委員長は別にキャラの心情が読めない人じゃないが

前回のnote、かなりの人に読んで頂けたようで、配信の感想では初めていいねを100以上ももらってしまった。

それは嬉しかったのだけど、ただ、これを書いた後に1つひっかかることがあった。それを僕のnoteが助長するような形になっているのなら嫌だな、と思ったので、短い追補という形でここにまとめておきたい。

先のnoteで僕はこう書いていた。

委員長は元々、ノベルゲーであまり感情移入をしない。
(略)
一方、この2回のシャニ配信では、でろーんはその真逆を行っていた。

ただこれに関連してというか、似たようなニュアンスで以下のようなツイートを見かけた。(文言だけ引用して詳細は伏せる)

作者の心情は理解できるがキャラクターの心情が理解できない月ノ美兎と
作者の心情は理解できないがキャラクターの心情は理解できる樋口楓

似たようなことを会話してるまとめサイトもちらと読んだ気がするのだが、これは僕の主張とは似て非なるものだ。……というかそんなわけ無いだろと言いたい。
キャラの心情が読めない人のノベルゲー実況なんて面白いわけないし、評価されるわけもないだろうに。
……というか、委員長の実況をちゃんと見ていればこんな感想になるわけないのだが。

感情移入しない、というのは委員長の読解のスタイルであって読解できないという意味ではない。
Aというキャラが色々話していたところに
「あー、Aさんってこういうときに○○って思うタイプなんだね」
と第三者目線で心情を読みに行くのが委員長の基本スタイルだ、というだけであって、○○が見当違いだ、と言いたいわけではない。少なくとも僕は。
一方で
「あーわっかる〜○○って言いたくなるよね……」
と当事者目線で心情を読みに行くスタイルも当然ある。このスタイルでないとわからないことも当然あるが、第三者目線で俯瞰してみないとわからないこともあって一長一短だ。どっちが優れているという話ではない。

これは逆も然りで、でろーんは感情移入するからといって作者の心情が理解できないわけではない。当事者目線で語れば「作者の心情」なんて直接語られないだけで、当然シナリオの意図は読めている。繰り返すが、それが読めない人のノベルゲー実況なんて面白いわけないだろう。

もちろん、委員長の読解が「解釈違い」を起こしている、と思う場面もあるだろう。ただこういうものの解釈に正解はない。単に「自分と」解釈が違う、というだけだ。それは心情が読めないというのとは別だ、ということを最後に強調しておきたい。
シャニマスは文学、と言われているそうだが、文学では当然だが、解釈に正解はないよ。







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