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[人物伝]勝海舟の実父、勝小吉!波瀾万丈なその生涯をみる!

#勝海舟    #勝小吉 #夢酔独言
#佐久間象山 #人物伝

父親を嫌っていたとしても、なんらかの影響は受ける。私も父のために何度もヒトから嫌みを言われてきたものだ。そのたびに思うのが実は一番被害を受けたのはこの私だと。そんなことをいつも考える。この勝の家はどうだったのだろうか。幕末において功績をあげた勝海舟、この男の父もかなりの変わり者だった。

*下町の不良、勝小吉!
徳川将軍の家臣である旗本の家に生まれている。幼名は亀吉。旗本といっても、かなりの小給41俵2人扶持だった。しかも正室の子供ではなく三男という立場だ。本妻が引き取り、育てたがかなり乱暴者だった。とにかく喧嘩が絶えない。そんなとき知り合いから声がかかる。

同じ旗本・勝勘三郎の嫡子が急逝し、7歳でこの勝家の養子となった。名前を小吉(こきち)にしたと言う。しかし不行状はおさまらない。当然のこと親としては小言をいうようになるが、これに小吉は反発したようだ。13歳で家を飛びだし、西国へ向かった。子どもの一人旅である。途中、盗賊にあって、金品や服までも奪われてしまう。しかし、持ち前の明るさで、物乞いをしながら伊勢参りまでしてきたようだ。

17歳のとき養父の勘三郎、その実娘・信(のぶ)と所帯をもった。しかしどうにも腰は落ち着かない。またしても、江戸から逃げ出した。向かった先は遠江(とおとうみ)の知り合いのところだ。数年にわたり居候となっていたが、結局は見つかってしまい、甥の説得により江戸に戻った。

21歳で江戸に戻ると、養父はカンカンだった。そのため座敷牢に入れられてしまう。ここで3年ほど過ごすことに…。この間、妻・信との間に生まれたのが、長男の麟太郎(のちの海舟)というわけだ。24歳で牢から出されるのだが、働くことが嫌だった。しかし、また牢に入れられるのは防ぎたい。仕方なく、道場破りや街の用心棒、刀剣の売買で生計をたてていく。

小吉のを監視していた養父・勘三郎、あまりの不行状に頭を抱え、また座敷牢に入れようと考えた。しかし、甥の男谷信友や兄嫁がかばってくれ、難を逃れたという。そして37歳、家督を長男・麟太郎にゆずり隠居した。このとき名も改め夢酔(むすい)とする。隠居後、6年後に脳梗塞を患い、自宅にこもり自叙伝『夢酔独言』を著した。さらに6年後、49歳でその生涯を閉じている。

*エピソード、その①
とにかく学問が嫌いだった。そのため、自分の名前すらまともに書けなかったと言う。しかし、21歳で座敷牢に閉じ込められ、ここで様々なことを学んだようだ。しかもこのとき子供まで授かっているのだから、このことがかえってよかったのかもしれない。

*エピソード、その②
勝海舟が子供のころ、野犬に襲われ大怪我をしている。男にとって大事な睾丸を噛み付かれたのだ。それを知った小吉は、寝ずに看病したと言う。この小吉も、江戸逃げ出したとき崖から落ち同じように睾丸を怪我した。これもかなりの重症で、2年も治らなかったという。

*エピソード、その③
小吉と妻・信とのあいだには海舟の妹となる順子がいる。この順子は、幕末の西洋砲術、西洋兵学、西洋技術者として知られた佐久間象山の正妻。この象山の弟子には、吉田松陰や坂本龍馬そして高杉晋作などがいて時代を変革した人物の一人と言える。小吉にとっては象山は義理の息子になるから、不思議な関係ではないか。

*エピソード、その④
小吉の著作『夢酔独言』は、俺みたいになるな!ということを平易な文章で書いたものだ。たぶんに嘘も混じっているというが、読むとかなり面白い。義理の息子となった象山、彼もまたハッタリを旨とした人物である。無学を自認する小吉(夢酔)、そして天才学者の象山。この2人、どこか似ているところがあると言ってもいいだろう。

*まとめ
勝海舟も肝のすわった男だった。龍馬が自宅に初めて訪ねたとき、海舟を斬り殺すつもりでいたのだ。それがわかったうえで話をする。しかし、この話に龍馬は海舟を惚れこんでしまう。これにより、この二人は生涯の師弟となった。

海舟もハッタリはすごかったといえる。幕府方役人として、米国サンフランシスコへ派遣させられた。日米修好通商条約の批准のためだ。このときの船が咸臨丸。その艦長の役目を任されたのが海舟だったのだが、船酔いにより全く動けなかったのだ。たまたま同乗したジョンブルク大尉が舵をとったことで渡米できたと言う。

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