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絵本探求講座 第4期、第2回講座を終えて

2023年10月1日(日)絵本探求講座 第4期(ミッキー絵本ゼミ)第2回講座の振り返りをします。


課題の翻訳絵本

第1回講義を受けて、翻訳の視点で見直して、翻訳絵本を選ぶということで、今江祥智訳の2冊を取り上げた。 

『ぼちぼちいこか』「What can a hippopotamus be?」

作:マイク・セイラー 絵:ロバート・グロスマン
訳:今江 祥智
出版社:偕成社 1980年6月発行
原書 1975年発行

*選書理由

テンポ良い大阪弁の訳。ユーモアや言葉の豊かさを感じ、訳者の今江 祥智さんに興味を持った。大阪弁で読みなれていた私は、原書を見てとてもシンプルな英文だったことに驚いた。

*あらすじ 

いろいろな職業に挑戦していくカバ君。体の大きなカバ君は、失敗の連続。諦めずに何度も挑戦する姿をユーモラスに描いている。

*翻訳に注目して読む

・この絵本の原文は「What can a hippopotamus be?」とあって、答えはすべて「No.」である。直訳すると「カバは何になれるのか?」だ。あとは各場面ごとに目的語のところが、Fire fighter、ballet dancer、piano player…と変わっているだけである。カバ君の13回のチャレンジは悉く失敗し、その答えの「No.」という文字がだんだん大きくなっていく。体つきがおっとりしているカバ君だが、目つきが少しずつおびえていき、こんなはずじゃなかったのに…という表情を見せていく。そして、最後ハンモックに横になって、「take it easy」でおしまいになる。原文は、中学生の英語能力があれば、誰でも訳せそうだ。しかし、今江氏は、それに対応する訳文が、直訳完訳では様にならないと考える。

『英語でもよめるぼちぼちいこか』刊行時に寄せられた訳者メッセージ
・・・(略)思慮深か気にノーンビリした顔を、書斎の棚で毎日のように見かけては、「やあ!」とか「オハヨ」とか「お元気ですやろか?」などと呼びかけているうちに、——カバくんがどうやら大阪育ちみたいな顔に見えてきてしまい——いざ訳そうとすると、大阪弁でしか訳せませんでした。出来上って勇んで編集者に送ったのですが、大阪弁ではどうも……と渋い顔をされてしまいました。
それでも私にはもうカバくんは大阪育ちや……としか思えなくなっていて、OKが出るまで待ちました。幸い、大阪弁の普及度が高まってくれたお蔭で、ようやくGOサインが出ました。
出来上った日本語訳では、グロスマンさんが絵で遊ばはったように、コトバで遊ばせてもろてます。たのしませてもろてます。・・・(略)
                             今江祥智

偕成社HPより

・今江氏は、『絵本の新世界』(今江祥智著/大和書房)の中で語っている。”「No.」に当たる大阪弁の訳をいろいろ書き出した。その作業の中で、古くは織田作之助から田辺聖子まで、大阪弁の小説を読み、上方漫才のテレビも欠かさず見て、少しずつ手を加えていった。その結果として、おしまいの「and take it easy」「ま、ぼちぼちいこか_____ということや。」と訳することで、タイトルが『ぼちぼちいこか』に決まった”と。訳文は、
「ぼく、消防士になれるやろか。/ なれへんかったわ。」
「船乗りは、どうやろか  /  どうもこうもあらへん。」
「パイロットやったら__/と、おもたけどなあ。」・・・

語彙の豊富さを再認識。テンポがあって、お話の世界にどんどん引き込まれていく。

日本語は、語尾の変化で、その言葉を発した人間の性別から身分、年齢まで書き分けることができる言語なのである。ましてや、絵の付いた「絵本」である。
絵本=小劇場説ではないが、子ども達の目の前で展開されるドラマというふうにとらえれば、文章もまたドラマのせりふみたいに会話だけということも十分にあるし、その方が成功することもある。そのよい例が、長谷川集平の何冊かの絵本である。
そこで、この絵本の場合も、地の文をあえて、自問自答の会話体にしてみたのである。
そしてカバーの袖のところに、
「みなさんも、ひとつ、おくにことばに訳して、楽しんでください」
と書き添えることで、読者の「参加」を要請したのだった。(略)無論、断り書き以上のものは必要だろう。第一、もしも原著者が日本語版を見たら不思議に思うに違いない。とにかく原文では同じ長さ(?)の2文字(No)が、いろいろな長さの文章に「訳されて」いるのだから。

