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生類憐みの令は、思いつきの悪法だったのか

犬将軍
生類憐みの令とは、江戸幕府5代目将軍・徳川綱吉が生き物を保護しようと段階的に発布した法令の通称である。一例を紹介すると、「生きた魚や鳥を食用に出してはいけない」「生き物に芸を仕込み、見世物のしてはいけない」等、人々の生活を窮屈にする決まり事や野良犬を保護するため18万坪以上の収容施設を作り、維持費に数億かけたりするなど、人間より犬などが大事にされる悪法だという認識が強い。しかし、近年ではその常識が変わりつつあるようだ。

武断政治から文治政治
江戸幕府初期の徳川家康・秀忠・家光の3代将軍は、諸大名を積極に改易や減封を行い、力により諸勢力を抑えつける武断政治を行っていた。4代目将軍・家綱の代になると、かなりの諸大名が改易・減封が行われ、かなりの牢人を出していた。不満をもった牢人とともに兵法学者・由井正雪が反乱を企てるが、計画が漏れ失敗。しかし、この状況に危機感を持った家綱は武断政治の殺伐とした雰囲気を払拭するため、君主の徳による統治・文治政治へ方針転換したのであった。

生類憐みの令
家綱には、男子が生まれなかったため、弟の綱吉が5代目将軍となった。父・家光は綱吉ら子に対し、儒教の教えを叩きこんでいた。実際に綱吉は湯島聖堂をつくらせ、そこで儒教を学ばせ学問を盛んにしようとした。この儒教の教え・徳による政治体制の究極の形だったのが、生類憐みの令である。

終わりに
生類憐みの令は、人々の生活を苦しめた悪法であるというのが一般的認識であった。確かにいき過ぎた動物愛護に人々はついていけなっかただろう。しかし、この法令を境に乱暴や殺生を遠ざける風潮が出来上がったのも事実である。そのため、一側面を見て生類憐みの令を悪法を決めつけるのは間違っていたと考えざるおえない。

参考資料
日本史の新常識 日本ミステリー研究会 彩図社
一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書 山崎圭一 SB Creative

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