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13年ぶりにセンター試験を解いてみたら、さっぱりだった話

最近新聞をとっているので今日もパラパラめくっていたら、センター試験1日目の問題と回答が載っていた。

蘇る高校3年生の頃の気持ち。

よしっ、久しぶりに解いてみるか!


ちなみに私、がっつり大学受験は頑張った(つもり)。
高3になってからは毎日朝から晩まで勉強していたし、その結果、旧帝大に合格した。

センター試験の思い出といえば、ちょうど大雪の日で、凍えるような寒さだった。平等を期すためなのか、試験中は暖房が切られる。国語など2時間の試験中は手足の感覚がなくなっていったのを覚えている。

さて、そんな受験期から約13年。

、、、、13年!?!?!?
とそんな月日が経つのかと驚く気持ちは抑えて


数2Bの問題に目を通すと、いきなりlog。もうlogがなんだったのかすら思い出せないので、数1Aを解いてみることにした。

あ、ルートね。懐かしい、こっちならいけるかも。数1Aなんて全問正解しなきゃいけないものだったんだから。

大学は外国語学部に入学した私は高校を卒業してから計算というものをほとんどしていないように思う。
日々使うようなお金の計算だったり仕事でちょっと計算する以外の、机の上で式を考えながらする計算。

そんな私が今解き始めた数1A、なんと3問しか分からなかった。


そんな自分がショックで。私は受験勉強で一体何を得たのだろう??と考えた。

もちろんその先の大学卒業、就職活動に繋がっていくわけだから、自分の人生には大きく影響した。でも、それは「合格」という結果からであって、勉強内容そのものではない。

よく、「なんのために勉強するのか」という疑問が子供から呈される。

私の受験勉強は何のためになったのだろう?

必死に勉強したlogもベクトルも、あれ以来お目にかかれていない。

でもきっと世界には、logもベクトルも使いこなしながら仕事をしている人たちがいる。いつかどこかで私もその人たちと仕事をするかもしれない。そのときに「あーこれ一回勉強したなー、もう一回思い出そう」と勉強しなおせば、当時よりははやく理解できるだろう。


それに、受験勉強は「分からない」→「分かる」という体験の宝庫だった。日々分からないことが分かるようになり、解けない問題が解けるようになっていく。その体験を積み重ねることで、「分からないことでも勉強すれば分かる」という思考になっていく。

それが得られただけでも、あの苦しい受験勉強は意味のあるものだったと思う。

大人になってから勉強する時間というのはすごく贅沢な時間だと感じるようになった。
子育てをしながらだと捻出しなければそんな時間は持てない。

自分が疑問を持った時、何かに興味を持った時、受験勉強を頑張った自分がいるから、「勉強してみよう」と思える。

まだ高校生で幼かった私、頑張ってくれてありがとう。

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