形容詞が後付けである理由

お疲れ様です。

皆さんの周りにこんな人はいますか?

優しい人   
賢い人
人見知りな人

いますか?

きっといると思います。

で、気づいたことがあって

人の性格や特性を表すような形容詞って"後付け"なんですよね。

例えば、

居酒屋で友達お箸を落としました。

自分の近くに落ちたので、拾ってあげました。

まぁ、ここまでの行動は普通ですよね。

「優しいな」とはならないじゃないですか。

でも、

拾ってすぐ店員さんを呼んであげたら

かなり気がきく人になりますよね。

=優しい人

になるわけです。

で、周りはこう言います。

「優しいから、そんなことしてあげれんねんな」

とか。

これって全然違うんですよね。

優しい→箸を拾う

ではなくて


箸を拾う→優しい


となるわけです。


なにが言いたいかっていうと、優しい人というのは、「優しいと思われる行動をしてる人」が優しい人と認識されるわけで

その人が「優しいから」では決してないんですね。

だから、人に優しくなりたいと思うんであれば

人に優しいと思われる行動をすればいいんです。

賢い人と思われたければ

賢いと思われる行動をすればいいわけです。

人見知り"だから"話せないんじゃなくて

自分は話さないから人見知りなんです。

人見知りを治したいのであれば

人見知りではない行動をすれば、人見知りのいうレッテルは外れます。

そんな感じで、形容詞に焦点をあてず

動詞に焦点を当ててみると、どう変えればいいかが明確になり、モヤモヤが晴れます。

では!


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