やっぱり皮がスキ 6

H②

 そして土曜日。僕は一大決心をする。
 お父さんは朝から仕事。お母さんはお祖母ちゃんを美容院に連れていったあと、新居浜のイオスに買い物に行くから、お昼は冷蔵庫のお弁当を温めてから食べるよう言われた。
「判った」と物分かりの良い返事をして、午後はフジミ模型に行くけど夕方には帰ってくると伝えた。
 お母さんの車がガレージから出ていくのを見届けると、冷蔵庫からお弁当を取り出し、水筒に麦茶を入れて、それらをリュックサックに詰め込むと自転車に跨った。
 伊予土居駅に着くと、110円の切符を買って改札を通る。帽子を深く被り直して、ホームの様子を伺う。ベンチに腰掛けたお婆さんが二人と、スマホをいじっているオジサンが一人。良かった、知っている人はいない。
 10分ほど待って伊予西条行きの電車に乗り込んだ。車内には10人くらいしか乗っていない。僕は2人掛けの窓際の席に着いた。発車のメロディが流れドアが閉まり、ゆっくりと電車は走り出した。
 土居駅の小さい駅舎があっという間に見えなくなった。
 もう引き返せない。僕は行くんだ、松山へ。
 ガタゴトと揺れる電車の窓から見える景色が、どんどん後ろに流れていく。胸がドキドキしたけれど、同じくらいワクワクもしている。
 でも、そんな気持ちがしたのは、電車が動き始めてから10分くらいだった。走っても走っても田圃か普通の家ばかり。山に入るのも街に出るのも一瞬で、あとは田圃か家の景色が延々と続いて、すっかり飽きてしまった。
 ようやく伊予西条駅に到着。ここまで来れば、もう知っている人に出会う心配はないけれど、まだ五分の一しか進んでいない。
 帽子のツバを心持ち上に上げ、そのホームでまた10分ほど待って、今度は松山行に乗り換える。ここからは約2時間。さっきの4倍もあるのかと考えると、気が遠くなりそうだった。もう帰りたくなってきた。でも、帰るワケにはいかない。マツシマヤに行って、絶対にデフギヤを手に入れるんだ。
 永遠のような1時間をなんとかやり過ごして、今治駅を過ぎた辺りでお弁当を食べておくことにした。松山駅到着は12時16分。松山駅からは伊予鉄道に乗り換えて、マツシマヤまでは約10分。お腹は空いていなかったけれど、今のうちに食べておかないと、お昼に食べるヒマはない。
 大好きな卵焼きとコロッケ、あまり好きじゃないブロッコリーを立て続けに口に放り込んだ。どれもあまり味がしなかった。最後にフリカケのかかったご飯を掻き込み、あっという間にお弁当を平らげた。
 ときおり右側に見えていた海が、しばらく現れなくなったと思っていたら、車内アナウンスが「次はぁ~、松山、松山です」と告げた。
 ついに来たんだ。一人で松山まで。
 ずっと海か山か田圃しか見えなかった景色が、家やビルで埋め尽くされていく。やっぱり松山は凄いな。これならデフギヤもきっと手に入るぞ。
 やっと、松山駅に到着した。沢山の人と一緒に電車を降りて、改札口へ向かう。駅員さんに切符を渡しながら次々と改札を通っていく人たちの流れから一歩離れ、駅員さんから見える位置で、僕はズボンのポケットを探す。ない。次はお尻のポケット、次はリュックサックを下ろして、背中側のファスナーを開ける。やっぱりない。ついにはリュックの中を慌てた様子で漁る。「ない、ない」と呟きながら。
 すると、後ろから来たオバサンとお婆さんの中間くらいの人に声を掛けられた。
「ボク、一人? どうしたの、切符なくしたの?」
 僕は渾身の泣き顔で答える。
「はい」
「あらぁ、じゃあ一緒に探してあげる」
 と言って、僕のリュックの中を探してくれたが、やっぱり出て来なかった。出てくるはずが無かった。土居駅で買った110円の切符は、お弁当箱の中に隠してあるのだから。
「無いわねぇ。どこから乗ったの?」
 オバサンの問いに、渾身のベソをかきながら「三津浜駅です」と答える。
「一駅じゃない。大丈夫よ、オバサンが言ってあげるから」
 そう言うと、オバサンは僕の手を取って、改札の駅員さんに事情を説明してくれた。「切符代は私が払う」とまで言ってくれている。すると駅員さんは、「大丈夫ですよ」と答え、僕に向かって「次は無くさないように気を付けてね」と優しく頭を撫でてくれた。
 僕は渾身の神妙な表情で「ごめんなさい」と答え、オバサンと一緒に改札を通り抜けた。
