英国を代表する画家『J・ M ・W・ターナー』 フランス印象派、その産みの親だった!
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#英国ロマン派
英国は、19世紀初めに産業革命を成し遂げた。その中心にあったのが蒸気機関だ。それまで人や馬、さらに風などが動力の中心だったのだが、これを一変する。この時代の空気を絵画にとりこんだのがターナー。彼は時代そのものを絵に写したといっていい。ただ後年の作品ではあまりにもボヤけた物体のカタチから何を描いたのかすらわからないとも言える。
*幼くして絵の天才!
ターナーは、1775年ロンドンの中心地で生まれる。父のウィリアムは理髪師だった。父も息子の才能に気づき、店内にその絵を飾ったようだ。するとたちまちに売れたという。誰もがその画才には驚いたようだ。
しかし、家庭環境は良くなかった。8歳で妹をなくし、10歳のときには母がうつ病になり、精神病施設に入る。ターナーは母方の叔父ジョセフに預けられた。それほど裕福でもなかったのか!初等教育は受けていない。ターナー本人も、このとき精神的傷を負ったようだ。
*画家への道!
建築画やパース画を得意としたトーマス・モルトンのところに弟子入り(1789年)。ここで1年みっちり技術を学んだ。遠近法の基礎を叩き込まれたようだ。1790年、英国王から承認されたロイヤルアカデミー美術学校に入学した。この学校はあくまで民間の学校だったが、英国では権威あるものとされていたようだ。
ロイヤルアカデミーは、正会員40名、準会員20名という狭き門だったが、23歳のとき準会員となり、26歳では正会員になっている。ターナーが準会員になるとすぐ支援者に恵まれ、以後20年間にわたり支えてくれたと言う。
*商売上手なターナー親子!
父ウィリアムは、息子ターナーの才能を買っていたようだ。息子を画家として支えていくよう、マネジメントをするようになる。1804年には、私設ショールームとしてのギャラリーを開業。父も積極的に販売業務に従事する。
この父子、共通する点は客あしらいの上手なこと。ターナー本人も直接に客とも交渉し、金額や納期の打ち合わせまでしている。父の指導があったとしても、ここまでやった画家はそういないのではないか。
*画風が変わったイタリア旅行!
ターナー44歳(1819年)にイタリア・ヨーロッパ旅行に出かける。イタリアは英国とは違って、太陽の国だ。明るい陽光と色彩に、ターナーは魅せられた。とくにターナーが好んだ街はベネチアだった。
イタリアの次に、フランス、スイスなどヨーロッパの様々な国へ行ったという。そしてそこで多くの風景やスケッチを残した。これにより英国にいたときのどんより暗い画風から、明るい色彩の作品に変わったようだ。
*ターナーはイケメン?
ターナー自身が描いた自画像(1799年)。そのスッキリした顔たちは、現代でも通用するイケメンである。ところが、友人の描いたターナーの肖像画。どれも個性的な顔なのだ。
ターナー自身が父ウィリアムを描いたとされるスケッチがある。友人の描いたものは、この父のスケッチによく似ているのだ。太い眉、鷲鼻、たれ目、これらの特徴は瓜二つといえる。多分こちらが本当のターナーだったと思われる。
*付きあった女性は、未亡人!
母が、うつ病を発症したことが影響したようだ。結婚すると妻となった女性が病気になるとではないか!そう考えたと思われる。そのため、一度結婚したことのある女性をパートナーに選んだ。
子供を作っても、その女性とは、婚姻関係を結ばなかった。しかも子供を認知していない。さらに別れた後も、子供(娘2人)への金銭支援は一切しなかったようだ。理由としては金銭への執着ということだろう。自分が描き続けることで、金を稼いでいたわけで、いつできなくなるか!心配だったと思われる。
*ターナーの代表作!
私がお勧めするのは、次の2作品。「戦艦テレメール号」(1838年)と、「雨、蒸気、速度ーグレートウェスタン鉄道」(1844年)である。この両作品、どちらも当時英国の状況をみごと写し取った作品といえる。
・「戦艦テレメール号」。これは、月と太陽、帆船と蒸気船を一枚の絵に描いたものだ。テレメール号は解体されるため、蒸気船に曳航されている場面。新しいモノと旧いモノが、1枚の絵に写し出された。モネの描いた『印象 日の出』にもよく似ている。しかしターナー、モネが描くその30年まえに描いているのだ。
・「グレートウェスタン鉄道」。蒸気機関ではしる鉄道。この機関車、ハッキリした形にはなっていない。周りをよく見ると、ウサギも走っている。これも走る姿を抽象化したものと見ることができる。やはり新旧の違いだ。
まとめ
英国では、2020年2月紙幣の肖像画が変更となった。20ポンド紙幣で取りあげられたのが、ターナーの肖像画(自筆)とテレメール号である。イギリス人にとって、ターナーは国の誇りともいえる画家。紙幣に採用するとはそういう意味だ。
父ウィリアムは、1829年に死去。これはターナーにとって相当な痛手だったようだ。父はターナーにとって、ビジネスパートナーであると同時に心の支えだった。内縁の妻と同居していたときも、この父が家にいたのだ。この支えを失ったことで、ターナーも母同様にうつ病を発症したという。子供のころ受けた影響は、生涯にわたり残ったようだ。
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