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自己肯定感の低い人は、他人を不快にさせる ②相手の言ってないことを代弁するな
前回は、①低いレベルで褒められても嬉しくない、というテーマだったが、今回は②相手の言ってないことを代弁するな、というより毒の入ったテーマについて考えてみたい。
自分から不幸に飛び込んでしまう人たち
自己肯定感の低い人は、その名の通り自分に自信がない人、または、本当は自信があるが外にうまくそれを出せない人(=出すことが悪だと思っている)で構成されている。
どちらにせよ、対外的な場に出てくるのは"自信がなさそうな人"であり、イジリ(ひどい場合はイジメ)と言ったような、人を下げることによって自分を上げたい、という歪んだ人間のターゲットになりやすい。とは言っても、いい歳の大人になれば相対的にそういった人間の数は減っていく。何故なら、自分を上げるために人を下げる必要がないことに多くの人間は気づくからだ。
今までそういった被害に遭ってしまっていた自己肯定感の低い人も、大人になるにつれて被害に遭う機会は(本来であれば)減っていき、優しい人たちと幸せな人生を…といけばいいのだが、話はそう簡単ではないようだ。
何か直接的に危害を加えられるわけではないが、良さそうだな、仲良くなれそうかなと思った人が離れていく、という経験はないだろうか?相手の悪口を言った覚えはないし、どちらかというと関係が壊れないように気を遣っていたのに…。
私は関わる価値すらない存在なんだ、と肯定感はさらに下がり、そしてそれに付け込もうとする成熟していない大人たちが群がってくる。あまり快くないイジリをされている気はするが、こんな私の周りに寄って来てくれた人だし…とそれを許容してしまう。こうして負のスパイラルは完成するのだ。
え、別にそんなこと言ってないよ…?
自己肯定感が低い人が、自己肯定感が人並みにある大人たちと関係をうまく築けないのは何故か。前回の「褒め方」もその一つではあるが、今回は相手の気持ちを勝手に代弁しているような態度をとられると相手は不快である、ことを例に挙げてみようと思う。
例えば、あなたのリュックサックのチャックが開いていることに気づいて、一緒に歩いていた友人が「チャック開いてる。閉めようか?」と提案してくれたとする。
自分「マジか!すまん頼む!」
自分「気づかなかった!自分で閉めるから大丈夫!」
↓
友人「OK〜」
相手に閉めてもらうか、自分で閉めるかの違いはあるとして、大体がこのような会話例に落ち着くのではないだろうか。要素としては、お礼orお詫び/申し出を受けるか受けないか、これが伝われば十分なのだ。
このシンプルなやりとりに、自己肯定感が低い人は無駄な要素を足してしまってはいないだろうか。
自分「マジか!すまん頼む!ほんと迷惑かけてごめん…俺バカだからさ、こういうのいっつも気づかなくて、だらしないよな…。その点君は本当によく気づく人だからいつも助かるよ、ありがとう!」
↓
友人「え…別に閉め忘れくらい俺もあるけど…まあ早めに気づいてよかった。」
一見とても丁寧にお礼を言っているように見えるが、相手にとってはあまり心地の良い言葉ではないのだ。事実、友人はチャックを閉めようか?と言っただけで、「お前はバカだ」とも「お前はだらしない」とも「俺はお前に比べてしっかりした人間だ」とも言っていないし、主張するつもりもないからである。
これらのへりくだりの語句は、俺をバカにして優越感に浸りたかったんだろう?お前はそういう奴なんだろう?という疑問を、暗に友人に投げつけていることになる。もちろんそういった意図が全くなかったとしても、少なからず相手はモヤっとするはずだ。「そんなこと言ってないのに…」と。
初めこそ、「そんなこと思ってないよ」「別に俺も閉め忘れるよ、普通だよ」「そんな大したことじゃないから気にしないで」といったように周りもフォローしてくれるだろう。しかし、これが何度も起こるとどうだろう。大したことではないにしろ、好意で提案していることなのに何故か悪者のようにされるし、空気的にその後のフォローも必要。面倒臭いことこの上ない。
…なら「もういっそ好意で何かするのをやめてしまおう」で済めばいいが、大抵の場合最後に行き着くところは「距離を置こう」となる。人は星の数ほどいるのだから、わざわざ疲れる人間とプライベートを共にする道理も義理もないのである。
友人は<何か中に大切なものが入っているんじゃないか、落としたら大変なんじゃないか、と心配して>声をかけただけで、
結果として期待することは<最終的にチャックが閉まること>ただそれだけなのである。
仮にもしこのシーンで自分がお礼を言い損ねても、おそらく友人はさほど気に留めないだろう。<物が無くならなくて良かったね>…友人が考えていることはそれだけだ。必要なことは、チャックを閉める(閉めてもらう)こと、余裕があればお礼を伝えること。それだけで問題ないのだ。
にも関わらず、自己肯定感の低い人は、勝手に友人の気持ちを代弁して悪者に仕立て上げる。しかもこれを良かれと思って無意識のうちに進んでやっているからタチが悪い。
まともな大人は周りから去っていき、「お前って本当にバカだよな〜。もっと俺みたいにしっかりしなきゃ〜」といったヤバイ奴だけが残る。
自分を下げても相手は幸福になれない
相手とうまくやっていきたい、相手のことを本当に大切にしたい、と思っているのであれば、自分を下げる行為を今すぐに改めるべきだろう。
・自分を下げる行為は、「お前は俺をそういう目で見ているんだろう」と相手に暗に伝えていることと同義。不快。
・自分を下げて相手を褒めても、相手は嬉しくない。不快。
・自分を下げていると、まともな人は遠ざかり、ヤベー奴のおもちゃにされる。
自己肯定感の低い人は、相手に認めてもらうことで自分に自信を持ちたい、という気持ちが根底にあるため、相手に好かれそうな行動を心がけよう(嫌われないようにしよう)、という意識は常にある。その手法が実はあまりよくなかったことを客観視できるようになれば、すぐに自己肯定感を高めることはできなくとも、多少周りの人間関係を円滑に運ぶ、少なくともヤベー奴だけに取り囲まれることは回避できるのではないだろうか。
自分を上げられなくとも、自分は下げない。何故なら相手が傷つくから。まずはそこから始めてみてほしい。
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