 予想外の展開ではあったけど、最初の難関は突破できた。マツシマヤまではもうすぐだ。
 一緒に駅を出てきたオバサンとお婆さんの中間くらいのオバサンに「ありがとうございました」とお礼を言った。ここからどうするのかと聞かれたので、「松山市駅にお母さんがいる」とウソを吐くと、「わたしも市駅まで行くから一緒に行ってあげる」と言ってくれた。
 伊予鉄道の乗り場がどこにあるのか判らなかったので、オバサンの申し出を素直に受け入れた。
 オバサンについて地下道を潜る。地下道には怪しげなビラを配る人たちがいて少し不気味だったけれど、オバサンが一緒だったので助かった。地下道を上がるとそこが電車乗り場だった。
 電車を待つ間にオバサンが、
「三津から市駅だったらイヨテツの方が良かったんじゃない?」
 と、よく分からない質問をしてきたので、答えに困っていると、
「おうちが国鉄の方が近いのかしら?」
 と言うので、素直に「はい」と答えておいた。
 それよりも僕には不思議なことがあった。切符を買っていないのに、もうホームに立っていたからだ。
「切符はどこで買うんですか?」
 とオバサンに聞きたかったけれど、聞いてしまうと僕が松山の子じゃないとバレてしまうかもしれない。どうやって切符を買うのか判らないまま、ドキドキしながら電車を待った。
 やがて、小さな電車がホームに止まった。ホームには沢山の人がいる。こんなに沢山の人が入れるのかと思うほどの小さな電車だ。
 ホームにいた人たちは次々と小さな電車に乗り込んでいく。オバサンと僕も電車に乗り込んだ。まだ切符は買っていない。座席は全部埋まっていて、立っている人も沢山いた。立ったまま電車に乗るのは初めてだった。電車が動き出すと、車両が大きく揺れて僕もよろけた。
「ここ持ちなさい」と、オバサンが銀色のポールを持たせてくれた。ポールを持つと揺れにも耐えることができたし、アトラクションみたいで、ちょっと面白かった。
 でも、心配事は残っていた。切符をまだ買っていない。車内には『大人160円 小人80円』と書いた札が貼られている。
 みんな、どこで切符を買ったのだろうか? 僕はまた、切符を無くしたフリをしなければならないのだろうか?
 すぐに小さな駅に到着して、人々が乗り降りしてすぐに発車したかと思うと、またすぐに小さな駅に着いた。その度に、僕は降りる人たちをじっと観察した。すると、二通りのパターンがあることに気が付いた。
 一つはICカードをピコッと読み取らせている人たち。もう一つは、切符のようなモノを運転手さんに見せるだけで降りていく人たちだ。
 当然、僕はICカードも切符も持っていない。オバサンはどちらかを持っているのだろうか? 僕を松山の子だと思っているオバサンは、僕も当然のようにどちらかを持っていると思っているのだろうか?
 マズいなぁ、と思い始めたところで松山市駅に到着した。ここで車内にいた人のほとんどが席を立ち、電車を降り始めた。僕はオバサンの後に続き、出口へと向かった。オバサンの手にはICカードが握られている。僕は何も持っていない。どうして良いか判らないまま、ついにオバサンの番がやって来た。そのとき、読み取り機にカードを翳しながらオバサンが言った言葉に僕は救われる。
「この子の分も一緒にお願い」
 えー、そんなこと出来るの?
「はい、ありがとうございます」
 運転士さんは事も無げにピコッと音をさせると、僕は何も払わないまま電車を降りることが出来た。
「お母さんはどこに来てくれるの?」
 と聞くオバサンに「マツシマヤの入口」と指を指しながら答え、立て続けに「電車代を・・・」と財布から80円を漁ろうとすると、
「いいのよ。子供なんだから、そんなことに気を遣っちゃダメよ」
 と笑いながら云い、「じゃあ、気を付けてね」とオバサンは地下へと降りるエスカレーターに乗り込んでいった。
 その背中に向かって、「ありがとうございました」と大きな声でお礼を言った。
 オバサンの背中が見えなくなると、僕は右側に聳えている大きなビルを見上げた。
 やっと来たぞ、マツシマヤ。

『やっぱり皮がスキ 7』へつづく


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