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「双子の母」「保育のプロ」2つの肩書きを持つtatamamaサポーター・にこ先生に独自インタビュー!

福岡市を拠点に双子や三つ子などの多胎育児を支援する一般社団法人tatamamaです。

多胎児ママ(以下:タタママ)にやさしい街づくりを目指し、公式LINEによる多胎育児情報の発信や多胎児世帯交流会、専門家相談会などを開催しています。

そんなtatamamaの活動内容や思い描くビジョンを、より多くの方に届ける公式note。今回は、保育士やベビーシッターの経験を活かしてtatamamaサポーターとして活躍されている“にこ先生”こと廣政久仁子(ひろまさくにこ)さんにインタビューを実施しました。 

廣政さん自身の経歴にも触れながら、tatamamaをサポートしようと思ったきっかけや実際にサポートして感じたこと、今後の多胎育児支援の展望などをtatamama代表理事の牛島も交えてお届けします。

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メール:info@tatamama.org
Instagram:https://www.instagram.com/tatamama.kyusyu/
公式LINE:lin.ee/MrFqjHo

幼稚園教諭からベビーシッターに。保育に関わるきっかけとは

── まずは廣政さんのこれまでのキャリアについてお聞かせください。そもそも、保育に携わるきっかけは何だったのでしょう。

廣政さん:私自身が5人兄弟の長女なので、もともと下の子のお世話をするのが好きでした。子育てに一生懸命な母親の姿を見てきたこともあり、子どもの面倒を見ることが仕事になったらいいなと思ったのが大きいですね。

その後、私立幼稚園の正規職員を経て、結婚後は保育園の臨時職員として働いていました。第一子の妊娠がわかったあといったん退職したのですが、出産後再就職し今は別の保育園でパートとして働いています。 

パートを始めてから7年ほど経ったときに双子妊娠が判明したんです。出産し、乳児期間が終わったのも束の間、双子が1歳になるころにちょうどコロナ禍に入りました。

牛島:それは大変でしたね。

廣政さん:そうですね。ただ、大変な状況が続いても何とか前を向いていこうとする性格なので、これまで培ってきた保育の経験を活かして何かしようと思ったんです。

度重なる緊急辞退宣言で外部のサポートを受けることが難しく、私は実際にお願いできませんでしたが、双子育児の大変さからベビーシッターの必要性を痛いほど感じていました。そこで、自分自身がベビーシッターになることで社会貢献になるのではと考えました。

そう考えるのは、ベビーシッターが「保護者の身近で直接的に子育て支援ができる仕事」だと感じたからなんですよね。

牛島:保育園では、家の中の様子まではわからないですもんね。

廣政さん:勤めていた保育園の勤務に集中しキャリアアップすることを考えた時期もありましたが、子育てとの両立は難しかったですね。

さらに、より私らしい育児の在り方とキャリアを考える中で、専門学校講師になる選択肢が出てきました。講師であれば保育や制度の勉強ができる上に、「双子の母」と「専門学校講師」という2つの肩書きをもてるので、他のベビーシッターとは違う色が出せると思ったんです。

また、ベビーシッターと講師であれば保育が連動し、バランスの取れた、より深い保育の提供ができると感じました。

牛島:タタママの先輩である廣政さんが活動に関わってくださることは、tatamamaにとって宝物だと思っています。この出会いやご縁に心から感謝しています。

廣政さん:ありがとうございます。

── 専門学校の講師としては、具体的にどのようなことを教えていらっしゃるのでしょうか?

廣政さん:主に実習生の育成を担当しています。保育の現場のことを伝えたり、指導案を作ったり、書類の書き方を指導することもあります。特に、保育現場での働き方や子どもやお母さんとの関わり方を教えることが多いです。

単に「保育士になりたい」というふわっとした想いから、「私はこんな理由で保育士になりたい」という自分なりの保育士像を明確にするところまで指導します。

牛島:本当にすばらしいです。

廣政さん:保育士の質についてよくニュースで取り上げられていますよね。バスでの置き去り事件や暴言を吐くような虐待も少なくありません。世間からの、保育士に対するイメージダウンにもつながりかねないので、理想の保育士像を描くところまでサポートすることにこだわっています。

睡眠時間はたったの2時間・・・壮絶な双子育児の現状

── ここからは廣政さん自身の育児経験についてお聞きしていきます。育児中に感じた喜びや嬉しさにはどのようなものがありましたか?

廣政さん:一番嬉しかったのは命が2つも宿ったことです。2人が一緒に成長していく様子を見られるのもおもしろいですね。

牛島:共感します。双子だけの世界があって、そこに親である私たちが混ぜてもらっている感覚ですよね。2人の絆には、私ですら立ち入れないようなつながりを感じます。

── 双子ならではの世界観があるのですね。一方で、双子育児をする上で大変だったことや苦労したことはありますか?

廣政さん:一番つらかったことは寝不足です。双子が生後1ヵ月のときはおそらく1日平均2〜3時間くらいしか眠れませんでした。

夫が仕事だったので、私と母がメインで育児をしていましたがそれでも手が足りなかったんです。

そのような生活が3ヵ月ほど続き、とにかく疲労困憊でした。寝たいときに「わあん」と泣かれると子どもを抱きながら、服をギュッと強く握ってしまうことがありました。

そのときに、親が自分の赤ちゃんを投げて死なせてしまった事件のことが頭をよぎったんです。自分の今の状態は、ニュースの内容と同じだと思いました。

── そうだったのですね。大変な期間はどのくらい続いたのでしょうか?