『絵本の新世界』今江祥智著/大和書房 1984年 p.153

声に出して読んでみると、心のびやかに楽しくなってくる。こんな言い方もあったのか?と方言の中にしみ込んだ豊かな日本語を感じる。『ぼちぼちいこか』は、「そんなに急ぐ必要はないから、出発しようか」と促す言葉。ほっこりするこのフレーズ、関西人はよく使う。このフレーズを題名にするなんて…、これが訳者の力量なんだなと感じた。
あまりにも平凡で、カバ君の何ともいえない味のある風貌や顔つきが大阪人に見えたという今江氏の感性が面白い。翻訳作業前にカバ君に語り掛け、対話した結果、作品の世界観が変わってしまった。編集者の方で大阪弁では…という危惧の声が出たが、日の目を見るまでに2年待たれたようだ。カバー袖に読者へひと言書き添えるという配慮もしている。販売のことを考えると、方言の訳は、ハードルが高いと感じたが、テレビの漫才ブームもあって、関西弁が広がっていった社会背景も助けてくれた。この絵本は、今江氏48歳に発行されている。著書『絵本の新世界』の中で”この絵本では、「遊んで」みたが、ケース・バイ・ケースになる。しかし、この試みのおかげで、今後の「訳業」の際、肩の力を抜いて自由な気持ちで「原文」と付き合えるようになった気がしている。”と語っている。原作者の許諾がいらないこと、編集者のGOサインが出たら、出版できることに驚いた。今江氏にとってもチャレンジだったのだなと感じた。

『すてきな三にんぐみ』『THE THREE ROBBERS』 

作:トミー・アンゲラー
訳:今江 祥智
出版社:偕成社 1969年12月発行
原書 1962年発行

*選書理由

講談のリズムがべースにある。今江氏が訳者として、初めて訳したお話ということ、今江氏の訳の魅力をもっと知りたいと思った。

*あらすじ

目的もなく悪事を繰り返す3人の盗賊が、ある少女と出会い、孤児のヒーローになる物語。

*翻訳に注目して読む 

・原題『THE THREE ROBBERS』は、直訳すると「3人の盗賊」になる。それを『すてきな三にんぐみ』と意表を突いた訳になっている。”盗賊”とは、「他人の財物を略奪したり破壊したりすること。また、その者。ぬすびと。どろぼう。賊。」(日本国語大辞典より)どこにも良いイメージがない言葉なのに、”素敵な”という訳。表紙の絵は、三白眼でこちらを睨みつける3人の人物が横並びに結合している。大きくてまっかな鉞が印象的だ。手書きの白い文字で書かれ、怖さが増幅している。これから始まるお話は、どんなお話なんだろうと想像が膨らむ。
・冒頭は…
Once upon a time there were three fierce robbers.
They went about hidden under large black capes and tall black hats.

【直訳】むかしむかし、3人の獰猛な強盗がいた。
彼らは大きな黒いマントと背の高い黒い帽子の下に隠れていた。
あらわれでたのは、くろマントに、くろいぼうしの さんにんぐみ。
それはそれは こわーい、どろぼうさまのおでかけだ。

The first had a blunderbuss. The second had a pepper-blower. And the third had a huge red axe.
【直訳】一人目はラッパ銃を持っていた。二人目はこしょう吹きを持っていた。そして3人目は巨大な赤い斧を持っていた。
おどしの どうぐは みっつ。ひとつ、ラッパじゅう。ふたつ、こしょう・ふきつけ。そして みっつめは、まっかな おおまさかり。

In the dark of night they walked the roads,
searching for victims.

【直訳】夜の闇の中、彼らは道を歩いた、犠牲者を探す。
よるになったら やまをおり、さて、えものは おらんかな・・・。

They terrified everyone. Women fainted. Brave men ran. Dogs fled.
【直訳】彼らは皆を恐怖に陥れた。女性は気を失った。勇敢な男たちは走った。犬は逃げた。
この さんにんぐみに であったら、ごふじんは きを うしない、
しっかりものでも きもを つぶし、いぬなんか いちもくさん・・・。

Carriages stopped when the robbers blew pepper in the horses' eyes.
【直訳】強盗が馬の目に胡椒を吹きかけると、馬車が止まった。
まずは めつぶしに こしょうをたっぷり。
これで どの ばしゃも ぴたり。

With the axe, they smashed the carrias wheels.
【直訳】斧でキャリアの車輪を壊した。
おつぎは まさかりで くるまを まっぷたつ。

And with the blunderbuss they threatened the passengers and plundered them.
【直訳】そしてラッパ銃で乗客を脅し、略奪した。
おしまいに ラッパじゅうを かまえて、さあ、てを あげろ・・・。

