんはリスナーに助けを求めます。

楓「みんな、普段のみとちゃんってどんな人? コメントで教えてくれへん?」
(中略)
美兎「ふーん、このコメント1個1個見ると、ちょっと思い出してきた気がします。ふーん、こんな人本当にいるんですね」

委員長がリスナーのイメージから記憶を補完すると、

楓「はよいけ、クソザコ委員長」

でろーんはここでやっと委員長を「クソザコ委員長」、つまり月ノ美兎だと認めるんですね。

更に言うと、このあと委員長はリスナーから集めた、月ノ美兎に関するキモい噂(デマ)で入れ替わった魂を撃退して、無事月ノ美兎の身体を取り戻します。

つまり、リスナーが抱く月ノ美兎像を「魂」がまとうことで、「魂」はようやく月ノ美兎になれたってことではないのでしょうか。

ここで、1年ほど前にナンバユウキ氏が記したVTuber評を引用します。

ナンバ氏は、VTuberの身体を構成する3つの概念があると述べています。

・パーソン(person):じっさいのひと(person)。メディアペルソナが依存しているものであり、キャラクタを演じたり用いたりするものである。パーソンの性質の一部はメディアを通してメディアペルソナの性質とみなされる。わたしたちは通常パーソンにはアクセスできないが、スクープやスキャンダルによってその姿が暴露されることがありうる。

・メディアペルソナ(media persona(e)):パーソンがメディアを通して、さまざまなメディア(e.g. ラジオ、テレビ、YouTube、Twitter)においてオーディエンスによってみられた姿。パーソンの性質を部分的にもつときもあり、パーソンの性質が部分的に消去されることもある。パーソンがもともともたなかったような性質が、撮影、出演、トーク、インタビュー、などといった活動によって付加され続ける。メディアペルソナと一致しないようなパーソンの性質の暴露によって、形成された性質が破綻をきたすこともある。

・フィクショナルキャラクタ(fictional character):パーソンがアバターとしてその画像を用いるフィクショナルキャラクタ。フィクショナルキャラクタには造形的性質のみをもつようなキャラクタとそれ以外にも物語におけるようなさまざまな性質をもつキャラクタがあり、このうちパーソンは前者のキャラクタの画像をアバターとしてしばしば用いる。

ここでいうパーソンがいわゆる「魂」、フィクショナルキャラクタが「ガワ」だとみなすことができるでしょう。そしてその中間、「魂」がメディアを介して作り上げた表層、VTuber像であるメディアペルソナの存在を指摘しているのが、ナンバ氏の特筆すべき点だと言えます。

しかし今回の委員長の配信を鑑みれば、このメディアペルソナという概念では「月ノ美兎」を捉えきれないことがわかります。ナンバ氏の論では、あくまでVTuberが情報の送り手、リスナーは情報の受け手としか見ていないからです。あくまでVTuberが能動的に発信を行い、リスナーはコメントやTwitterでのリプライを返すにしろ、主には受動的にVTuber像を受け入れる存在としか見ていないのです。

月ノ美兎はそうではありません。インタラクションのきっかけは委員長(のパーソン)であるにしろ、情報を受け取ったリスナーは想像し、発信し、膨らんだキャラクタ像はネット上で独り歩きして、パーソンが作り上げたペルソナを飲み込んでいるからです。(初期委員長の象徴だった「ムカデ人間」などが一例と言えるでしょう。)ここに、VTuberとリスナーの主従関係は逆転しています。リスナー、あるいはマスとしてのリスナーの集まりは、VTuber像のただの受け手ではなく、VTuber像の創造をパーソンとともに担う者でもあるのです。

もしかすると、月ノ美兎以降、あるいは2019年に入って以降のVTuber像が変化したのかもしれません。実際、先のナンバ氏の評はキズナアイには当てはまるかもしれませんが、月ノ美兎には当てはまらないことが多いと感じられます。

月ノ美兎以降、メディアペルソナはペルソナの枠を超えて、もはやそれはネットミームと呼ぶに等しいものになったのかもしれません。

「ネットミームの1つになれたら嬉しい」

常々そう言っている委員長は、まさにネットミームとしての月ノ美兎をリスナーとともに作り上げようとしているのかもしれません。


[追記] 僕がこれを書き終わった14分後に委員長のnoteも来ました。特に彼女が「VTuberの魂」ネタを扱ってることに関して、noteの最後に書いてあることは必読だと思います。


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