小説との出会い

noteを始めてみたはいいものの、なにを書けばいいのかわからないので、まずは森田碧が出来上がるまでのお話を何回かに分けて投稿しようと思います。

僕が小説に出会ったのは2018年9月。北海道胆振東部地震があった年だった。真っ暗な部屋でロウソクの火を頼りに、小説を読んでいた。
活字が苦手でそれまでは漫画しか読んだことがなかった。
大の小説嫌いだった僕がなぜ読もうと思ったのか、それは単なる思いつきだった。
なんとなく小説読んでみるかと思い、なんとなく手に取った本を読んで、衝撃を受けた。

村内先生は、中学の非常勤講師。国語の先生なのに、言葉がつっかえてうまく話せない。でも先生には、授業よりももっと、大事な仕事があるんだ。いじめの加害者になってしまった生徒、父親の自殺に苦しむ生徒、気持ちを伝えられずに抱え込む生徒、家庭を知らずに育った生徒──後悔、責任、そして希望。ひとりぼっちの心にそっと寄り添い、本当にたいせつなことは何かを教えてくれる物語。

その時に読んだのが重松清さんの青い鳥という小説だ。
心に問題を抱えた中学生が登場する、連作短編集。
最初の『ハンカチ』という短編が特に刺さった。
主人公の女子生徒は場面緘黙症の女の子で、家では問題なく喋れるのだが、学校などの特定の場面では言葉を発せなくなるという病気を患っている。
これ、小学生の頃の俺じゃん!と思った。
実は僕も、小学生の頃は学校では思うように言葉が出なかった。家では話せるのに、なぜか学校に来ると話せなくなってしまう。
学年が上がるにつれ症状は緩和していったが、自分は普通ではないのだと当時思っていた。

しかし大人になってこの小説と出会い、場面緘黙症という病名を知った。あれはそういう名前の病気だったんだと、恥ずかしながらその時初めて知った。
この小説を読んで、当時の自分を肯定してくれているような、そんな気になった。
まさに僕のことが書かれていた。
『ハンカチ』に出てくる場面緘黙症の女の子は、他でもない僕だったのだ。
数日で読み切った。『ハンカチ』以外のお話も、胸に刺さるものが多かった。
小説を読んでこんな気持ちになれるんだ。小説ってすげぇ。と思ったのがきっかけだった。
その小説を読んで、僕は救われた。もっと早くこの本に出会っていれば、と悔やんだ。あの頃苦しんでいた自分に読ませてやりたい、と。
そして、俺もこうやって誰かの心を救うようなものが書きたいと思って、次の日から小説を書き始めた。
当時所属していた社会人フットサルチームが解散してしまって、他に夢中になれるものを探していたので、タイミングとしてもちょうどよかった。
その時に書いた小説が、のちに2作目となる『余命99日の僕が、死の見える君と出会った話』の原型となった小説である。

ちなみにこれは2ヶ月くらいで書き上げ、おもしろ!天才じゃん俺!と思って試しに電撃大賞に応募してみたが、一次選考すら通過しなかった。

つづく

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