(略)アンゲラーという絵本作家が、当然、絵で描いたところは文で重ねて書くことはしないから、大層シンプルな文章だったおかげだった。文体というものが、明快に決るのである。それに、この絵本の展開のあざやかさ、絵の即物的でいてやはりすぐれた漫画家だけがもつことのできる生き生きした動きや表情の巧みさに見合った文体というものが、こちらにも思い浮かべられたからだ。

『絵本の新世界』今江祥智著/大和書房 1984年 p.147

今江さんの翻訳は他の人にはマネできない、自在な日本語です。(略)
納得。これは講談のリズムなんですね。講談師のまねをして、出だしで「ババン、バンバンバン」と手で机をたたいてみると、ぴったり合います。(略)子ども達はこの絵本が大好きで、セリフをよく覚えてくれます。これって、もしかしたら血に入っている遺伝子のせい?

『絵本翻訳教室へようこそ』灰島かり著/研究社 2005年 p.82~84

・今江氏は、アンゲラーの描く絵本の展開のあざやかさ、生き生きした動きや表情の巧みさに見合った文体を思い浮かべて、訳している。この絵本の持つ世界観を大切にした結果、講談のリズムに繋がっていったのだと思った。
・声に出して読むと、とてもリズミカルで心地いい。講談のリズムにぴったりだ。そのリズムに合わせて語りかけるような文体、臨場感にあふれ、生き生きとした言葉のセレクトが面白い。一見怖そうだけど、どこか憎めない泥棒達の登場。今江氏の創作の才能が光る。「講談」は何よりもそのリズムが命という。実際の講談は聴いたことがないので、YouTubeで聴いてみた。リズミカルな話芸の妙味によって、どんなお話でも嘘いつわりのない本当の出来事のように思わせてしまう。張り扇で釈台を叩き、調子良くメリハリをつけて語る。そのリズムでお話は進む。「講談」の歴史は古く、奈良、平安の頃にその原型が見られるそうだ。日本人には身にしみ込んでいるリズムであることがわかる。

わかりやすいことばで、目に見えるように生き生きと綴られる訳文は、常に子どもと共に読むことを意識した結果であろう。(福本友美子)

『子どもの本・翻訳の歩み事典』子どもの本・翻訳の歩み研究会 編/柏書房 2002年 p.91

・子どもと共に読むことを忘れていないからだということが感じ取れる。
松居直氏や和田誠氏が持っている絵本群を読ませてもらって、気に入って選んだのが『THE THREE ROBBERS』。訳者として初めて手掛けた一冊。(著書『絵本の新世界』より)

課題絵本に対するミッキー先生の講評

あのシンプルな英文を見て、これだけの大阪弁の訳ができるのは、子どもの本の名作を数多く出されている今江さんだからできる技。作家として既に著名な今江さんだから許される。

2冊の翻訳絵本を読み終えて

海外に数あるたくさんの絵本の中から、自分がおもしろいと思った絵本を選び、今江氏の日本の子ども達に読んでもらいたいという想いを感じた。
原書との比較は、驚きの連続だった。シンプルな英文だけに、今江氏の言葉のセンスを感じた。優しい単語であればあるほど、一つ一つの単語に含まれる意味がいろいろである。直訳完訳では、作品として面白くない。ミッキー先生は、講義の中で「正解はない。」とおっしゃった。訳者の実績が大きく影響することもわかった。それにしても今江氏の訳は、意表を突いた訳。原書としっかり向き合い、自分の信じる世界観に基づいて、作品世界を築き、貫いて提示している。『ぼちぼちいこか』では作者が作った世界観を上回るお話になっていることに賛否両論あると思うが、大阪弁を研究し、カバー袖に読者へひと言書き添えるという配慮も知ることが出来た。
声に出して読むと心地よく、リズムを大切にしている。第1回ゼミで学んだ子どもの本の翻訳文体における声の重要性に繋がった。今江氏は、”石井桃子さん訳する『クマのプーさん』と原書を読み比べて、なるほど大したもんやと感心した”と、著書『絵本の新世界』の中で語っている。瀬田貞二氏の著書『児童文学論』の中の言葉を借りると、今江氏もプーの洗礼を受けている一人だ。
第3回ゼミの課題は、「翻訳家に注目する」だ。今江祥智氏を取り上げて探求したい。

【参考文献】
『絵本の新世界』今江祥智著/大和書房 1984年
『絵本翻訳教室へようこそ』灰島かり著/研究社 2005年
『子どもの本・翻訳の歩み事典』子どもの本・翻訳の歩み研究会 編/柏書房 2002年
『児童文学論』瀬田貞二‎/福音館書店 2009年




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