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『ルーブル美術館』 その歴史と見所について考えてみる!

#ルーブル #ルーブル美術館
#パリは燃えているか
#ガラスのピラミッド

うちの父、強者(ツワモノ)というしかない人物だった。毎年一回は海外旅行し、月一回は国内旅行である。そうして家に一円の金も残さず、この世を去った。これはもう驚きというしかない。

自分勝手の極み、そんな父だったが、いろいろな本は残してくれている。そんな一冊に「ルーブル美術館」があった。この小冊子のどこにも制作年の記載がないが、たぶん親父がパリに行ったのが1980年頃。だとするとその時のものと思われる。

なかを開くと、小さな文字で埋め尽くされていた。しかも「テン」が「ピリオド」になっている。これは日本人の書いたものじゃないだろう!そんな気になった。読みにくいこと、この上もないのだが、価格が記載されていないところを見ると、無料の配布物だったのかもしれない。

*ルーブル美術館の歴史
この美術館、8百年の歴史がある。初めはパリを守る小さな城塞として作られた。仏王フィリップ2世によるもの。今あるルーブル美術館の中庭、その4分の一ほどの大きさだった。その王の妃が、650m離れた西側に、チュイルリー宮殿をつくる。そして城と宮殿をつなぐ回廊も建設した。これがいまのドゥノン翼となる。

さらにナポレオン時代に、この回廊の真向かいに、同等のものを作り、中庭を囲む一つの建物になったというわけである。これがルーブルの原型となった。しかし、テュイルリー宮は19世紀末に、パリコミューンで焼き討ちにあい焼失。長方形から、その一片が欠けた「コの字型」となった。

ルーブルから西を望むと、凱旋門まで一直線上にあるように見える。長方形の一片が欠けたことで、新しい景観が生まれたようだ。なにか計画されて作られたかの感がある。しかし実際には、6度ほどずれているようだ。建築家が目の錯覚をつかい、人々に直線上のものと認識させるようにしたらしい。

美術館となったのは、19世紀末のこと。宮殿だったルーブルを美術館にするうえで問題になったのが、建物内の光量不足だった。様々な案が検討され、たどり着いたのが、屋根をガラス張りにすること。このガラス屋根は、世界最古のものだと言う。

ルーブルには、至るところに鉄骨が使われている。近年になってこの材質のため、建物の劣化や歪みが目立ってきたそうだ。科学的な測量により、精密な分析が行われ、日々補修計画を立て、それを実施しているそうだ。

*ガラスのピラミッド
1989年、当時の大統領ミッテランによって、ガラスのピラミッドがつくられた。ちょうどフランス革命から200年。その記念事業として行われたという。

バックスペースである収蔵庫の無いルーブル。地下を掘りさげ、置くスペースをつくった。なおこのピラミッド、ルーブル美術館のエントランス(入り口)となっている。その地下から、各建物のすべてに行けるようにしたそうだ。

*ルーブル、破壊の危機
1944年8月、ドイツ占領下のパリ。ドイツ軍は連行国軍からの敗戦つづきで、降伏する寸前にまでなっていた。ヒトラーは、パリ占領軍司令官コルティッツ将軍に、パリ全体の破壊を命じる。

これに対し、コリティッツは従わなかった。逆にフランス側の責任者ノルドリン領事と話しあい、一時休戦とする。そのうえで自分の意思を連合国軍に知らせ、連合国軍の空からの爆撃を回避するように働きかけた。

極めて賢い選択だったと言える。もしヒトラーに従う司令官だったならば、パリの街はルーブルも含め、全て破壊されていたことになる。ヒトラーはベルリンから電話で、パリの街がどうなっているか聞いたと言う。「パリは燃えているか?」と…。

この言葉はその後、映画のタイトルにもなった。1966年のルネ・クレマン監督『パリは燃えているか』。米仏合作の映画で、俳優アラン・ドロンやオーソン・ウェルズ、ジャンポール・ベルモント、カーク・ダグラスなどが出演している名作だ。

*ルーブルの見所は!
なんといっても、ダヴィンチの『モナ・リザ』だと言う。やはり知名度人気度は他を凌駕している。しかし、小さい作品でその周りだけが異常に混雑していることだけは、頭に入れておいた方が良い。

オススメは、次の4点。①ドラクロワの「民衆を導く、自由の女神」②ダビットの「ナポレオン一世の戴冠式」、そして彫刻の方で③ミロのビーナス、と④ミケランジェロの「瀕死の奴隷」だ。

これらはどれもゆったり見れるうえに、作品が大きい。父の持っていた小冊子の表紙にもなっているこれら作品。絶対に見ておくべきだと思う。

まとめ
友人によると「モナ・リザ」には少々がっかりしたと言う。小さなうえに、あまりに印刷物にちかい質感だからだそうだ。しかし、これがダヴィンチの凄さだった。ほぼ輪郭線がないというそのタッチ。これは他の画家には真似できないからだ。

ナポレオンの「戴冠式」の大きさには誰もが驚くという。手前に立つマントの人物の大きさが2メートルもある。自分がこの式に出席しているかの錯覚にも落ちるようだ。ナポレオン、仏国を代表する人物と考えれば、絶対に見ておくべき作品と言っていいだろう。

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