自己紹介は面白いですか?


私は自分語りは嫌いではありません。

ある行動をするときに、行動が人格を作ると思うのです。
だから、私の行動を見ていない人に、自分自身を紹介するときには、わたしは過去にこのような選択をしてきました。結果、私はこのような人間でありますよ、と紹介するのは、自分を棚卸して、商品名をつけて売ってるみたいで面白いです。

もちろん後ろめたい部分は裏向きにして、ちょこっと誇張をまじえて、この人にこう思ってほしい、
この人にこう思ってもらえると有利だろうと、なかなかに計算を尽くして自己紹介します。
では、私はこちらでどのような自己紹介をしましょう。
正直迷ってしまいます。
怒れる有権者として政治家の一挙手一投足に誹謗中傷を投げかけてみましょうか。

夢見る物書きとして奔放にも世界を宙から覗き込んでみましょうか。

それともこれまでの私の経歴をひとつひとつ書き連ねてあなたに判断をゆだねてみましょうか。あなたには私がどのように映るのでしょうか。あなたはどの記事から、どの媒体から私のところに来たのでしょう。

私の文章に貴重な時間を割いて読んでいるあなたは相当の物好きでしょう。
時は金なりと言われるこの現代社会においてこのような時間をもてあそんでいるあなたは億万長者なのでしょうか。
それとも、私の正体を暴き陥れるために粗を探している私の大ファンでしょうか。
 
簡単に私について紹介しましょうか。田舎の公務員家庭に生まれ育ちました。
祖父母と両親、妹と弟。近所との距離は近く、夕食に豆腐がなければボウルを持って隣人宅をノックする、帰宅する道すがら、多くの人からわが子のように声を掛けられ、お菓子をもらい、時に叱咤される、原風景として思い浮かばれる典型的な田舎です。
原風景とは「私にとっての」ではありますね。

学校では優秀な方で、友人とけんかもすれば語り合い、けんかの仲裁に入っては、教師から用事を頼まれるような、「いい子」であったと思います。
高校では、視野と行動範囲の広がりとともに、社会の仕組みと弱者が虐げられる構造にいら立ち、届きもしない地球の裏側の貧困に嘆く、感受性豊かで無力感に苛まれる一般的な高校生でありました。
所謂高2病というものに罹患し、わずかな行動力と両親の放任という教育方針により高校を中退し、自分の悩みや考えにとことん向き合う時間をもらえました。
 
大人になって教師になりました。衝撃的な言葉。「貴方は顔で保護者や生徒から嫌われたことないでしょ。」保護者対応について、先輩に相談したときの返答です。
これに対して私が喜んだのか、怒ったのか、先輩は私をうらやんでこの言葉を口にしたのか、応援やアドバイスの気持ちだったのか、すでに忘れてしまいましたが、とにかく、なんだかストンと心に落ちてきた言葉です。
そもそも私自身も生徒や保護者を顔で嫌ったことはないですし、これまでの人生において記憶にある限りでは、自分に利害関係のあるなし関わらず、通りすがりの人に関わらず、顔で人を嫌ったことはないと思います。清潔感や行動面においては、外見で嫌ったことがない、とは言い切れません。
初対面の人から顔で嫌われることのない程度の人間。私の自己紹介には最も適していると思います。


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