廣政さん:授乳が終わるまでなので、1年くらい続きました。子どもが大きくなっていくにつれて手が離れていったように思います。

牛島:お話を聞きながら涙が出てきました。睡眠不足になると、正常な判断ができなかったり、自分の感情もわからなくなったりしますよね。可愛い我が子なはずなのに、泣き声に責められているような気分になるんです。

泣いているから対応しないといけないのに身体が動かなくて、起き上がれない。でも、そのままワーっと泣かれるから、動けない私も泣いてしまうこともありました。

毎日、綱渡りをしているようなギリギリの気持ちで、自分は過ちをおかしてしまうかもしれない。だからこそ本当に助けがほしいときの連絡先を決めておいたり、誰かとつながることの大切さを感じましたね。

廣政さん:私も同じ境遇の方とはつながっていたかったですね。お母さんは育児の大変な思いや気持ちをなかなか話さないので、少しでも吐き出して心を軽くできるといいですよね。

牛島:当事者ではない人から励ましてもらうこともあったのですが、素直に受け取れないときもありました。でも同じタタママ同士であれば、すぐに共感して「大変なのは自分一人ではなかった」と気づけるんです。このように視野が広がる感覚はとても大事だと思います。

双子のために何かしたいのにできない…モヤモヤした思いの中でtatamamaと出会う

──廣政さんがtatamamaを知った経緯やきっかけについて教えてください。

廣政さん:公園で開かれているタタママ交流会についてのニュースを見たんです。Instagramで検索して、私からメッセージさせていただきました。

実は、私の住んでいる古賀市でも双子の会を発足したいと思い、市に相談したことがあります。でも、市役所に勤めていない一般人の開催は認めてもらえませんでした。悶々とする思いの中でtatamamaの存在を知り、サポーターに応募しました。

tatamamaは規模が大きく、公式ホームページに載っている情報も充実していたので、すぐに信頼できたことを覚えています。また、代表である牛島さんの思いには非常に共感しました。いま、tatamamaに関わらせてもらえて幸せです。

牛島:そのように言っていただけて嬉しいです。

── 廣政さんは現在、tatamamaでイベント開催時のサポートに入っていらっしゃいますよね。具体的にどのようなことをされているのか、またサポートする上でのこだわりなどがあれば教えていただけますか?

牛島:廣政さんにはこれまで2回、交流会とクリスマス会のサポートをしていただきました。子どもたちのために、集中力が高まる道具やごっこ遊びができるおもちゃを用意してくださったんです。子どもたちは興味津々で飛びついていましたね(笑)。保育のプロが選ぶおもちゃは一味違うと感じました。

廣政さん:tatamamaとは別にイベントや託児に関する勉強会に参加したこともあって、知識や失敗談をインプットしてからイベントに臨むようにしています。

── 直接イベントに関わり、tatamamaの活動内容にどのような印象を持ちましたか?

廣政さん:サポーターはお母さんにとって非常にありがたい存在だと感じました。他のイベント会場では、サポーターがいないこともあれば、いたとしても1~3人と少数な場合が多いです。だから「子どもが泣いてしまったので抱いてほしいです。」とはなかなか言えないんですよね。それが言える託児サポートは素晴らしい試みだと思います。

tatamamaの場合は、保育士やベビーシッターだけでなく、助産師や男性など様々な方がサポートに来られているので安心感がありました。私自身、イベント運営の方法に刺激も受けました。

廣政さんの思い描く今後の展望


── 廣政さんの思い描く今後の展望などがあればぜひお聞かせください。

廣政さん:とにかくたくさんのご家庭に行って、困っているお母さんたちを救いたいです。将来的にはベビーシッターの育成や、法人化も目標にしています。

牛島:私たちも「tatamamaネウボラ」というアウトリーチ型のサポートを2025年に開始することを目指しているので、廣政さんの存在は頼もしく感じています。今後10年、20年と末永くお付き合いしていきたいです。

廣政さん:ありがとうございます。ちなみに、tatamamaでは今後どのような会社と提携されるんですか?

牛島:現在、いくつかの会社とお話が進んでいて、「tatamamaネウボラ」を進める上でのシステムの導入や、多胎児世帯に向けた研修をする方向で動いています。2025年に実現するべく、2024年度からスタートし、今後100名のネウボラ登録を目指します。

──「こんな未来が実現したらいいな」という廣政さんのイメージがあれば教えてください。

廣政さん:私にお願いしてくださる方が増えることで、将来的に私のような多胎育児経験者など、多様な人材を行政がもっと上手く派遣できるような体制ができればいいなと考えています。

牛島:そうですね。行政に働きかけていくことはもちろんですが、行政の動きを待っているだけでは目の前のタタママたちが倒れてしまうので、まずは私たちが先頭を切ってやっていくことが必要だと感じています。そのための体制づくりを2年以内に完了させるのが、tatamamaの目標ですね。

── 最後に、廣政さんのようにtatamamaで多胎育児のサポートをしたい、あるいは活動に興味を持つ方に向けてメッセージをお願いします。

廣政さん:お母さんが必要としているのは相談窓口ではなく、直接助けてくれる人です。話を聞いて、心の底からわかってくれる人を求めています。そのような人が1人いれば、人生は変わってくると思うんです。

タタママを助けたい、子どもを抱っこしたい気持ちがあればぜひサポーターになって欲しいです。直接関わることで今まで知らなかった景色を見ることができます。

牛島:今はオンラインでの支援は当たり前に存在していますが、対面だからこそ構築できる信頼関係があると思っています。tatamamaでは、まずは福岡県の多胎育児から変え、そこから支援の輪を広げていきたいです。

地域での多胎育児支援は、私たちがいなくても成り立つものでなければいけません。その場所に行けば安心して受け入れてもらえるような支援の循環を起こしていくために、ご興味のある方にはサポーターになっていただけると嬉しいです。

▽サポーターに興味のある方はこちらからぜひご登録ください


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