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独立のための戦略

フレンチ・インディアン戦争
大航海時代、ヨーロッパ諸国は進出した大陸をこぞって植民地にしていく。北アメリカ大陸も類に漏れず、イギリスがヴァージニア植民地をフランスはルイジアナ植民地をそれぞれ築くことになる。当時ヨーロッパはドイツのプロイセンとオーストリアが対立しており、同盟国のフランスとイギリスも敵対していた。ヨーロッパの争いは植民地の奪い合いに発展し、1754年―1763年の間北アメリカ大陸でもフランスと先住アメリカ人連合軍とイギリスが戦争状態となる。これがフレンチ・インディアン戦争である。

独立戦争の開始
フレンチ・インディアン戦争はイギリスの勝利に終わり、イギリスは北アメリカ大陸に広大な植民地を得るがフレンチ・インディアン戦争にかかった莫大な戦費を北アメリカの植民地に重税をかけることで賄おうとした。イギリスは砂糖、紅茶、印刷物などにも税をかけたが、植民地側としてはイギリス議会に代表を送る権利もないのに何故こんなにも重い税金を払わなければならないのかと訴えた。イギリスは激しい抵抗を受け、1770年にボストン虐殺事件、1773年にボストン茶会事件が起きると両者の関係は修復不可能な状態となった。1775年ボストンに駐留しているイギリスが近郊の町コンコードへ進軍すると民兵隊が反撃し、イギリスを撃退する。こうしてアメリカ独立戦争が開始された。

ワシントンの戦略
同年植民地側は大陸会議を開く。大陸会議とは北アメリカの13植民地の代表者会議であり、この時新設された大陸軍の指揮を任されたのがジョージ・ワシントンである。ワシントンはフレンチ・インディアン戦争の際、イギリス側に従軍しており、軍隊を訓練する知識や新設軍隊の組織的な問題、イギリス軍の長所と短所を理解していた。ワシントンは全力を尽くし高い士気を備えた軍隊を作り上げ、イギリス軍の短所すなわち本国から遠く離れているため戦費がかさむ長期戦を望んでいないことを見抜くと数で圧倒的なイギリス側とのまともな戦闘を避け、一種のゲリラ戦を仕掛ける戦略をとった。

アメリカ合衆国の誕生
アメリカは粘り強いゲリラ戦でイギリス軍の士気を削いでいき、外交面ではイギリスの敵対国のフランスとロシアの援助を受けて戦いを優位に進める。そして、ワシントンはゲリラ戦闘を止め1777年にはサラトガの戦い、1781年にヨークタウンの戦いで決定的な勝利を得ると1783年にパリ条約が締結されアメリカの独立が認められアメリカ合衆国が成立したのである。

おわりに
ワシントンは大陸軍の長所・士気が高く粘り強いのを生かし、イギリスが望む戦費がかさむ長期戦の回避を打ち砕いたのである。まさに、己の長所を持って敵の弱点を突いた見事な戦略である。

参考資料
図説世界史を変えた50の戦略 ダニエル・スミス 原書房
一度読んだら忘れない世界史の教科書 山崎圭一 SBクリエイティブ

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