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きっと大丈夫。

私に聞きたい。私は今幸せなのかを。
私のことは私が一番わかっているつもり。でも、わかっていないのだ。幸せなのかもわからないから。私のことは誰にもわかりやしないのだ。
私が悩んだ時、諦めそうな時、友達や家族が応援してくれた。「大丈夫。絶対できる」ってそんなのわからないじゃないか。できないかもしれないじゃないか。そう思うけれど「大丈夫。絶対できる」と自分に言い聞かせている自分がいた。私もみんなと同じじゃん。私も他の人にそう言っているのだろうか。いや、言っている。必ずできると言って、それができなかった時、嘘をついていることになるから。責任を取りたくない。でも、言うのだ。私たち人間は。そうプログラミングされているのかもしれない。当たり前に言うから私含め人間は不思議で、怖い生き物なんだと思う。
少し話がそれましたね。すみません。
人間全員がそうとは限らないと思う。でも少なくとも私の周りの人はそうだ。
そんな、絶対大丈夫。としか言わない人間しかいなかったらこの世界はどうなるのか。改めて考える。
犯罪が増えるのではないか。犯罪に手を染めようとしている人間に「絶対大丈夫」と言ったらどうなるんだろう。大抵の犯罪に手を染める人間がそう自分に言い聞かせ、本当に犯罪に手を染めてしまうのではないか。
取り調べをする刑事も犯罪に手を染めてしまった人間に「絶対大丈夫」と言う。そして裁判にかけられる。裁判員も「絶対大丈夫」と言う。それはそれでどうなのかと言う話だが、仮定だ。
そう言うと再犯率も増えるのではないか。
犯罪に手を染めた人間達が「大丈夫。またやっても大丈夫。みんなそう言っているのだから」と。世界でも比較的安全な日本が、安全ではなくなる。日本から観光客がいなくなってしまう。こうなると危機だ。日本がダメになってしまう。私たちの故郷が、素晴らしい日本が無くなってしまう。それは避けたい。

推しから「大丈夫だよ」と言われたら私は、他の生きている人達は、大丈夫だと思うだろう。
根拠もない言葉は時に力となり、私たちに勇気を与える。私たちに力と勇気を与えてくれる言葉をいつもくれるのは、推しだ。
推しの力は絶大なものだ。時に愛を歌い、時に悲しみを歌い、時に勇気を歌う。私たちはその声を、音楽を聞いて元気を出す。前に進む。
もう無理と思っても、死にたいと思っても、私たちの推しは、言葉で、歌で私たちを支えてくれる。
推しを推す。いつしかそれが私たちの生き甲斐になっているのではないだろうか。推しに会いに行くから嫌な仕事に毎日行き、学校に行き、頑張る。
「大丈夫だよ 安心して 君の強さは偉大なものだ。」
私はこの歌詞に何度も救われている。
私がこの歌詞、言葉に救われたように、あなたにも救われた歌詞、音楽、言葉があるだろう。
今、辛い、不安、怖いなどの気持ちがある人はぜひあなたが救われた言葉を思い出して、これからも歩んでいってほしい。私からのお願いです。
もし、無かったら、私が上記に書いた「大丈夫だよ 安心して 君の強さは偉大なものだ」これを思い出してほしい。
これはMrs.GREEN APPLEの「愛情と矛先」と言う曲だ。この曲だけじゃなく、私はMrs.GREEN APPLEに救われている。
私にもいるように、あなたにもきっといるはずだ。あなたを救ってくれる人、あなたを思ってくれている人。いないと思っていても、必ずいるはず。どこかに。
それくらい推しの言葉は偉大なものだ。
推しの「大丈夫」と言う言葉はこんなにも私を救ってくれるのか、私の心を癒してくれるのか。

嫌いな人に「大丈夫」と言われたらどう思うだろうか。
きっと私は「なんやねんこいつ、うるさいなぁ」と心の中で言うだろう。
いや、まず話しかけてくるなとも思うが。
家族や推しの言葉とは違って、嬉しくもないし、頑張りたいとも思わない。
嫌い、嫌だ。と心が、本能が決めたら覆すことは難しいだろう。
好きな人がいるように、誰にだって嫌いな人はいると思う。嫌いな人の悪口を陰で言う人もいるように。
嫌いと苦手は少し違うと思う。
私が思うに「嫌い」は本能的に嫌だ。話したくない。顔も見たくない。という人だ。
「苦手」は話すけれど、会うけれど、心のどこかではあまりよく思っていなかったりする人。
嫌いな人とは会いたくもないし、話したくもない。そう思うけれど、相手は自分のことは嫌いじゃなくて、話しかけてきたりする。余計に嫌いになるじゃないか。
嫌いな人は嫌い。だから嫌いな人の言葉は自分には響かない。
だから嫌いな人の「大丈夫」は自分の心に刺さらない。頑張ろうと思えない。心をすり抜け、どこかに行ってしまうのだ。
嫌いな人、苦手な人がいる方は、無理に関わらなくていい、無理に普通の気持ちになってみよう、好きになってみようと思わなくてもいい。人生の中でその人は必要ではないと考える。もうこれから先会わないのかもしれないのだから。
相手が声をかけてきそうな時はすぐに逃げる。他の場所へ。自分が心を休めることができる場所へ。

ここまで色々なシュチュエーションで考えてみたが、「大丈夫」と言う言葉だけでは成り立たない。世界が崩壊してしまう。
人は言葉が必要で話している。誰かと心を通わせたいから、自分の気持ちを伝えたいから、自分を見てほしいから。言葉を使う。でも、言葉は時に凶器になるのだ。些細な言葉が凶器になり、人の命を奪ってしまうかもしれない。
言葉はそんなことを言うためにあるのではない。言葉は、心を通わせるため、好きな人に好きと伝えるためにあると思う。

私は幸せなんだと思う。だって、好きなものがあるから、好きなバンドがいるから。家族がいるから。毎日美味しいご飯が食べれるから。大好きな親友に会えるのだから。私は幸せだ。

あなたはきっと大丈夫だ。あなたは強いから。今日まで精一杯頑張ったのだから。今日くらいは休んでもいいのではないですか。今日くらい誰の意見も聞かず、自分の気持ちに従って過ごしてみたらいい。少しくらい、間違ったって大丈夫だ。あなたなら、私たちなら。きっと。この世界に負けずに生きることができる。これまでもできたように。今まで通り一日一日を。私なりに。あなたなりに。君の強さは偉大なものだから。



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