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雑記と私#31:「歌を歌う」はアリ?ナシ?

日本語ってむずかしい・・・?
よーく意味を考えればわかるハズ。

娘に国語を教えてる。
俺「……というわけで、『意味が重複する言葉を重ねてはいけないんだ」
娘「『頭痛が痛い』みたいな?」
俺「そうそう」
娘「それじゃさ、『歌を歌う』は?」
俺「え?」
娘「『歌を歌う』は重複してるように見えるけどいいの?」
俺「……(また汗が吹き出す)」

https://togetter.com/li/2406345

例によってTwitter(現”X”)で見掛けたヤツ。

先に結論から言ってしまうと『歌を歌う』は
日本語として何もおかしくない。
このまま使用しても問題はないのだ。


順を追って説明しよう。

『頭痛が痛い』が日本語としておかしいのは、
そもそも『頭痛』という名詞自体に”頭”が”痛い”
という意味が含まれているからだ。
このように一つの単語を分解して複数の単語に
出来る言葉を”複合語”という。

”頭が痛いが痛い”、なるほど何を言っているのか
よくわからない。

では『歌を歌う』はどうか。
『歌』という言葉はそれ以上分解が出来ない。
このような言葉を複合語に対して”単純語”という。
そして『歌』という名詞そのものには『歌う』
という”動作”は含まれていない。
あくまでも”詩と曲の組み合わせ”であったり、
”和歌”を指す言葉でしかない。

だから『歌を歌う』という文章の中には
意味が重複する言葉は使われてはいない。

つまり、日本語として何もヘンなところはない。

文章を書く事を生業としているような人だと
同じ言葉を続けて使ったり、似たような言い回しを
なるべく避ける傾向があるのは確かだ。
そういう人たちから見れば『歌を歌う』という
表現は使いたくないというのもわからなくもない。

だからといって『歌う』だけで意味は通じる、
というのは少し違うのではないか、とも思う。

例えば先述の『歌』という名詞の説明だ。
この言葉を説明する中で『歌う』とだけ言われても
それが”楽曲を歌う”のか”和歌を詠む”のか、
二通りの意味が存在してしまうため、説明が
ややこしくなってしまう。

これが口頭だとさらに複雑になる。
『うたう』には『歌う(唄う・謡う)・詠う・謳う』など
同じ読みで意味の異なる言葉が複数ある。

『歌う(唄う・謡う)』のは音楽的な”歌”。
『詠う』のは朗読的な”詩や和歌”。
『謳う』のは何かを主張する”言葉”そのもの。

ただ『うたう』とだけ言われてもこれだけの
意味合いがあるのだ。
ならば『歌(謡曲)を歌う』というのはむしろ
表現としてわかりやすい、丁寧なのではないか。

『歌を歌う』、大いに結構。

こんなクソッタレの世界のためにも
みんなで終わらない歌を歌おうではないか。
明日には笑えるように。


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