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初めて会ったかのごとくに

今日、父を20年来診てくださっている整体の先生の言葉が胸に突き刺さりました。それは、「初めて会ったかのように」というものです。どういうことかというと2つの対象があります。

 1つ目は患者さんを診るときに、この人は、腰が悪いから腰を中心に施術しようなどと初めから先入観を持たず、あたかも初めて会ったかのように施術に入るというのです。

当然、今日、身体の具合の悪いところはどこですか?とかは質問します。しかし、まず、身体を触り悪い個所を探し出し、施術しながら考えるそうです。体が教えてくれるというのです。

患者さんが言った具合の悪い個所は、別の個所が原因で具合の悪いと感じることもあります。すべては、身体が教えてくれるというのです。そして、施術時間は決まっておらず、身体の悪い個所がなくなるまで診てくださるのです。

 

実は、この先生を父に紹介したのは私で、当初は私が診て頂いていたのですが、先生がご高齢のため、何となく診て頂くのが申し訳なくなり、父と母だけ診て頂くようになったのです。

先生もご高齢で一度引退したのですが、また、トレーニングし直し、往診で父と母だけは診てくださっていたのですが、父一人になったのと、このところ私が疲れているように感じた父が、先生に施術をお願いしてくれ、本日施術してくださったのです。

 

久しぶりに施術して頂きましたが、まさに神業でした。このところ背中辺りの背骨の居心地が悪いと思っていたのですが、背中の奥の筋が冷えや疲れで固まってしまっていたそうです。指や肘を使い、いろいろな角度から揉みほぐし、身体の正面、後ろ側、足、腕、首、そして、筋をほぐした後、腰骨の矯正、背骨の矯正と身体が完全にリセットされました。

最後に、体付きからくる姿勢の注意事項を教えてくださいました。

 

さて、話はそれましたが、「初めて会ったかのように」2つ目の意味です。

1つ目は何となくわかりますが、2つ目は「人に接するとき」も先入観を持たず、初めて会ったかのように接するというのです。先生によると体と同じで、今日のこの人はこういう人だとか分かるそうです。確かに機嫌が良いとき、悪いときもありますし、この人苦手だなとかもあります。

初めから色眼鏡でみるのではなく、まっさらな状態で人に接するというのは気づきませんでした。こちらが嫌だなぁと思っていると、大概、相手も嫌だなぁって思っていると言われます。いつも初めて会ったかのような気持ちで接すると、違った一面に気付くこともあるかもしれません。
お釈迦様の最期の言葉、「すべてのものは移り行く、怠りなく努めよ」
日々変化している物事を、正しい目で見たいものです。

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