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俳優の中尾彬氏逝去(81歳)彼の生き様から学べることとは?

#人物伝   #中尾彬 #池波志乃

名前から見て、芸名だろうな?と思っていたら違っていた。この中尾彬、本名なのだ。「彬」という文字、歴史上の人物で浮かぶ幕末薩摩藩藩主の島津斉彬。「彬」という字の意味だが、実績と外観が調和して良い様!を言うらしい。確かに中尾彬は見た目もよく、美術の才能もあり、俳優としても堂々とした風格を持っていた。

*中尾彬の経歴
そんな中尾彬だが、若いころは美術の道に進むか?俳優になるか?迷っていたようだ。すでに18歳の時には自身の描いた油彩画が千葉美術展で入選している。そのまま学校は武蔵野美術大学油絵科に進んだ。しかし同時に20歳で日活ニューフェイスにも応募、5期生に採用されている。

21歳の時にフランスへ絵画修行に行ったが、どうもここで本格的な学科を目指すのを諦めたようだ。指導教員から「塩と砂糖」を描き分けてみろ!との課題につまずいたという。自分の周りにいた画家の卵たちは、次々に作品を描いたと言うのに…。

22歳で帰国するや、すぐに劇団民芸に入った。宇野重吉や大滝秀治の劇団で俳優としての知識を学んでいったようだ。6年後の28歳の時、日活と民芸から離れる決断をする。フリーとして活動する道を選んだということだ。

このころ中尾彬は1度目の結婚をする。相手は同じ年齢の女優・茅島成美(かやしまなるみ)。ドラマ、金八先生の理科教師役で知られた人物である。一児をもうけるも5年で破局。次に選んだのが女優の池波志乃だった。当時の中尾36歳、池波22歳である。

中尾彬にはこのあと良い仕事が舞い込む。33歳で映画『本陣殺人事件』の金田一耕助役。そして36歳の時は、テレビドラマ『暴れん坊将軍』で、初代徳川宗春役を演じ、これが当たり役となる。

中尾彬は俳優業のかたわら絵を描いていたようだ。フランスのルサロン展に38歳のとき出品。この作品で大賞をとった。またその翌年39歳で国際賞も受賞。マルチな才能を持った俳優として人々の感心をえる。

*妻、池波志乃との関係
妻の池波志乃の家系は落語家だった。父が10代目金原亭馬生。祖父も、叔父も兄も落語家の一家である。そんな家に生まれたわけだが、早くから女優を目指したようだ。高校中退して新劇団に入った。芸名を考えたのは、父の馬生だと言う。

酒が大好きで、料理も得意、そのうえ美術にも造詣が深かったという池波志乃。中尾とはすぐ打ち解けたようだ。芸能界で「おしどり夫婦」と呼ばれているカップルはいくつもあるが、これだけ趣味が同じ夫婦はいないのではないだろうか?

*近年の活動、「終活」
2人に子供がいなかっただけにこれを考えたようだ。そして、得られた1つの案が、終活だったと言う。まずは不用品をとことん処分する。そうして必要なものを揃えたようだ。アトリエとして使っていた千葉と沖縄の別荘、その2カ所を処分。描いてきた絵画も手放した。

一方で、遺言書もかき、墓も作った。これは東京谷中にたてたものだが、芸術家の中尾らしく、独特な作りとなっている。三つの墓石を横3段に積み重ね、一番下の石には「無」と自筆の文字を刻み込んだ。「人は死んだら無なんだ!」そんな意味があると言う。

家財や、あの「ねじねじ」と呼ぶスカーフも大々的に処分したようだ。買取業者に頼んで取ってもらったと言う。その縁で新たなCMが舞い込む。そう!あの「福ちゃん」。中尾彬夫婦と子役で有名な鈴木福の3人が掛け合うテレビCMだ。

終活のキッカケは、2人の病気だった。2006年、沖縄滞在中に池波志乃が難病にかかる。さらに2007年には中尾本人も急性肺炎で生死の境をさまよったと言う。いつも夕食を2人で酒を組みかわし過ごすのだが、このとき以来、今後の事について2人で考えたようだ。

*存在感のあった中尾彬
テレ朝の羽鳥モーニングショーの前の番組、「グッド!モーニング」の火曜コメンテーターを務めた中尾彬。番組の引きつぎ時間帯に、羽鳥慎一や玉川との掛け合いはかなり面白かったと記憶している。

羽鳥や玉川が、中尾の「ねじねじ」をイジるとき様々な表情で応対する。歳をとってからの中尾は、なかなかの強面(こわもて)。それがイジられて、半ば喜んでいるようで、何とも言えない愛嬌を持っていたと思う。

まとめ
中尾彬夫婦は、芸能事務所「古舘プロジェクト」に所属していた。古館伊知郎が言うには、中尾はいつも色紙にしてしたためた言葉があると言う。それは「遊びをせんとや生まれけむ」という古語だ。「人というのは遊びをするために生まれてきた」。

中尾彬にとって、人が仕事と思っていることも、所詮は全て遊び!そんな思いがあったのだろう。肩肘はって生きる事は無い。生きているうちは楽しんで過ごそう!そんな思いなのだろう。中尾彬は、食事日記を毎日つけていたようだ。妻の池波志乃も中尾のため、料亭で出すかのような料理を揃えたという。まさにこの夫婦らしい。

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