フォローしませんか?
シェア
はじめに つい先日、普段めったに開けない引き出しを整理したところ、ワープロで作った原稿…
第一章「六歌仙とはなにか?」 ◆六歌仙とは誰か◆ ご存じのように、六歌仙とは平安時代の…
◆不思議な仮名序◆ ところが、この仮名序が実に不可解なのだ。そして、この不可解なことこ…
◆貫之が六歌仙に託したこととは◆ それでは、六歌仙を選んだのは貫之ではないのか。六歌仙…
第二章「六歌仙の時代」 ◆藤原氏の栄華と他氏排斥◆ 六歌仙の生きた時代。――それは、藤…
◆六歌仙の活躍時期◆ 六歌仙はいつ頃活躍したのだろうか。 僧正遍照(弘仁七年[8…
◆六人の間に関係はあるか◆ 同じ時期に生きたとみられる六歌仙であるが、彼らの間に接点はあったのだろうか。 まず、小野小町が残した歌から、小町、遍照、康秀は面識もあり、交際も親密であったようだ。 他の三人についてはどうか。それを検討するには、ある人物を出さねばならない。 【最初のキーパーソンは惟喬親王】 惟喬親王は文徳天皇の第一子である。母は紀名虎の娘紀静子。長子であるにもかかわらず、惟喬親王は天皇になれなかった。それはひとえに藤原氏の血を引いていなかったことによ
第三章「惟喬親王は木地屋の祖?」 ◆近江木地屋の伝説◆ 木地屋(木地師)とは、ろくろを…
◆第二のキーパーソン猿丸太夫◆ 喜撰法師が真済であり、それが猿丸太夫を鍵として解けたと…
◆小町という名前◆ 【小町と后町との関係】 第二章で小野小町の本名について少し触れたが…
第四章「紀氏回生の宗教戦争」 ◆二股かけていた紀氏◆ 前章までで、六歌仙が惟喬親王や猿…
◆大友黒主と園城寺◆ 【紀氏と園城寺】 石清水八幡宮創建にかかわった紀氏がもう一人いる…
◆応天門の変と天台座主◆ 【文徳天皇崩御の波紋】 仁寿三年[853]は円珍が唐に渡った年であ…
【相応和尚、松尾明神を呪縛する】 『天台南山無動寺建立和尚伝』に、相応が松尾明神を呪縛したという話がある。 松尾明神とは、前述したように日吉神社の祭神大山咋神と同一神である。いわば比叡山の守護神なのである。その神を天皇の命令とはいえ、なぜ呪縛しなければならなかったのだろうか。 そこで、思い出してほしいのが、近江の松尾神社である。その神主藤原頼平は伴善男に仕えていたらしく、「応天門の変」で善男が流罪になったとき、伊豆に供をしたのだった。 もし、相応が呪縛した松尾明神が、