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【小説】寂寥村 第1話

あらすじ

寂寥村は、時が止まったかのように変わらない風景が広がる、山賊の隠れ里。村人たちは日々の農作業に追われ、静かな日常を送っていた。ある日、農作業の帰りに近米助は一匹の犬と出会い、その犬を可愛がるようになる。しかし、村人たちは犬を嫌がり、ついには山に捨ててしまう。
それからというもの、村では次々と怪奇現象が起こり始める。村人たちはこれを犬の祟りではないかと噂し始める。犬を殺そうと企てた山賊たちは逆に犬にやられ、村の統制は崩壊していく。村人たちは山賊たちの暴力に怯える一方で、遂に愚かな山賊たちは自らの行いの結果として最悪の結末を迎えることになる。

「出会い」


 寂寥村せきりょうむらは山に囲まれ、静かな生活が流れる村だ。時は流れるが、この村の生活は何年も変わっていない。一年中農作業に勤しみ、農耕と牧畜によって自給自足の生活をしている。

 この日も、近米助こんよねすけは早朝から稲田で汗を流し、農作業を終えた。

 彼は座り込んで一息つくと、
「疲れたわ。腰も痛うて、肩も上がらん。歳には勝てんのう」
 独り言を漏らした。
 晴れた空には白い月が欠けて見えた。

「どれ、帰ろかのぅ」
 口笛を吹いて歩き始めた米助は、棚田の曲がり角で異様な声を耳にした。数人の子供が小さな犬を囲み、その犬は怯えて、逃げ場を失っている。

 米助は遠くからその様子を見ていた。子供たちは、犬に石を投げたり、棒でつついていた。その瞬間、米助の心は哀しみでいっぱいになった。

 米助の足取りは速くなり、
「おい、やめんか!」
 その声が棚田に響き渡り、子供たちは驚いて犬から離れた。米助は息を切らしながら子供たちの前に立ち、彼らの目をじっと見つめた。
「この子に何をしておるんじゃ?」
 米助の声は厳しかったが、心配の色もにじんでいた。子供たちの中にはその意味を理解し、反省する子もいたが、かたくなな子もいた。米助は犬を抱き上げ、子供たちに向かって話し始めた。

「この子も、わしらと同じ生きておるんじゃ。痛みを感じるし、怖さも知っておる。わしらが愛と優しさを与えれば、この子はわしらの大切な友達になるんじゃ。でも傷つければ恐怖と痛みしか残らん。それが本当に良いことだと思うのかい?」

 米助の言葉に子供たちの表情は少しずつ変わり始めた。彼らは自分たちの行動が愚かだったと理解しつつあった。

 米助は動物に対する優しさと思いやりの大切さを説いたが、状況は思わぬ方向に転じた。突然、彼らは反抗し、暴力を振るい始めた。米助は防御する間もなく地面に倒れた。

 その時! 棚田を歩いていた猟師が、偶然その場に通りかかった。猟師は力強い声で子供たちを止め、子供たちはその場から逃げ去った。

 猟師は米助に駆け寄り、彼が大きな怪我をしていないか確認した。幸いにも米助は、打撲と掠り傷で済んでいて、大きな怪我はなかったが、心身共にひどく傷ついていた。

 猟師は米助を支えながら、彼の家まで連れて行き、途中で起こった出来事について話を聞いた。
「じいさん、無茶しちゃいかんよ!」
「こやつが不憫でな、居ても立ってもおれず…」
 米助は、自分が子供たちに対して何を間違っていたのかを考えながら、猟師に心配をかけてしまったことを詫びた。

「じいさん。前歯が一本欠けとるぞ!」
 猟師はうなずき、彼の状態をおもんばかってか、同情の笑みを浮かべた。
 米助は舌で口の中を探り始めた。普段とは違う空洞を感じた。

「んっ! ほんまじゃ。まぁ、たいしたことないわ。すまんかったの」
 米助は滑稽さに苦笑いを浮かべるしかなかった。
 猟師は米助の勇気ある行動を称賛し、動物への優しさを讃えた。


 米助は小さな家に、その犬を迎え入れた。犬は衰弱してみすぼらしくなった状態を抜きにしても、容貌ようぼうは極めて醜かった。毛は所々抜け落ち、痩せ細って肋骨が浮び上がり、その目には深い悲しみが宿っていた。しかし、米助はその外見を気に留めなかった。彼にとって大切なのは、この弱っている命を救い、愛情をもって育てることだった。

 米助は犬をそっと抱き上げ、安心させようと話しかけながら、傷の手当てをし、清潔な布で包んだ。そして、犬が食べられるものを探し、水とともに用意した。
 米助は犬を眺めている。その犬の瞳には、恐怖から安堵へと変わったばかりの色が残っていた。
 
 米助は犬を撫でながら考えた。この犬に何と名付けるべきか? そして、ふと犬の口元に目をやった時、決意が固まった。犬の前歯が一本欠けている。見事に、米助自身の欠けている前歯と同じだった。
 
「一本」と、米助は静かに言った。犬が顔を上げ、米助の声に耳を傾けた。
「お前の名前は一本じゃ。わしらは同じように、何か欠けておる。でもそれが、わしたちの個性なんじゃ。一本、お前とわしはこれから一緒じゃ。お互いを大切にしよう」
 米助は約束をした。その瞬間、一本は尻尾を振り、まるでその名前を受け入れるかのように米助に頭をすり寄せた。

つづく                    


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