[ 近現代史 ]1930年代の日独伊三国同盟が、太平洋戦争をもたらした!
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ボタンのわずかな掛け違いが、悲惨な歴史を生みだす。いま道ゆく人に戦争について尋ねると、誰もが戦争をしてはいけない!そう答えるはず。だが昭和30年代の日本、まったく同じだった。しかも要職にいた多くの軍人がそう言っている。ここを我々は忘れてはならない。
*明治以降、最大の敵国とは?
ずばりロシアであり、その後のソビエト連邦である。この国では常に中国東北部の地域獲得に動いていた。日本にとって最大の脅威は、このロシア(ソ連)だった。だからこそ、朝鮮に対し近代化させようとなって動いていたのだ。
日露戦争では、どうにか敗れることを免れた。終戦のあの時点、日本には金が全く残っていなかった。もし仮にロシアがさらに攻めていたら、間違いなく負けたことは確かと言える。このため、米国による講和の仲介をあっさりとのんだ。
ただ国民としては、新聞での勝利報道により、多額の賠償金を得られると信じていたため納得いかなかった。日比谷焼き討ち事件などが起きた理由はそこにある。
*北進論と南進論!
南満州鉄道(満鉄)は単なる輸送会社ではない。1932年にできた満州国内のありとあらゆる産業をおこなっていたコングロマリットである。当初は順調な経営だったと言う。
日中戦争が起きたことで、軍の方針が変わった。関東軍が中心となり、満鉄の経営に食い込んでいく。本来的には中国東北部からシベリア近くまでの開発をすべきところだが、より資源の獲れる東南アジアへ軍を進めていくように考えが変わったとされる。北進ではなく、南進論が勝ったのだ。
しかし、これは米英オランダの権益を脅かすことになる。日本としては、1941年4月に締結した日ソ中立条約により北への心配はなくなったと考えた。米国は日本にたいし経済制裁を始める。1941 年8月には日本に対し、石油輸出の全面禁止とした。
*戦争反対で勝利、米大統領!
フランクリン・ルーズベルトは、1940年の米国大統領選挙において、戦争をしないと訴え勝利する。だがもともと戦争には積極的な政治家だった。どうすれば国民が戦争に向かうようになるか?英国首相チャーチルとの話し合いがおこなわれたと言う。
その答えは、日本を経済的に追い詰めることだった。しかも都合よく日独伊3国同盟が1937年11月に結ばれている。日本からの宣戦布告さえあれば、米国民も賛成するとみたようだ。よく真珠湾攻撃は卑怯な騙し討ちとされている。これは外務省の通達が遅れるためだが、ルーズベルト大統領はわかっていたのだ。このことは英国BBC制作のドキュメント番組でも放送されている。
*満州国利権の独占?
アメリカの資本家も、満州国の権益には相当な興味を示していた。だが、日本側はその申し出を断っている。実はここが問題だった。かりに米国との共同開発であれば、その半分は日本の利益となるうえ、ロシア(ソ連)の脅威からも逃れることができる。
そもそも、日露戦争で講和の仲介をしたのは、アメリカのそんな思惑があったからだ。ソ連の進出阻止と、経済的な利益。この2つが日本にもたらされたはずである。そうなると、全く無駄とも言える日中戦争も起こらなかったはずだ。
*まとめ
ドイツは、1930年代前半から、積極的に中国に接近している。軍事物質の売買や、軍事支援団も送り出した。その狙いは、ドイツ国内で製造する兵器に欠かせない希少金属の獲得にあった。これは日中戦争後も続いていたとされる。三国同盟と言いながら、反日的行動をおこなっていたと言うことだ。
日本はもともと情報戦を軽視している。またまともな経済通もいない。これが判断を誤させると言っていい。いまだその体質から抜け出ていないというのは事実のようだ。戦争とはこんなことから起きてしまう、そう言えるだろう。