【小説】寂寥村 第11話

「名前の重み」


 老人は自らの意志で閉鎖病棟に身を置いていた。彼は車椅子に座り、窓の外を眺めている。彼の目は遠くを見つめ、その瞳には苦難の時を生き抜いた深い哀愁が宿っている。病棟の静かな廊下を車椅子で進む際、彼はしばしば遠い記憶に言葉を寄せ、独り言をつぶやく。

 白髪頭で痩せ細った腕に、青い血管が浮き出ている。覚束おぼつかないながらも低く、はっきりとした口調で話す。

「村が揺れたんじゃ! 山賊も盗賊もほとんどの村人が一瞬で亡くなってしもた! フローラという盗賊の遺体は丘の上にある十字架の前で、血を吐いて座り込み、祈るような姿で発見されたそうじゃ。犬の唸り声が村中に響き渡って、村は崩壊しだしたんじゃよ。しかし、わしと、わずかな者は生きながらえた。あの頃わしはまだ幼い少年じゃった。それでも鮮明に覚えとる、忘れやせん。物凄い鳴き声じゃった。割れるような声が、頭の中で反響して響きわたり、おかしくなって、頭を打ち付けて、死んだ者もようさんおった。わしらは山を下りたんじゃ」

***

 空に不吉な影が広がり、その闇は次第に全てを飲み込もうとしていた。太陽の光さえも、この恐ろしい闇によって遮られ、村は深い暗闇に包まれていく。
 一太と似多は、手を取り合って必死に逃げている。彼女たちの背後では、他の村人たちも生き延びるために走っていた。しかし、その足音は恐怖によって重く、逃げる速度は遅い。彼らの顔は恐怖に青ざめ、目は涙で濡れていた。

「待ってー! 誰か助けてー!」 

「一太、こっちよ、私につかまって」

 巨大な影は物体として形を成し、村全体を飲み込むかのように広がった。この影は、暗く広がるだけでなく、木々を根こそぎにし、古い教会の鐘は最後の鳴りを響かせた後、静寂が全てを包んだ。
 寂寥村のかつて生活の痕跡は、まるで夢幻のように消え去っていった。
 一太と似多は振り返ることなく、ただ前だけを見つめながら走り続けた。彼女たちの心の中には、かつての平和な日々の記憶と、失われてゆく故郷への切ない想いが交錯していた。影は迅速に動き、村を壊滅的な状態に陥れた。

***

 
 「わしらは命からがら逃げることが出来たんじゃ、助かったのはわずか数名じゃった、わしと似多、後は年寄りばかりじゃった。似多も5年前に病気で亡くなった。今では、村の生き残りはわずかになってしもた。なんとも恐ろしいことじゃ、ナンマイダ、ナンマイダ……」

 

 老人の唇は小刻みに震えていた。彼の話は何百回も繰り返えしされる。
 鉄格子の窓からは、遠くの犬の遠吠え。その音に耳を傾けながら、老人は笑う。恐ろしい記憶を老人の心に呼び起こすと、彼は静かに、しかし不気味に笑った。その笑顔は、かつてないほど明るく、しかし、どこか違和感を覚えさせる。その微笑みは、彼の前歯が一本欠けていることを露わにした。
 犬の遠吠えが静かに消え去ると、老人は再び前を向き、車椅子をゆっくりと動かし始めた。

おわり


 

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