2023年 柴又100 会場⇔自宅の道
↑のつづきです
完走後、完走メダルをもらい、預けてた荷物を引き取る。
そして、邪魔にならなそうな場所を探し、適当に地面に寝っ転がる。
辺りは既に真っ暗。
家族に走り終わったことをラインで伝えた後、しばらく休む。
ここまではいつもの流れであり、この後、家族が車で迎えに来てくれるので、そこまで頑張って歩けば、タタハムの「柴又100」は終わる。
だが、今回は迎えがない。
自力で帰らないといけなかった。
寒くなってきたので、長袖長ズボンに着替える。
慎重に体を動かさないと攣るので、着替えるのも一苦労。
特に、ランニングシューズを脱いでクロックスに履き替える瞬間が一番怖い。踵を引く動作が、ふくらはぎに影響しやすいから。
なんとか着替え終わると、また同じ場所で寝っ転がった。
寝っ転がりながら、移動の準備をする。
荷物の他に、ドロップバッグも回収しないといけない。
他のウルトラマラソンだと、完走後もそれなりに歩いてる記憶はあるのだが(何だったら車も運転するし)、なぜか「柴又100」の場合、歩くのもやっとな状態が多い。
・地元だから、一気に緊張が抜けてしまうからか
・フラットなコースで、ずっと同じ筋肉を酷使してるからか
・日光に晒される時間が長いからか
ドロップバッグの回収場所の近くまで歩いたが、気分が悪くなってきたので、また寝っ転がる。
頭が高い位置にあると、脳まで血が巡らないようだ。
そして、また両脚攣って痛い。。
良くなったのを見計らって起き上がり、ドロップバッグをようやく回収した。
しかし、また気持ち悪くなったので、近くのベンチに座る。
座っても全然良くならないので、また寝っ転がる。
多分、「貧血」か「熱中症」か「脱水症」になってたと思われる。
起きると気持ち悪いし、動くと脚が攣る。
どうしようもなかった。
こんなんじゃ最寄り駅まで歩くどころか、江戸川の土手を越えるのすら無理だ。
いつ回復するのか。寝てれば回復するのか?
考えても、寝る以外の行動ができなかったので、ずっと寝っ転がってた。
そうしてたところ、スタッフの人に声を掛けられ、救護室に行くことを勧められた。
正直、自業自得でなった身なので、人の助けは借りたくなかった。恥ずかしいし。
でも、少しでも早く楽になりたかったので、お願いした。
人生初、担架で運ばれる。
救護室には簡易ベッドと毛布。地面で寝るよりいい環境。
その後、オーエスワンとか芍薬甘草湯を頂いて飲んだが、全部吐いてしまった。
下痢も酷かった。トイレまで歩くのもつらい。
寝てても脚が攣るようになるし、気分もよくならない。
助けられたことで、さらに緊張が緩んでしまったのか。
いつまでにここにいるのか。早く帰りたい。
時間を見ると、レースの制限時間(14時間)は過ぎ、会場もクローズする時間となっていた。
そんな時間でも、まだゴールに帰ってくるランナーがいるようで、声援が聞こえてくる。
速いランナーもすごいけど、制限時間ギリギリ(もしくは過ぎて)でもゴールするランナーもすごい。
救護室もそろそろ閉じる雰囲気がただよってきた。
どうするか決めないといけない。
最初はタクシーをお願いした。スタッフが呼んでくれたが、捕まらなかった。
次に、救急車で病院に行き、一晩病院で休むよう勧められた。どうなるか分からないけど、それでいいやと思い了承した。しかし、タタハムより先に救急車を呼んだ人がいて、その人の行き先がまた決まってないようだった。
時間がかかりそうとのことで次の案、地元の駅まで車で送ってれるとのこと。そこからタクシー拾ってくれとのこと。その案でお願いした。
荷物を整理し、よろよろと車の中へ倒れ込む。
ようやく、大会会場を後にした。
車の中でも寝っ転がったまま。
「走ってて、こんなに助けられたことなかったなー」
人の優しさと、自分の不甲斐なさに、涙がでた。
地元の駅に到着。
タクシー乗り場は近いので、すぐタクシーに乗れた。
行き先を告げると、タクシーの中でも寝っ転がった。
23時頃、家に到着。
9回目の「柴又100K」、今度こそ本当の完走。
(この後も、しばらく嘔吐と下痢で苦しんでた)
おわり
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